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なにが“誹謗中傷”にあたるのか、という話と、“正義のひと”の話

テラスハウスという番組に出演していた女性がSNSで受けた誹謗中傷を苦に自殺したらしい。らしいというのは、本人が亡くなっている以上、その真意をたしかめることができないからだ。
この事件を発端に、SNSにおける「誹謗中傷」について多くのひとがコメントを寄せていて、その多くは「誹謗中傷を許すな!!誹謗中傷は罰せられるべき!!」という感情的なものなんだけど、なにが「誹謗中傷」にあたるのかを言語化したうえ「誹謗中傷」に分解的な批判を向けているひとはほとんど見かけなかった。
誹謗中傷はよくない。それはあたりまえの話だ。けれども、そんな表層的な正義で共感を集めてしまって、ほんとうにいいのかな。
もうすこし思慮をめぐらせれば、なにが「誹謗中傷」にあたるのかを考えないまま「誹謗中傷を許すな!!誹謗中傷は罰せられるべき!!」というメッセージだけが拡散されれば、こんどは必ず「誹謗中傷をしたとみなされたひと」が「誹謗中傷」に遭うことは容易に想像できる。なにしろインターネットにはだれかを制裁したい/謝らせたい“正義のひと”が溢れかえっている状況だ。

事実、実際に誹謗中傷に加担したアホだけではなく、ほかの出演者にも自殺の責任を糾す誹謗中傷が届いているという。この地獄絵図の連鎖、愚かにもほどがあるんだけど、とはいえどこかで見覚えもある。昨今のコロナ禍で言われるようになった「自粛警察」だ。
いわゆる「自粛警察」は“正義のひと”の一種なんだけど、自粛をしなかった(と見なされた)ひとに、正義を振りかざさずにはいられないアホが日本中に発生し、いまでは自粛警察やマスク警察に対する新種の“正義のひと”までが現れるシュールな状況となっている。少しはここから学習したいところ。

いったいSNSでいわれる「誹謗中傷」とはなんなのか。
今回のテラスハウスを例に、俺なりの考えをまとめたい。
そのためにまず、テラスハウスの視聴層を3つに分類する。
以下、知能指数順に紹介していく。

まずは「ふつうの視聴者」である。これは“巧妙な作り物”としてテラスハウスを眺めているひとたちで、「ゲスな見せ物だな笑」とニヤニヤすることはあっても、どうせ演出された出演者の振る舞いにいちいち腹を立てたりはしない。テラスハウスを見ていないひとたちもこの層に含めてよい。この層のひとたちは、テラスハウスという“装置”に言及することはあっても、個別の出演者に言及することはまずない。それほど興味がないからだ。

つぎに「感情移入している視聴者(=ファン)」である。放送のたびに「#テラハ」などのハッシュタグをつけ、番組への熱心な感想を言わずにはいられないひとたちだ。そのなかには当然、出演者への批判的な言及も含まれている。正直、これを「誹謗中傷」とするのは難しいと思う。というのも、それはリアリティーショーという形式にのっとった“登場人物”への感想でもあるからだ。
問題は、この登場人物(=出演者)たちがリアルなパーソナリティーを持ち寄ったまま参加している、という番組自体の構造にあって、この部分に関しては見せ物になることを選んだ出演者にも好き勝手な“感想”を言われる覚悟くらいは必要になりそうだ。でなければ最初から出演すべきではない。そもそもリアリティショーというのは、そういう視聴者の存在を前提として成立しているコンテンツだからだ。
とはいえ、このテラスハウスの構造が「誹謗中傷」の温床として自殺の悲劇を招いたことはまず間違いないことで、この層の視聴者は、そうした構造に主体的に参加していた、とみなせる。
俺が偽善を指摘したいのは、この層の視聴者が他方で「誹謗中傷を許すな!!誹謗中傷は罰せられるべき!!」と叫んでいる不条理な絵で、おそらく彼らは、テラスハウスという構造に自分が参加していたことにまったく当事者意識がない。これはちょっと、どうかと思う。
以下のツイートにはずいぶん共感が集まった。

そして「誹謗中傷をする視聴者」である。
このアホどもは、演出されたにすぎない生身の“登場人物”たち、つまり特定の個人にわざわざ直接悪罵を届けにいくところに特徴がある。そしてそれが勝手な“正義”によって集団化する。これが「誹謗中傷」であるし、これを「誹謗中傷」とすべき。さもなければ、視聴者の反応も包摂した「リアリティーショー」という形式自体が成立しないことになるんだけど、この際、「リアリティーショー」という形式自体に反省や見直しを迫る視点もアリだとは思う。一部のアホどもによる「誹謗中傷」が避けられないのであれば。
この「誹謗中傷する視聴者」が相応の報いを受けるべき、という見方にはまったく同感しかないんだけど、けれどもそれは法律が裁定する話で、連中の素性を洗い出して多数による私刑を加えることは“正義のひと”の振る舞いであり、非難されるべき「誹謗中傷する視聴者」と見事な鏡像になる。
やってはいけない。
だからこそ、「誹謗中傷を許すな!!誹謗中傷は罰せられるべき!!」という制裁感情は慎重に扱うべき、という話なんだ。

では、この誹謗中傷する視聴者の正体は何者なのか─?

簡単にいうと、攻撃的なクソリプを送るやつである。
要するに、滅びのバーストストリームである。

まず彼らはあらゆるコンテンツやアカウントに対して自分を“お客サマ”と位置付けており、なにかご意見やクレームを差し向けることを当然の権利だと思っている節がある。彼らのアカウントを見にいくと、ほとんどフォロワーのいない状態で延々と呪詛の言葉を吐いているか、ひたすら有名アカウントばかりを狙ったクソリプの固定砲台と化していることが多い。要するに、満たされない自己顕示欲や承認欲求が発酵した結果、祟り神みたいになった者たちだ。
さきほど引用した偽善のツイートに連なる数々のクソリプも同様である。

なぜ、SNSにこのような地獄が顕現したのか─?

ひとことで言うと、つまらないやつはどこまでもつまらないからだ。

滅びのバーストストリーム、
おまえのことだからな?
あんまり人様にクソリプかますんじゃねーぞ。
俺からの説教は以上だ。

CMのあと、さらに驚愕の展開が!!