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FX大きな勘違い②【誰もあなたを見ていないが、あなたは誰かを気にして見ている。人に見られることに反応する自分を恥じても、どうすることも出来ない事実に行き当たる論】

FXを始めてかれこれ3年が経過するにも関わらず、私は負けている。いや正確に言うと負け続けている。いや、自分的に大負けている。トントンならまだしも、負けている。間違いなく負け組である。そんな私は負け旅を続けている私はなぜ続けているのか?

【値動きと感情】について語ってみる

物事をついた時、私は誰かを気にしていた。そしてそれは誰かは私を気にしているのだと思っていた。しかしそれは大いなる勘違いだと気づく。

期待と恐怖が支配する感情の起伏を表現した大衆芸術

STORY

マルチフレーム分析なる難しい用語がある。例えとして”森を見て、林を見て、木を見る”である。森は林の集合体であり、林は木の集合体。”木を見て森を見ず”であるが、そもそも私はわかっているようでわかっていなかった。

問題は個ではなく、個になる経緯

経緯とは成長過程。成長過程というのは、STORYである。日足を4時間足で見ると日足のストーリーが見えてくるさらに時間足を1時間、15分と見ていくと、どうやってこの足ができあがったかが見えてくる。さらにそこには起承転結が明確に出ている。どこで起こり、どう動いて、どう終わったのか。

どうでも良い事だが、世間様に溢れかえっている"正義"これがFXをやる上で非常にやっかいである。ただでさえ、正義概念は個人によって違うのに、さらに感情が加わり、時にすったもんだの大騒ぎである。精神論や感情論がその度に持ち上がり、日頃の生活同様、3日後には全て忘れている。そう考えると、何故にそこまで感情的になったのか、摩訶不可思議である。しかしその会あってか、今日もまた日足は確定した。

翌日、前日の日足を見て"なるほどね"と適当に自分を納得させ、今日も1日が始まる。

人の感情は読めない。この当たり前が値動きであると私は感じるのである。前日の上下運動は皆々様の感情の起伏を表した。個人レベルでは影響はない様に見えるが、それこそ選挙の1票の重みである。"いやいや待てよ!"と突っ込む理由を資金力だとしてもだ、どこぞの誰かの感情がその時無ければ、日足は一方向に"まっしぐら"である。

よくヒゲなのか実体なのかというライン引き問題が浮上する。自分なりの解釈としてはヒゲである。ヒゲはSTORYの一部と考えると自ずとそうなる。ヒゲ先かどうかは、個人の好みだと思う。私の場合は”ヒゲも含む”と言った感じである。実際FXをやり始めの頃、実体かヒゲかに悩んだこともあったが、いづれそんなことどうでも良くなった、、、。

どうでもよくなるといえば、初心者にありがちな〝エントリーの度に逆行現象。まるで誰かに見られている?”である。結論から言おう、これは見られているかも?ではなく実際見ているのである。しかし断っておくが、あなたを見ているわけではない。無論操作されていると疑うのであれば、悪いことは言わない、即刻辞めるべきである。FXには、定石みたいな言葉が多い。にも関わらず、絶対はないとか矛盾的な言葉も多い。つまりは説明できない世界である。

たまに理由探しの壮大な旅に出かける人たちを心から敬意を表す。私は正直、理由は知りたくない。何故なら他人の感情理由を聞きたいか?と言う事と、相手は友人知人ではなく、”誰か”であることに加え、金を払い納得せざる得ない状況追い込まれたくないからである。(傷は傷であり、それ以上も以下もない)

んで、何?

文章の才能のなさに半ば嫌気がさしつつも、まとめなければと思いつつも、ここまで読んでくれた方には申し訳ないと思いつつ、結局私は3年間FXをやっているわけではあるが、途中から勝ちにこだわるのをやめた。

嘘である。

勝ちにはもっとこだわる様になった。しかし3年間やってきた事を考えると、内心これで良いのかといつも思う。聖杯探しとは”聖杯がないことを知ることだ”と誰かが言っていたが、今でも言っていることがよくわからない。てか、何故に聖杯なのか?聖杯という言葉でないといけない理由でもあるのか?

漠然とFXをやって来たようなフワフワな状態である。たまにアドバイス的なことを言われると、心からありがたく思う。そしてその人は心からスゴイ人であると言える。他人に無関心であるFXの中で他人に関心することは、まさに奇跡。ゼロサムゲームの中でもしも人間性が無いのであれば、最後に勝った人はどうなるのだろう。

誰もあなたを見ていないが、あなたは誰かを気にして見ている。人に見られることに反応する自分を恥じても、どうすることも出来ない事実に行き当たる

今日もFXやろーっと。




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