諸々の言い訳です

定期的に、LINEをアンインストールする。別にLINEに不満があるとか、ムカつくとか、そう言うことではない。

昔から、たまに文面での会話ができなくなることがある。
これはメンタルヘルスとリンクしている。体調が悪くなると、身体の健康に心が引っ張られて、メンタルに不調をきたす。すると、LINE然りTwitterしかり、人様に文章で返事ができなくなる。既読をつけることもしたくなくなる。
無理に返事をしようとして、吐いたことは一度や二度ではない。こうなったときは相手に悪いと思いながらも、無視をしてしまう。

返事ができなくなるゾーンに入ってしまうと、とにかく文字で会話ができない。文章が思いつかないのではなく、その逆で、なにかにつけて長文になってしまうのである。
私はこれを「アウトプット発作」と呼んでいる。随分前に思いついた造語だけれど、もし同じ感覚を持っている人がいたら、同じ呼び方をしているかもしれない。

思っていることを相手に伝えるとき、口で話すと、気持ちは音になる。音はとても素早く通り過ぎるから、ダラダラ喋っても、せいぜい十分かそこらしか時間を取らない。
しかしこれが文章になると話は変わってくる。文字は、音ほど速くない。ずっとそこにあって、速読の達人でもない限り、素早く通り過ぎることはない。

ちょっとしたことを伝えたいだけのとき、例えば「はい」か「いいえ」かの返事をしたいだけであっても、「発作」が起きたときは、平気で五〇〇〇文字ほど書いてしまう。
言葉の取捨選択が出来なくなって、話題は樹形図のように広がる。自分ではどうしようもできない。

長い文章を打つのは疲れる。文章を考えるのに脳を使うからだ。
やがて返事をするのが億劫になる。すると、返事をしなくなる。

メールは良い。会話をしていても、画面の上では相互的に一方通行だ。
でも、LINEやTwitterは、相手のレスポンスと自分の言葉がツリーになっていて、後から振り返って見ることができるので、返事ができない。
理由とか原理とかはよくわかっていない。とにかく脳がパンクするので、そもそも会話の画面を見れなくなる。

「アウトプット発作」は、放置すると口での会話にも影響を及ぼしてくる。口がきけなくなる。言葉が濁流のように押し寄せるので、いよいよ収拾がつかなくなるのだ。
だから文章が打てないフェーズの間に、なんとかしなければならない。

今までの経験上、こうなったときの対処法はわかっている。
とにかく、思ったことを文字ないし漫画に起こして、身体の中から出すのである。

そういうわけで、私は日記の漫画を描く。たまにnoteを更新するし、Twitterでもしょっちゅう駄弁る。勿論、ただ思いついたから書きたいと言うだけのことがほとんどなのだけれど、中には「発作」によって生み出されたものもある。
自分の健康のためにやっている。

このnoteも、昨日書いた記事も、私の頭の中を占拠して出ていかない言葉を、無理やり文章にして押し出している。そうしないといつまで経っても文章で会話ができないままだから、そうする。


だからどうと言うわけでもないが、自分の健康のために書いた。校正は、気が向いたらする。
同じ発作のある人は、こんなふうに、文字に起こすと良いと思う。

TwitterもLINEも、返事をしなくてごめんなさい。そろそろ今回の発作がなんとかなります。
お返事します。毎回なにかにつけて返信が遅くてごめんなさい。

お友達へ。私は生きてるか死んでるかわかんないくらい返事が遅い時があるのに、それでも友達でいてくれてありがとう。

おしまい。

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