ラジオ のはなし

屋根裏の物置部屋を掃除していたらこんなものを発掘しました。

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今はお笑いをやっている僕ですが、これでも小学校の頃から私立の学校に通うような、そんな教育熱心な家庭に生まれました。
そんな僕の小さい頃の夢は芸人、ではなく小児科医でした。先天性心疾患で生まれてきた僕は、自分と同じような子供を助けたい、とそう思ってました。小学生くらいの頃には、

東大理Ⅲに入るんだ!!!

って意気込んでた記憶があります。そんな片鱗今ではどこにもないですけど。

僕の通っていた小学校では4年生になると部活動が始まりました。
運動部はお医者さんから止められてたので4,5年生の時は理科部なる部活に入り、6年生の時は電気部なる部活に入りました。
この電気部は他の部活と違って、

3年間で1回しか入れない

というルールがありました。
なんかそんなところに惹かれたのかもしれません。

僕の小学校は女子校の付属校で男女比率は1:3、電気部に同じ学年の男の子は誰もいませんでした。でも偶然ってあるんですね、

幼稚園の頃から好きだった女の子も入ったんです!

(まぁ高校の時、某SNSで見つけて、アピールしすぎて彼氏が登場したけど。)

この電気部ですることは至って単純。

1年かけてラジオを作る!

です。ラジオを作ると言っても、市販のラジオキットをハンダ付けするというシンプルなものです。
ハンダゴテの持ち手と熱くなる部分を見間違えて思いっきり触ってしまい親指と中指が水脹れになったり、なんかふざけてはその好きだった子に笑ってもらったり、そんなこんなで1年が経ち、ラジオが完成!

でも、聞くことはありませんでした。

中学に入って半年ほど経った頃、叔父がiPodを貸してくれました。しかしパソコンを持ってなかった僕に曲を取り込む術はなく、はじめから入っていたものを聞くことしか出来ませんでした。
そこに入っていたのが当時番組の一部をpodcast配信していた伊集院光さんと爆笑問題さんのラジオでした。新しいpodcastを聞くことが出来なかった僕は、

このラジオを聞いてみよう!

そう思い、あのラジオを引っ張り出したのです。

それから毎夜毎夜ラジオを聞きました。

TBSラジオが大好きだった僕は一番聞きやすいところにマジックで線を書き、

ラジオの電池が切れた時は同じクラブ活動をした弟のラジオから電池を貰い、

片耳イヤホンが聞きづらくなれば買い直しました。

そしていつしか、壊れかけのRadioは、完全に壊れてしまいました。

このラジオのおかげで僕は伊集院光さんのことが大好きになり、大学で落研に入り、気づいたらお笑いを始めていました。
そんなことが一瞬にして思い出され、このラジオには感謝してもしきれないな、そう思いながら暑い屋根裏の物置部屋を掃除するのでした。

ご清聴ありがとうございました。