意識のスペクトル 2

更新途中 最新 7/11/20日(初回 7/4/20土)


2. 「影」の疎外としての「投影」

第7章は、「影の統合」とある。影とは、自己の疎外された局面である、影だから、我々はそれを認めたくないわけであり、それを疎外するということは、本当は自分の影であるにもかかわらずに、それを他人に投影してしまうということである。

あいつが嫌だ、我慢ができない。それは相手というよりも、自分の中にある影を、自分の人格に統合できなくて、相手に投影して、相手を責める。これはユング心理学でも言われていることじゃないのか。


1.本書の意義

読み指しの一巻を探していたが、見つからず、二巻を拾い読み。ケン・ウィルバーという人は、モリス・バーマンと近しい考え方なのかとも思う。

スペクトルは、帯域という事で、虹のようなグラデーションだ。意識も、意見や考え方は違うが、それはそうとアプローチの仕方が違うだけ、という事で、どれも同じという事で、その統合化の試みが本書じゃないのか?

そこら辺が、モリス・バーマンの『デカルトからベイトソンへ 世界の再魔術化』とは違う。それはカール・ユングの集合的無意識に対するバーマンの批判を読んでそう思った。ウィルバーの議論には、そこまでの議論はない。

一方で、この二人は、同じような系列に属する、従来の考え方を批判する人ではないのか。読みこなすのが大変であるが。