「僕のありのままを愛して欲しい」と思うのは愛情獲得手段の一種でもある

こんばんは。
梅田王子です。
今回は、あの悪名高き「僕のありのままを愛して欲しい」と思うのは、本能の一種であるというお話をしようと思います。

全てはおっぱいをもらうために始まった

恋愛テクニックを学ぶ上で、決まって足かせになるのが「僕のありのままを愛して欲しい」という欲求です。この気持ちはわかります。テクニックを使って女性を攻略しようというのは、どこか気がひけるものです。

しかし、その「僕のありのままを愛して欲しい」というのは、テクニックとは何が違うのでしょうか。
いいえ、これは立派なテクニックです。

「ありのままを愛して欲しい」というとき、その期待はどこにあるかというと、程度の差はあれ母性本能を刺激して、愛してもらおうという魂胆です。これは、全ての子育てをする動物に見られる、非常に古典的な母親への愛情獲得手段の一つです。

俺を愛せばやめてやるぞ作戦

「そんなことを聞いてくれるのはお前のお母さんくらいだ!」という返しがよく使われますが、まさにその通りで、「ありのままを愛して欲しい」は人間が最初に使うであろう母親への愛情獲得手段、つまりテクニックなのです。

しかし、この「ありのままを愛して欲しい」作戦に失敗した子供は、次に何を画策するのでしょうか。「ありのままを愛して欲しい作戦」は、いわば母親にオキシトシン(愛情ホルモン)の放出を促し快楽を与え、「俺を可愛がるとお前も幸せになれるだろ!」的な効果を狙ったものです。

これがダメなら、次は「やめて欲しければ俺を可愛がれ作戦」に移ります。つまり、泣き、叫び、わめき、母親が我慢に耐えかねて構ったことで「泣き止んであげる」というご褒美を与えるのです。
これが大人になっても止まないのが、不安型愛着スタイルというものです。

「ありのままを愛して欲しい」の賞味期限

そしてさらに、「やめて欲しければ俺を可愛がれ作戦」すらをも効果を奏しなかった場合、その子供は死亡します。免疫力などが極端に低下し、まるで穏やかな自殺をするかのように、どんどん個体としての生命力を失っていきます。
これが、ネグレクト(無視)による虐待死とされています。ネグレクトによる虐待死は、本当に些細な刺激で子供は死んでしまうのです。ニュースなどでは父親だか母親だかが、「殺すつもりはなかった」などと供述したということを聞いたこともあるかもしれませんが、それはあながち嘘でもないのでしょう。

しかし、これはあくまで子供の話です。大人になってまで「ありのままを愛して欲しい作戦」や、「やめて欲しければ俺を可愛がれ作戦」を使い続けるのは、さすがに無理があります。

ここにさえ気づけば、今更「ありのままを愛して欲しい作戦」をとること、ひいては「テクニックを使って女性を攻略しようというのはどこか気がひける」など、のたまうのも恥ずかしいという気がしてくると思います。

ありのままを「愛して」と異性として「愛して」の違い

テクニックなんて邪道だ、俺はありのままを愛してくれる女性を探すんだ!と言っていた「ありのままを愛して欲しい」という欲求も、実は愛情獲得作戦の一つであり、しかもそれが特に哺乳類にありがちな母親の母乳獲得作戦の延長にあるものとなれば、早急に大人の男が女性を魅了するための愛情獲得作戦に切り替えなければと思うものです。

私は、大人の男たるもの、女はちょっと優しくして口説くだけでイチコロ!これくらいの度量で真正面から正々堂々とアプローチするべきだとかれこれ10年にわたり実践を続けています。

実際のところ、こういうコテコテの、ギラギラした、古臭い価値観のようなアプローチが、時代を超えてうまくいきます。

愛せよ、さすれば愛される!

私の私感では、「ありのままを愛して欲しい作戦」を採っている男性は、「優しくて、料理もできて、身の回りの世話もしてくれて、さらにエッチもできるお母さん」が欲しいだけではないかと感じることがあり、これを女性に説明しても「わかる〜!」という反応を何度ももらっています。

いやいや、やはりですね、大人の男たるもの、女は男のために献身的に働き、ご褒美によしよしとエッチを与えて満足させて生きて行く。このスパイラルが基本です。愛して欲しいのではなく、愛してあげるのです。そうすると、女性もあなたを愛するようになります。

またバカみたいなこと言ってるように聞こえるでしょ。でも、これが現実というものなのです。

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