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生かし、生かされる日々。誰かのためにしたことは、必ず自分に返る 上條理絵

小さな里山のまちの、フェアトレード・ショップ

 神奈川県の里山のまち、旧藤野町(現相模原市緑区)は、芸術家の移住誘致を皮切りに、今もなお移住者があとを絶たないまちとして知られています。
 そんな旧藤野町にあるコミュニティスペース「ふじの駅前PORTRADE」内で、フェアトレード・ショップ「藤野ライトハウス」を営んでいるのが、上條理絵さんです。フェアトレードを通じて、地球に、社会に貢献してきた上條さんは、近年は、地域のコミュニティづくりなどにも関わるようになっています。グローバルとローカルという、一見真逆な世界を行き来する上條さんに、その根底にある思いを伺いました。

フェアトレードとの出会い

 じつはもともと、看護師として働いていたという上條さん。体が弱かったことや諸々の事情が重なって退職したあと、以前から関心のあった環境問題に関するイベントのボランティアを始めます。ECO検定も受験するなど、日々、環境問題への関心は高まっていきました。

 「興味をもって学びを深めていくと、社会に潜むいろいろな問題は、かなり複雑に絡み合っていることがわかってきました。貧困、戦争、環境破壊、すべてが繋がっている。それでいつのまにか、環境問題は『人間問題』なのではないかという印象が強くなっていきました」

 その事実が悲しく、自分にできることは何かないだろうかと悶々とするなか、ECO検定合格者のメーリングリストで「環境NGO・NPO見本市」のお知らせが届きました。そこでフェアトレードと出会うことになります。

 フェアトレードとは、発展途上国でつくられた作物や製品を、適正な価格で継続的に取引することによって、生産者の持続的な生活向上を支える仕組みのこと。

 上條さんはイベント会場で、都内でフェアトレード商品を扱うショップを経営する、ある女性と知り合います。イベント後に店まで行き、意気投合して何時間も話し込んだそう。

 「その方が『フェアトレードに興味があるんだったら連絡してみたら』と、いくつかのフェアトレード団体を紹介してくれました。そのうちのひとつ『ネパリ・バザーロ』に勢いで連絡して見学に行ったら、トントン拍子に話が進んで、その翌日から働くことになったんです(笑)」

 それはとても不思議な体験でした。まるで導かれるように、すべてが進んでいったのです。ネパリ・バザーロでは、その後、なんと丸6年も働きました。

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 「私はずっと、自由になる時間を社会的意義のあることに使いたいと思っていました。自分にできることはないかといつも探していたので、フェアトレードを知って、そのお仕事ができるようになったときは、本当に嬉しかったです。この仕事が海の向こうで暮らす人たちの暮らしにつながっていると思うと何をやっても、どんな大変な仕事でも、とても楽しかったんです」

フェアトレードは希望のひとしずく

 フェアトレードとの出会いは、上條さんにとって大きなものでした。社会に貢献し、社会を変える一助を担うことが、フェアトレードを通じて可能になったからです。

 「『買う』というのは投票行為のようなものです。ひとりでも多くの人が買うものをきちんと選択することで、悲しい負のスパイラルに歯止めをかけることができるかもしれない、そう思いました。もちろんフェアトレードだけで、社会の問題のすべてが解決できるわけではありません。ただ『私にできることのひとつ』がたまたまフェアトレードで、社会を少しずつでも変化させていく選択を提供できるものだったんです。それは、私にとっても、商品を買ってくれるお客さんにとっても、希望のひとしずくだったんじゃないかと思います」

 上條さんがいつも心の軸に置いているのは、有名なクリキンディのお話です。山火事が起きた際、1羽のハチドリ(クリキンディ)が、何度も水を運んで、燃えている山に落とします。しかし、小さなくちばしでは一度に運べるのはひとしずくの水だけ。「お前ひとりが頑張っても火は消せない」と周りにバカにされたとき、クリキンディはこう言うのです。

 『私は、私にできることをしているだけ』

 「私が運べる水はひとしずくでも、それを見た仲間がひとりふたりと増えて、みんなが水を運ぶようになったら、いつか火は消えるかもしれない。だから、誰かを想って『自分にできること』を続けていけば、自分も周りもハッピーになれるんじゃないか。そんな希望を持ってフェアトレードに関わり続けています」

あらゆる物や人に生かされている

 2013年、旧藤野町に移り住むことになった上條さんは、通勤の問題もあり、ネパリ・バザーロを退職しました。しばらくはのんびりしようと思っていたそうですが、またしてもある出会いによって走り続けることになります。

 藤野には、コンテナ型のギャラリーがいくつも並び、さまざまな芸術家がショップ兼アトリエとして利用している「ふじのアートビレッジ」という施設があります。そこにふらりと立ち寄った際にオーナーさんと知り合い、フェアトレード団体で働いていたことを話すと「フェアトレードは藤野に合っていると思う。コンテナにひとつ空きがあるから、ここでお店をやってみた
らどう?」と誘われたのです。

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 突然舞い込んできた話に、上條さんの心は動揺しました。少し休みたいと思う反面、何かしらの形でフェアトレードに関わっていきたいという気持ちもあったからです。

 「オーナーの方は『理絵さんが返事をくれるまで、空いてるコンテナは誰もいれないでおくからよく考えてみて』とまで言ってくれました。そこまで言ってくれる人がいるなら、これはもう波に乗ってみるしかないと心を決めました」

 出会いから2ヶ月後に返事をし、さらに2ヶ月経った2013年11月、藤野ライトハウスはオープン。もともと自然と共存する暮らしに魅力を感じ、環境への意識も高い人が多い藤野では、フェアトレード・ショップができたことを喜んでくれる人が大勢いました。

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 そしてアートビレッジにお店を構えて4年が経った頃、地域活動を行なっている友人から「駅前に広いスペースを借りるから、そこに店を移転して、一緒にコミュニティスペースをつくらないか」という話を持ちかけられます。

 自分たちでリノベーションし、2018年3月に誕生したのが、藤野ライトハウスのほか、野菜や果物などを販売する土屋商店、数学塾、ワークショップスペースなどが入ったコミュニティスペース「ふじの駅前PORTRADE」です。瞑想やヨガなどのイベントも開催し、地域の人々にとって大切な拠点のひとつとなっています。

 そうした仲間との出会いが、別の活動にもつながっていきました。上條さんが「国内版フェアトレード」と話す地元のファーマーズマーケット「ビオ市」の事務局、藤野の自然や伝統文化を活かしたまちづくりをテーマに活動する「NPO法人ふじの里山クラブ」の理事なども務め、現在は、かなり忙しい日々を送っているそう。

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 「私は本当は人見知りなんです。初対面の人はもちろん、大勢の輪の中にいることもあまり得意ではありません。ところが、このような活動にお声がけいただくことが増え、役割を与えていただくようになったことで、人と交流する機会が無理のない形で増えました。周りの人に、とてもありがたいお膳立てをしてもらっているなと思います」

 フェアトレードを通じてグローバルな課題に取り組んできた上條さんが、自分の暮らしと地続きの、ローカルな活動にも取り組むようになって数年。そのほとんどは、誰かに声をかけてもらったり、頼まれたりしたことばかりです。上條さんは、自分を信頼してくれたり、頼ってくれた人のために、奔走し続けているのです。

 「あらゆる物や人に生かされていると感じます。自分にできることを引き出してもらったり、背中を押してもらったり、活躍するステージを用意してもらったり。動くのは自分でも、必ず誰かが助けてくれる。そうしたことへの『感謝』が、今の私の原動力になっています」

 「誰かのため、何かのためにする行為のすべては、結局自分に返ってくるものだと思います」と上條さん。「誰かのため」は「自分のため」でもある。それは、誰かのために動いた人だけが実感できる、小さくとも大切な真実なのではないでしょうか。
文: 平川 友紀

上條理絵

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元看護師。2007 年7月より横浜のフェアトレード団体「ネパリ・バザーロ」に勤務。2013 年11 月に神奈川県相模原市の藤野に移住し、「ふじのアートヴィレッジ」にフェアトレードショップ「藤野ライトハウス」を開業。2018 年3 月「 ふじの駅前 PORTRADE」を開業しお店を移転。
ふじの駅前PORTRADE 管理、ビオ市/ 野菜市事務局メンバー、NPO ふじの里山くらぶ理事。

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