家族介護者の想い②

前回は,家族介護者の想いを部分的にご紹介しました.

今回は,介護は悪いことばかりではないというお話です.

すでに,様々な研究で「介護には肯定的・否定的な両側面がある」ことは明らかになっています.介護の研究は,1980年代にアメリカで「介護負担感」についてが始まりとされ,第一人者であるZarit教授の介護負担感尺度は現在でも最も用いられている評価表の一つになっています.この時代は,介護を否定的にしか捉えていない背景がありました.

1990年代に入ると「caregiving satisfaction(介護満足感)」という概念が生み出され,肯定的側面に焦点が当たり始めました.そして現在は,介護には肯定的側面と否定的側面の両方があることは当然!という認識ができています.


ただ,私が個人的に思う事は,介護を家族がすることに肯定的側面があり,それを理由にして家族介護者に介護を丸投げするスタンスはよくないと感じています.正直,地域包括ケアシステムは,家族介護者が介護すること無しには成立しない側面があり,政府は家族介護者への責任を増やしているように感じています.

そのような想いを持っている医療・福祉の専門職の方々が,様々な視点と方法で家族支援プログラムがたくさん取り組まれていることも事実です.

日本は世界から見ても高齢社会のトップランナーです.だから介護保険制度やこれから行われる地域包括ケアシステムが世界から注目の的になっています.特に,近年では中国や韓国の急速な高齢化率は高い社会問題の一つにあげられています.ただし,それぞれの国の文化的背景が大きく影響するため,うまく行っている政策を自国に持ち込んでそのまま用いることはできないので,難しいところです.


さて,話を大きく戻して,介護が与える肯定的側面についてです.

家族介護者は,介護を通して自分の生きている存在価値を失ってしまうこともありますが,逆に与えてもらっている人も多く存在しています.

・「介護(看取り)の経験は自信や達成感のような感情を得ることができた」

・「介護は徳を積む行為だと思いながらやってきた」

・「介護は大事な仕事として向き合ってきた」

という感覚を持たれている方が何人もお見えでした.(徳)を積むという感覚は,毎日,仏様に手を合わせる風習がある世代には,特に強い感情のように感じました.


・「最後を悔いのない人生だったと思ってもらえるよう奉仕の気持ちで介護していた」

・「今までの人生でたくさんいい思い出を作ってくれた人に,自分ができることをやってあげたい」

・「私も1人の人間として,自分がされたいような介護を心掛けている」

といった,パートナーを思いやる気持ちが強い関係性の介護者にこういう感情が強く感じられました.


・「介護している時は,家族と一緒にいる時間という感情でした」

こうおっしゃっていた方は,社会との距離が遠く,2人でいる時間が長い状況で,社会的孤立とも言える状況でした.そういう方々の場合,唯一,人と交わっている時間でもあり,お互いの心が共依存にある感じでした.これが悪いというわけではありません.ただ,社会的孤立を求めていたわけではなさそうでしたので,もっと違った社会からのサービスがあったら,違った状況になっていたのではないか?と感じました.しかし,それがお節介になることもあるので,タイミングや程度が重要になります.だから医療従事者の入り方はデリケート且つ大胆に寄り添うことが必要なのかなと思いました.


・「介護をしていく中で,自分の意識が変化していくことを感じた.初めは辛かったけど,どんどん当たり前になっていく感じ.今は,これが日常なんだ」

介護は長い時間(期間)続くため,人の気持ちを様々なベクトルに向けていくのだと感じました.

介護研究の第一人者である春日キスヨ氏は,

ケアすること自体が介護者自身のアイデンティティとなってしまう「主体性の空洞化」と指摘し,自己を犠牲にする生活を送ることに対する危険性を指摘しています.

一方,介護を通して,このように前向きな捉え方を当事者方がしていることは事実であり,重要な心のあり方のように思えます.

膝を合わせて家族介護者からゆっくりお話を聞くことは,医療従事者は大事だと分かっていながら,色々な制約によって難しいことが現実です.ですので,今回のこの紹介が少しでも臨床場面に役に立てたらと思います.

最後まで読んでくださって,ありがとうございます.




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