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リッツカールトンで身銭を切って学んだこと

60分3,000円の激安マッサージ会社を辞めたあと、60分13,000円の会員制エステサロンで、セラピストとして働いたことがある。やってることはほぼ同じだけど、様々なことが違った。

最も大きく違ったのは、サロンの設備に投じる予算だ。

マッサージやエステではオイルやクリームをよく使う。そのとき温かいおしぼりを使ったりするのだがが、前者の激安店舗の会社ではタオルを2年3年使って、生地が薄くなって向こうが見えるくらい劣化しても「まだ使える」と、備品であるタオルを破れるまで買ってもらえなかった。

一方高級店舗を運営する方の会社では、まだまだ使えそうなタオルを「そろそろ古くなってきたから、全部買い替えましょう」と1年ごとに一新していた。
まだ使えるんじゃないですか?と恐るおそる上司に聞いてみたことがあったが「そりゃそうだけど、フワフワで新しいタオルの方が気持ちいいでしょ。うちのお客様は、お金で時間を買いに来てるんだから」と返された。

別の場面でも上司にはよく「小澤さんは、値段が高くても質のよいものをもっと知った方がいいよ」と言われながらも、いまいちピンと来ない日々を送っていた。

そんなある時、いつも笑顔がすてきな女性経営者のお客様から「あなた、休日は何をしてるの?」と聞かれたことがあった。

正直に「夕方まで寝てます」と答えたところ、そのお客様は
「それはダメよ。どんなに疲れていても一番いい服を着て口紅もちゃんとひいて、一流のお店に行きなさい。特にあなたは安くない料金のサービス業をしているのだから、リッツカールトンのティールームとかいって勉強しないとね」と言われた。

私はうつむきながらボソボソと「はあ、でも、、私お金がないんです、、それに休みは疲れて動けなくなってしまって・・」と答えると、そのお客さまはまっすぐな声で
「身銭を切って初めて、見る目は養われるのよ」とおっしゃった。

これには参ったので、すぐに休みを調整して六本木のリッツカールトンへ向かった。
どうせ1,000円もするコーヒーを飲むなら5,000円で美味しいランチが食べたいと思い、ひのきざかという和食のお店へ予約した。

リッツホテルに入城し、エレベーターでお店のある45階へ。

店の前についても正直「ランチに5,000円か・・」とうなだれる思いは消えなかったけど、一緒にランチについてきてくれた赤い銀行に勤める友だちが「まあ、妥当じゃない?」と背中を押してくれたので暖簾をくぐった。

お着物を着た感じのいいスタッフの方に案内され席に着くと、席のすぐそばにある白と紫の、上品な生け花が置いてあるのに気づいた。
その花と器が置いてある台は磨き抜かれて、静かに光っている。スタッフの方が心を込めて、客の視線が届くところ全てを磨きあげていることが伝わってきた。

その後やさしい琴の音を聞きながら、季節の野菜をふんだんに使った和食のお料理を頂いた。
もちろんお料理も美味しくて素晴らしかったのだけれど、当時の私の目には花と器が乗っている台の控えめな輝きが、まぶしく心に残った。


それからの私は徐々に、エステルームの清掃をしっかり行うようになった。

観葉植物やアロマディフューザー・化粧台にあるものなどをどかし、埃とりで目につくところを全て拭いていく。埃がたまらないようにするのではなく、隅々まで神経を行き届かせた場にお客さまを向かい入れることが大切だったのだと気づいた。

以前は「シワの一本もないように」と丁寧にベットメイクする上司がよくわからなかったけれど、その行為の意味がやっとわかった気がした。細かいプロセスの一つ一つに心を配らなければ、魂は宿らないのだ。

その後わたしは事務職に転職して、あの時のお客様にも上司にも会うことはなくなった。

今は私の部屋の窓サッシには、埃が目立ち始めてるけど。
リッツカールトンのコーヒーもランチも、あの時より値上がりしているけど。

あのときお金も時間もないのに「リッツカールトンに行く」という選択をしたことから学んだ、細部まで心を込める大切さ、細部にこそ神が宿ることの意味は、今も覚えている。

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