駅のベンチにいつも座っていた女性

とある路線のとある駅。
いつも同じベンチに座っている女性がいた。
彼女は美しくも寂しげな微笑みを浮かべ、昔の時代の服をまとっているかのようだった。
通勤客や駅員たちはその女性に出会うたびに不思議な感覚に包まれるような気がしていたが彼女は一度も誰かと話すことはなかった。

その町では数十年前に列車事故が発生し多くの人が亡くなった。
女性が座っているベンチの近くでは事故の記憶が今もなお残っていた。

ある日、若い男性がその町を訪れその女性と出会った。
男性は彼女の存在に引かれ、なぜか心の中で彼女のことを知っているような錯覚に囚われた。

そして、男性は女性に声をかけることにした。

「こんにちは。誰かを待っているんですか？」
男性が尋ねると、女性は静かに微笑みながら頷いた。
男性はなぜかその女性が遠い昔に生きていた誰かと繋がりがあるような気がしていた。

「私はこの場所である方と別れた直後に列車事故でこの世を去りました。それ以来、私はこの駅で彼を待ち続けているのです」

彼女の声は風に乗り、やわらかな囁きのように男性の耳に届いた。彼女の姿勢は悲しみに満ちつつも優雅で、その存在は幽霊のようでもありながら人間の温もりを感じさせるものがあった。

温もりといえばちょうど、彼の手には温かいたこ焼きの入った袋があった。
彼女は驚きとともに、男性に向かって言った。

「たこ焼き？」

男性は優しく頷いた。
「ええ、もしお腹が空いているのでしたらどうぞ」

彼女はたこ焼きの袋を受け取りしばらくためらった後、初めての感触を楽しむかのようにそっとたこ焼きを口に運んだ。
たこ焼きの温かさと風味が、彼女の幽霊になった存在に新たな感覚をもたらした。

「これは…美味しい。ありがとう」

男性は微笑みながら言った。
「いえいえ、あなたが長い間この場所で待ち続けているのは、何か未解決の問題があるからですか？」

「私はあの事故の日、彼と別れることになってしまった。彼の最後の言葉を聞くことも、彼に別れを告げることもできなかった。それが私の未練なんです」

「あなたの気持ちはよくわかります。でも、あなたが長い間ここで待ち続けることで何も解決されない。未練を手放すことが必要だと思います」

彼女は不安げな表情で男性を見つめた。
「でも、彼との別れを受け入れることができない」

男性は優しく言った。
「別れは辛いし、受け入れるのは難しいことだ。でもあなたが未練を抱えることであなた自身が辛く、彼も安らかではないはずだ。もしあなたが成仏して新たな旅路に出たいのなら、その一歩を踏み出す勇気を持ってみてはどうでしょう？　このたこ焼きから立ち上る湯気のように」

たこ焼きの上の鰹節が踊り続ける姿を見つめながら彼女は深いため息をついた。

男性は続けた。
「彼との思い出は大切かもしれないけれど、それがあなたを苦しめることはない。もし彼が今のあなたを見たとしたら、彼はあなたが幸せであることを望むはずです」

彼女は男性の言葉にじっと耳を傾け、少しずつ心の中で葛藤を解きほぐしていくようだった。

男性は彼女をまっすぐ見つめ、
「あなたが進むべき新しい旅路があなたにとって素晴らしいものになることを信じています。このたこ焼きの湯気のように」
と言い切った。

その言葉を聞くと、だんだんと湯気のように彼女の姿がぼんやりと霞んでいく。

たこ焼きの湯気が彼女にまとわりつき次第に淡く輝く光る。
その光は彼女の身体を包み込み、周囲に優しい輝きを広げていった。
男性は驚きながら、彼女が成仏する瞬間を見つめた。

彼女の存在がたこ焼きの湯気と一体となり、彼女の姿はだんだんと透明になっていった。
男性が目の前で感じるその光景は美しくも幻想的で、彼女が天に昇っていくような感覚を与えた。

そして、たこ焼きの香りと湯気が漂うなか、彼女の姿は次第に消え穏やかな光だけが残った。
男性はその場に立ち尽くし、心には一つの温かい感情が広がった。

町の駅からたこ焼きの湯気が空に溶けていく様子が、新たな旅路に出る彼女を象徴しているようだった。

最後に彼はつぶやいた。
「いや、なんでたこ焼き１個で成仏できた？」