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冬にアジサイは咲かない。努力は来たるべき時に花ひらく。

SNSを開くと、自分以外のみんなが輝いて見えます。

ホテルのロビーで商談祝いに泡をキメてハッピーだとか、結婚が決まったとか、オンラインサロンにたくさんの人が来てくれて嬉しいだとか、可愛いくてやさしい子どもたちに囲まれて幸せだとか。

自分以外の全ての人が幸せに満ち溢れているように、見える時があります。

コロナで1週間近く何も出来なくなった時は、自分以外の全ての人間がクリエイティブでスンバラシイ成長を成し続けているように、本当に思いました。

ただ最近、こんな図を知ったのです。

若干ボケてて申し訳ない

これはアメリカの心理学者が、人生を自然界のサイクルに例えたのを図にしたものです。

うまくいかない時期を「冬の時期」と呼んだりしますが、この図は「人生の三分の二は冬の時期である」ということを暗に示しています。

私たち人間は、花が美しく咲いている時期にしかその植物に注目しません。

例えば、桜の木はずっと生きているのに、春に花が咲く10日から2週間程度しか、私たちは桜の木を見ようとしません。花が咲かない350日~355日も桜の木は生き続けているのです。

また桜の木は一年中そこにいますが、アジサイは花が散った後、完全に姿形を消してしまいます。

桜なら木を見れば「ここに桜が咲いていたな」と思い出すことができますが、アジサイは潔いほど次の花のために今の自分たちの命を全て土に還すのです。

私たちは現代社会に生きていると、成長という名の成果を求められ続けます。

花が咲くには、花が散って朽ち果てた後に長い時間をかけて土の栄養になるという、あまり華やかではない期間が長く必要となります。
でも社会に生きていると「花を咲かせ続けなければいけない、咲き続けられない花に価値はない」と誰かに言われているような気に、時たまなるのです。

本来人間は無力で、大自然の中で人間が抗えることはほんの少ししかない。

そんな当たり前のことを、満員電車に乗ってパソコンやスマホの狭い世界に向かっている日々の中では、どうも忘れてしまいます。むしろ自然の前では人間は無力、なんて言おうものなら「甘えるな」と厳しい方に怒られてしまいそうです。

でもどんなに頑張っても、私たち人間は秋に桜を咲かせることは出来ない。真冬にアジサイを咲かせることも出来ない。

このnoteを読んでいる方で、仕事にしろプライベートにしろうまくいってない、という方がいらしたら「うまくいかない時期というのが、普通かもしれないよ」ということをお伝えしたいです。

そもそもnoteを読んでる人というのは心やさしい、森の中の植物のような人たちが多いように思います。

そんな人たちが人間界の狭いルール「圧倒的成長を成し続けるのだアアアアグアッハッハ」を押し付けられて心の枝葉を自ら落とすのを見るのは、なんだかちょっと納得ができません。

何もない地面の下で、命は息づいている。誰も知らない水面下で、根は伸び続けている。

そんな自然の中では当たり前のことを思い出しながら、花がひらく日を夢見て明日も生きていきたい。