あなたの症状はどこから?私は喉の出血ッ!!

noteを始めて半年、コロナ陽性。初めて一週間もnoteの更新を止めてしまいました。

皆さん、コロナ罹患者ってどんなイメージがありますか?
私は電車の中でゴホゴホしてたり、高熱で真っ赤な顔をしている人のイメージがありました。

こんなかんじ

でも私、ついぞ一回も咳でなかったんです。熱も37.5度を行ったり来たりぐらいでしたし。しかし標題のとおり喉がえらいことになりまして、そのあたりも書いていきます。

6月14日(大安吉日)


最初は「なんか風邪ひいた?」って感覚。会社だったので受付の検温器で図ったところ37.7度。だんだん座ってるのも辛くなり会社を早退、薬局で抗原検査キットを購入。

この日は実家に帰る予定だったのですが「もし陽性だったら逗子のアパート行きに変更だな」と思いつつ調べたところ、陰性

既に足取りはフラフラですが、なんとか実家へ辿り着きました。でも高齢の両親に何かあったら大変なのでマスクして部屋に閉じこもってました。

6月15日・16日


頭痛・微熱・喉痛。申請してテレワーク勤務にしてもらいました。
座っているのがしんどく、ご想像にお任せしますが「この格好、上司に見られたら終わるな」という恰好でテレワークしてました。このnoteも見られたら終わるな。

そのうち頭痛は収まったものの、やがて喉はつばも飲み込めなくなるほど痛くなります。家にあったのどぬーるスプレーも龍角散も全く役に立たないほどの激痛でしたが「いうても陰性やったし・・」と我慢してました。

6月17日(一粒万倍日)


輝かしい土曜日の朝です。起きた途端、口の中に血の味がしました。喉は何も飲み込んでなくても痛い。

急いで近くの耳鼻科に行ったところ、受付で門前払いされました。
「おそらく症状的にコロナだと思うので内科行ってください。あとドアも触らないでください」と、保険証は投げ返されました。

ま、これは電話もせず病院に行った私が悪いです。

いくら熱も咳もなくキットでは陰性だったとしてもいきなり病院受付に行くというのは、履歴書送付も誰かの紹介もなく会社の人事部にダイナマイトと一緒に乗り込んで「俺をこの会社でやとってくれ!」とやるのと同じくらいの暴挙です。手続きだいじ。


発熱外来のある病院で予約が取れたので、窓が全開になってる病院の特別室で防護服のお医者さんに検査していただいたところ、陽性
病院の先生曰く「1回目の検査で陰性でも、2回目は陽性というのはよくあるんですよ」とのこと。

カーテン越しの診察、手袋を着用してお会計など厳重警戒でのやり取りだった病院と一転して、薬局にはそのまま行って良いのが意外でした。
さっきまで防護服の方々とカーテン越しにやりとりしてたのに、薬剤師さんたちはマスクのみで「胃薬も出しときますね~」といつものやりとり。ちょっと拍子抜け。

引き続きの隔離生活。
食事は何を食べても味も香りもしませんし、飲み込むときはいちいち激痛です。そのうち下半身には膀胱炎のような症状も出てきて、もはや心の支えは朝の連続テレビ小説だけでした。たけおおお。

家族にだけは絶対に移さぬよう、食事は紙皿と割り箸で部屋に置いてもらい、誰もいなくなったら受け取る、トイレは使うたび消毒、お風呂は皆が寝た後になどしていました。発症して一週間、今のところなんとか全員逃げ切った様子。

しかしわからないのが、どこで感染したのか。
というのも発症前はちょうど給料日前ということもあり、外出は会社と自宅の往復、あとはスーパーのみでした。
直前の土日も丸二日間のオンライン講座を受けてたり、ずっとステイホームしていたのに。そのたまの外出も、マスクはずっとしてましたし。

強いて言うならコロナ禍になってから3年「絶対にコロナにかからないぞ」と張っていた気持ちが、ちょっと弱くなってた気がします。たかが気、されど気。邪気を跳ね返す覇気が弱くなっていたのかもしれません。
もはやコロナを防ぎ切るのは無理っぽいので、これからはいかに免疫力を落とさないかが大事になってくるかもです。

あとこの夏至前に体調を壊したりとんでもない目に遭った人は、ここから再生の旅が始まるそうです。

私は喉の痛みで死にそうになってたとき「もう一回だけ、文章教室をやりたい。あのテーマだけは、やらないと死にきれない」という想いが湧くのを感じました。ここからが本当のスタートなのだと思って、体力の回復に努めながら励んでいこうと思います。


最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。