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第4章 ヴィッキーさんの修行時代

15 ホースレー薬局

田村裕さんの『ホームレス中学生』は家出直後の生活のヴィヴィッドな体験記録でしたが、ヴィッキーさんは元々目的がまったく違うこの本で自分の家出直後の生活を語るつもりなどなかったでしょう。

あるいはもしかしたら、非常に自立心に富んだヴィッキーさんにとっては、生活を立てるための苦労などは誰もがする当然のことで、何も特別なことではなかったのかもしれません。

家出の時期から4、5年経過して、ヴィッキーさんはすでに何かの仕事に就いて自分なりのスタイルでの自立生活をしています。

そんななか、ヴィッキーさんは仕事のかたわらある薬屋さんに通うのを楽しみにしていたようです。

その古臭い感じの空間に何か親和性を感じていたのでしょうね。

時代はすでに戦争が始まっていたようです。

1939年の開戦当初、イギリスは戦争とは思えないほど平穏な日々だったようですが、開戦後1年経った1940年となると、6月のドイツ軍によるパリ占領でフランスは降伏、しかしアメリカ参戦(1941年3月)前の時期ですから、イギリスが単独でドイツと戦っていた時期ですね。

この時期、ヴィッキーさんはミドルセックスのウエスト・ドレイトンというところに住んでいたようです。

ミドルセックスというのは1965年まで存在したイングランドのカウンティ(州)の名前ですが、現在のロンドン郊外に当たる地域のようです。

その頃、駅への行き帰りに必ず古い薬屋の前を通るのですが、なぜかそのたびにさまざまな色のボトルに目を奪われたのです。

ときには開いたドアから独特の匂いが流れてくることがあって、奇妙に懐かし感じに襲われてなかを覗いてみたくなったのだそうです。

それで何かしら口実をつくっては、その店のなかに入ったのだとか。

その店は何年も前からそこにあり、古びて、閑散としていました。
ペンキも剥げ、お金のないのがありありと見て取れましたが、にもかかわらず、そこには言うに言えない神秘と、秘められた知識の豊饒な香りとがありました。
それは、ほとんど八十歳に手が届かんとするエドワード・スモールブルック・ホースレーと、娘のドリス・マーガレットの店で、私はそこで、ドリスといろいろな話をしました。
父親はほとんど裏の調剤室にいて、店にはめったに姿を見せませんでしたが、私をひきつけてやまぬ匂いは、その調剤室から流れてきていたのです。
私はいつも、なぜかしらわくわくする思いを抱いて、店を後にしたものでした。

道路を隔てたちょうど向いには、若い薬剤師があらゆる新しい商品を揃え、店を構えていました。
先輩に当たるその古風な店に対し、ライバル意識と軽蔑の目を向けていたのは間違いありません。
モダンなタイル張りの、防腐剤の匂いのするその店は、ちょうど私の通る道沿いにあり、そちらに行く方が私にとっては簡単だったのですが、なぜか足を運ぶ気になりませんでした。

 『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p36-37)

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この時期、イギリスでは(日本の漢方薬局のような)原料薬草から調剤師が自分で調剤する古いタイプの薬局と、製薬会社による既製薬品を販売する新しいタイプの薬局の交替時期だったようです。

どうやらホースレー薬局は前者に当たり、お父さんから薬草の手ほどきを受けていたヴィッキーさんは、その薬草の匂いに懐かしさと同時に古くからの知恵の匂いを嗅いでいたのかもしれません。

もしかしたら、当時のヴィッキーさんにとって、そのホースレー薬局の匂いは自分の宝物である過去の記憶とつながるよすがだったのかもしれません。

そうして何度も通う内に、ホースレー薬局で店番をしているヴィッキーさんよりかなり年上のドリス・マーガレットとはかなり親しくなっていったようです。

そんななかで、あるときヴィッキーさんに変化のチャンスが訪れます。

あるとても暑い日のこと、私は疲れて喉が乾いていたにもかかわらず、店を素通りできず、うちに山ほどある歯磨き粉にまた新しい一本を加えるべく、入り口のドアをくぐりました。
「お茶をいかが?」ドリスが、声をかけてくれました。
私が一も二もなく応じたのは言うまでもありませんが、それより何より、その日初めて店の裏手の聖域に招かれ、そのうれしかったことといったら! 
恐る恐る足を踏み入れた私の頭を、けしの花がすっと撫でました。
部屋のすみでは、調剤用の小さなはかりが鈍い光を放ち、ありとあらゆる形の薬のビンがひしめいています。
不思議なものがぎっしり詰まった棚の、奇妙な名前が目を惹き、いつのまにか私は、熱心にラベルを読んでいました。
カリヨフ(クローブのオイル)、ジンジブ(ショウガ・・古くからさまざまな方法で使われ、愛されてきました)などなど、わくわくする名前がいっぱいです。

大きな男の人が、スツールから腰を上げました。
ホースレーです。
百九十センチもある、痩せた、しかし笑顔の可愛い人で、グレーの瞳が暖かく私を迎えています。
私は思わず彼ににじり寄っていました。
間違いありません。
私はとうとう我が家に帰ってきたのです。
ブルックボンドのお茶は、今や神々の美酒に変わり、第三の目が生き生きと活動していました。
そしてもし、第四の目があったとしたら、それも活動していたに違いありません。
というのも、何とも嫌な匂いに気づいたからです。
部屋の隅には、二匹の猫が満ち足りた顔で座っています。
彼と私の間には、最初の最初から、言葉を交わす必要などないようでした。
彼の目が、にっこり笑うと、
「これをかいでごらん」
といって、手にした枡を私に差し出しました。
「これは、吉草根なんだよ」
それは、猫の糞の匂いそっくり。
匂いはひどいが、吉草根は精神安定剤として広く使われているということを、私はそのとき初めて知りました。
二匹の猫は、これでめでたく無罪放免となったのです。

そして当然のなりゆきのように、私はホースレーの所に住まいを移し、三人で過ごしたそれからの数年は、小春日和のように心地よく、その間にたくさんのものを吸収しました。
それは私にとって、すでに知っているものをもう一度学び直しているかのような時期でした。

 『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』(p37-38)

とうとうヴィッキーさんは自分本来の落ち着ける世界を見つけたようです。

ヴィッキーさんのこの本は語りおろしだからでしょうか、じつに視覚的効果の高い文章だと思いませんか。

まるで映画を見ているみたいに、その部屋の暗さ、温度、ときには匂いさえもが感じられるような気がしてきます。

なかでもここしばらく生家から離れて不安定な場面が続いてきましたから、このホースレー氏の調剤薬局にたどり着いた場面は、思わずお祝いを言いたくなりますね。

年齢は書かれていないのではっきりしませんが、20歳になったところでしょうか。

それまでどれほど心細い生活をしてきたことでしょうか。

それとも信仰心の深いヴィッキーさんにとっては、生家を離れてひとり生きていく時間すべてが、緊張と冒険に満ちながらも、希望を持って先に進める時間だったのでしょうか。

ヴィッキーさんの記述を読んでいると、当時のロンドンは、16歳の家出少女がなんとか20歳になるまで普通に生き延びられる社会だったことがわかりますね。

未成年の少年少女が、別に当局の保護下に入るというのではなく、何とか仕事を見つけて自前で生存できる社会だったのでしょう。

あるいはイギリスの若者たちは、それだけの自立心と生活の知恵を身に着けていたということなのか。

1940年8月下旬からはロンドンをはじめ、各都市がドイツ空軍爆撃機の夜間無差別爆撃をうけ、多くの市民が死傷し、児童の地方への疎開や防空壕の設置、地下鉄駅への避難が行われた時期に当たります。

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 「英本土への爆撃を行うドイツ空軍の主力爆撃機ハインケル」
 『ウィキペディア日本語版』https://goo.gl/5qfwTi


この不安な時期をヴィッキーさんが古巣のような安全な場所で過ごせて良かったですね。

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