うなり世代

ある教授が彼のホームページで言っていたのだが、彼が論文を書くのに、師匠の師匠に当たる人の論文を読んで、「昔の人は修行が違う」と思ったらしい。

今と昔では学問のやり方はかなり変わっている。昔はインターネットなんてなかったから、本を読むしかなかった。でもたいてい学術書は訳がわからんものばかり。だから、うなりながら、なんとか理解しようと励んでいた(はず、一発で理解する天才もいたのだろうけど)。

今はインターネットで分かりやすい解説が簡単に手に入る。もちろんそれは大歓迎で、わからないところを潰して知識をつけるのは簡単になった。でもそれは昔うなった人がいるから、うなりの産物を分けてもらっているだけかもしれない。

もちろん世界は変わっていく。そうすると、分かりやすい解説は、使えないものになってしまう。つまり、現実に起こる問題に対して非力になっていってしまう。そうした時に、また私たちはうなることができるだろうか?


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