見出し画像

自己犠牲による働き方が淘汰される未来

先日うどん屋さんに入ったところ、厨房にいたスタッフ2名、そしてレジを担当しているスタッフの方、それぞれの名札を見ると3名全員が海外の方ということがあった。たった数名で、うどんを求める人たちの行列を流ちょうな日本語でさばいている。こういう場面に遭遇すると、飲食で働く人が減っているなあと感じる。

人手が減っているのは観光業でも同じらしく、1泊2万円~の某高級旅館では部屋食を廃止したというニュースを聞いた。

その旅館では部屋のテーブルに鍋とガスコンロが置いてあり、部屋の冷蔵庫を開けると鍋の具材が入っているので、それを各自で調理して食べるというスタイルだそうだ。お酒は自販機で。
ちょっと寂しいけど、忙しさからイライラした仲居さんの横で豪華なお料理を食べるより、みんなが無理なく回していけるスタイルの方がいいのかもしれない。

コロナをきっかけに24時間営業のお店も減った。以前は365日営業していた近所のチェーンレストランも大晦日は17時閉店・元旦はお休み・2~3日は時短営業にすると発表していて、だんだん社会が頑張らない方向に向かっている気もする。

ジャニーズも宝塚も、犠牲の上に成り立っていたものがどんどん崩れている昨今。
今後はよくわからない感情論や、昔の偉い人のために作られた伝統といったものはなくなっていくのだろう。そうした時代の中では便利だから・安いからといった理由で選ばれていたものも淘汰されていくと思う。

そうなると人々の働き方というのもやはり変わってくるだろう。10代の子と話していると、彼らはどんなに「根性がない」と後ろ指を指されても、自分の生活を犠牲にする働き方は選ばないだろうな、というのを感じる。

犠牲の反対側にあるのは、心喜ぶことである。
私の知人は会社勤めをしているときストレスが強く、土日に美味しいものを食べに行ったり高い服を買ったりストレス発散にお金を掛けていた。しかし独立してからは大変だけどストレスがないので、自炊したり昔の服を着ていても幸せだという。

日本の働き手が減っている。

この言葉だけ見ればもちろんマイナスなのだけど、人手が減っていく結果、本当に必要な仕事だけが残っていくように思う。

例えばタピオカドリンクを飲んだりパンケーキを頬張ったりする瞬間は、苦しい現実を一刻忘れさせてくれる。でも先日も大手タピオカドリンクチェーンが倒産したと聞いて、もう現実を一刻忘れさせてくれるというウリだけでは生き残れないのだと感じた。

ほんとうに自分の心が躍ること、命が必要としているお役目。
自分の志と社会が必要としているニーズが交わるところを仕事にして、この厳しい時代も生き抜いていきたい。