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砂塚あきらに「ありがとう」と言われた話

〜初めに〜


この記事は、読者がアイドルマスターシンデレラガールズというタイトルのコンテンツ内容を一定理解されている前提で作成されています。
また、「シンデレラガール総選挙」に関する考え方など、記事の内容は私個人の意見や見解であり、このコンテンツのあり方そのものを総括して現す目的はありません。


〜前提〜


コンテンツの出会いと思い出は、偶然で鮮烈で、特別である。


思えば、砂塚あきらとの出会いはデレステの「お願い!シンデレラ」のMVだった。

厳密に言えば、彼女との出会いはどこかのライブの「業務連絡」(という名のサプライズ報告)で発表された「7人の新アイドル登場」発表の中にいたシルエットの1人だった。その当時は、サプライズの当事者では無い、完全に他人事だった。

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その発表がなされた帰り道で、「いやー、新キャラを出すことで新しい風を吹かせようとしてるんかねー」などと呑気に言っていたことを今でも覚えている。
その時、「他に声がついていないアイドルもいるけど、どういう風になるんだろうね」と返事を返した友達、否、現、夢見りあむオタクは、先日のライブで情緒が不安定になっていた。
他人事が自分事になるということは、得てしてそういうものである。


他人事の延長線上にいた自分の当時の推したちには、その入口が既に過去のプロデューサーたちによって築かれた軌道の上に乗っかっていた(ニュアンスとして意図なく伝わってほしい)事もあり、総じて声がついていた。

アニデレがこのコンテンツの入口だった自分にとって。
アニメの直後になされたライブで登場したアイドルが全てであった自分にとって。
密に触れ合う機会があったのは、そこにいた彼女たちであった。

だからこそ言葉を選ばずに正直に言うのであれば、推しに声がついていたことは「スタンダード」であり、併せて「担当に声がついていないという状態ではなかった」という事実の裏返しでもある。

「事実としては理解していても、そこに対する本質的な理解は当事者にならないとわかることがない」という言葉はこれこそ事実であり、真理である。
ただし、その扉を叩く機会は当事者にならないと至らないものである。


そんな業務連絡から少し経ち。
今から約3年前の春先に、砂塚あきらは、3Dモデルを引っさげてデレステのプレゼントボックスに入っていた。
思えば、本当に気まぐれで開いたプレゼントボックスにいたNというレアリティの彼女を自分の事務所に迎え入れ、これもまた偶然に「お願い!シンデレラ」のMVのセンターに据えたことが全ての始まりであった。 


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コンテンツの出会いは、偶然で鮮烈である。

そのMVの最後、暗転する中、どこか少し恥ずかしげに目線を外す彼女を見た時、正しく自分はヘッドショットで撃ち抜かれた。


自分自身のエモポイント(?)は、今でも正確に理解できていない。
特定の属性にエモさを感じる訳でも無いのか、自分の今までの推しキャラは属性も性格も、見た目も中身も全然違う。
なにか、自分の琴線に触れる何かがあった時、激しくそれに傾向するタイプなのだろうか。とにかく、砂塚あきらに推し量れないなにかを感じてしまったということだけは事実であり、"激しく動揺"したことを覚えている。
これからこのコンテンツを歩んでいく彼女に、暗転したステージに佇みながら目線を逸らす彼女に、何か惹かれるものがあったのだろうか。

そして、そこに存在していた"動揺"には、自分の中にある「シンデレラガール総選挙」への拘りの無さということもひとつの要因であると考えている。



シンデレラガールズというコンテンツにおいて、「担当にボイスを付ける」ということはひとつの目標だろう。
このコンテンツの取り扱う題材、「歌って踊るアイドル」という特性上、その2次元コンテンツに奥行を与え、顕在化するための存在として、ボイスならびに声優という媒体はどうしても必要となると考えている。

ボイスという顕在化のための権利の享受は、サプライズ(という名のコンテンツ展開のための施策)と、「シンデレラガール総選挙」での楽曲提供が暗黙の了解となっている。
その中で、楽曲提供条件を満たす(=ボイスが付く)ための上位入賞が、このイベントの大きな目的とされていることは事実である。

一方、「シンデレラガール総選挙」そのものの本質的な意義はそこでは無い。
あくまでも、その年のセンターになりうる存在を決めるためのイベントであり、1位になったキャラには文字通り「シンデレラガール」の称号が与えられ、センターに相応しい様々な特典を得ることとなる。

形式上(というかそれが大目的になるか)、全てのプロデューサーは、それを目指して自担当に向けた活動を行っていくこととなる。


勿論、その称号の重さや大切さは当初から理解していた。が、その営みに対して自分は当事者ではなかった。
身も蓋もない話ではあるが、特定のキャラ1人を強く推すことではなく、どの推しも平等に推していた自分にとって、センターを決める理由がなかったということ、そして、このイベントは「ボイスを付けるという意味合いが大きいと考えていた」ことが要因である。
(もちろん、上位入賞が今後のコンテンツ展開に大きな影響を与えることについても暗黙の了解であったため、無料で得られる投票券を推しキャラに投入する程度の行動は起こしていた。)

そんなスタンスであった自分が、ボイスが付いていなかった砂塚あきらへの権利の付与としての手段としてシンデレラガール総選挙と向き合う当事者になった際、思い出すのは周りのプロデューサー達である。

その権利を勝ち取るためには、生み出される宣伝用自作コンテンツ、同じ担当を抱えるプロデューサー同士のチームとしての統率力、そして勿論自分自身による投票行為などの、非常に丁寧かつ熱意のあるセールスが必要である事など、周りの真摯な姿勢を見ていれば嫌というほど分かる。

その姿勢と比較した時、このイベントに対する自分の対外的な無力さを実感する。
せいぜい声優のイベントに参加し、ルポを書く程度の活動しか行っていなかった自分から、対外的に発信できることなど何も無いのだ。
せいぜい、周りのオタク達に砂塚への投票をお願い申し上げる程度のアピールを行い、蓋を開けてみれば、彼女の姿はボイス圏内はおろか、結果発表で確認ができる圏内にも存在していなかった。


ここまで偉そうにシンデレラガール総選挙に対するスタンスを書いてはいたが、正直舐めていた。


「いやー、いうて新登場して注目されている新キャラだし、いい所まで行くんじゃないか?」なんて思っていた当初の甘い自分は、酷く頭を抱えた。

マジョリティを勝ち取るためには、自身の「好き」という気持ちだけでどうにかできる問題ではない。
その事実を再認識した。


それと同時に、酷く落ち込んでいる自分に対して、「お前を応援するためにも来年は票を入れてあげるね」「これだけ想ってくれてるプロデューサーがいるサメちゃん(砂塚あきらのこと)は幸せだね」と言ってくれた当時の友人たちには頭が上がらない。

何度も言うが、このイベントに対する向き合い方は人それぞれである。
だからこそ、目的を持って向き合っている時の熱意は、他から見ても少しは感じてくれる何かがあるのかもしれない。


そんな中、その翌年に開催された「ボイスオーディション総選挙」は渡りに船だったのかもしれない。

シンデレラガール総選挙では、先述した通りふたつの目的が内在しているが、「ボイスを獲得する権利」という目的を切り出してくれた分、これなら彼女のポテンシャルを信じてくれる誰かの期待が付帯されるかもしれない。
気の利いたことは相変わらず何もできなかったが、自分のできる全てのことはやったような気がする。


そして、忘れもしないボイスオーディション総選挙の発表日。

そこに彼女は、皆の思いや期待が乗ったからか、砂塚あきらは2位という位置に存在していた。(発表された際は家の床に転がって濃いめの咆哮を出したことを覚えている。)

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結局、この営みの最適解など分からない、
ただ、彼女自身の力と、他のプロデューサーの献身的なセールスによって、彼女はボイスを獲得することができたという事実がとにかく有難かった。

特に印象的だったのが、「自分も砂塚というキャラが気になって投票したよ!」と感想を残していたほかの担当(マジョリティ)の数多の感想だった。
たまたま色んな要素が噛み合って(特にボイス総選挙という機会に恵まれて)、砂塚あきら担当の多くが期待していた結果を獲得することができたのだと考えている。


それから数ヶ月後、遂に砂塚あきらがボイスを引っ提げて、モバマスに登場した。
CVは富田美憂さん。
普段、一般人以上オタク未満にアニメを見る自分でも知っている(というか出演作をいくつも拝見したことがある)ビッグネームである。

いつかどこかで見たことがある富田さんのインタビュー記事で、役や仕事に対してストイックな方である印象は持っていた。
富田さんへの感謝の思いと、砂塚あきらに対してどのように向き合ってくれるのだろうかという期待の感情を持ちながら、モバマスで実装されたボイスを聴いて「俺の脳内から声が出とる…」等と限界化したことを今でも覚えている。

https://ddnavi.com/interview/940180/a/


〜本題〜


…時は移り、砂塚あきらのことを語るにはとても多くのイベントや楽曲を提供された上で迎えた、2022年4月3日。
ベルーナドームに来ると、2015年の夏に開催された無印10thを思い出す。
砂塚あきらが登壇するか分からない会場で、ボイス総選挙の時と同じく、ただただ砂塚あきらの登場を祈る自分がここにいた。

昨年末の愛知で見た砂塚あきらの姿は、とにかく印象的で鮮烈だった。
昨今のご時世もあり、ずっとライブビューイングの形で立っていた彼女は、開催延期となった愛知に君臨し、その時会場にいた全ての人間を#HE4DSHOTした
(ここでの思い出を語り出すと本当に終わらなくなってしまうので、ここは割愛させて頂きたい)。

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愛知でソロ曲を聴くことができた。デレステ周年曲でセンターにいる姿だって見ることができた。

でも、本当の自分のワガママがまだ叶えられていない。砂塚あきらがボイスを獲得した時、その時隣にいた辻野あかり、桐生つかさと歌う、彼女の初めてのユニット曲を、現地で見たいというワガママを。 


昨日のDay1では登場しなかった。来てくれるとするなら、今日。
確証はない。仮に登壇しても、それを披露してくれる確証なんてどこにもない。
そんな不安と僅かながらの希望を持っていたときに。


Go Just Go。

砂塚あきらはステージに君臨した。
#ユニ募のメンバーと、その当時のボイス総選挙で選出されたメンバーと共に。

「同期組はずっと長い付き合いになるし、思い入れも強くなるよ。」そう言っていた友人を思いだしていた。
これを運営は、「友情」という形で繋いで、紡いでくれたようだ。 


True colors。

そこには、新規登場組の姿があった。

当時、プロデューサー達から色んな声があった。
「自分の足で歩けよ」という声もあった。
今もその思いを抱えている人も少なからずいるだろう。砂塚だって、言ってしまえばその波に乗ることができた1人だと括ってしまうこともできるだろう。

でもそこには、七色を背負って立っている彼女達の姿があった。

最後に、「ありがとうございました」と頭を下げた彼女たちが背負っているものの重さを推し量ることしかできないが、とても綺麗で、大切なものであると感じることしかできなかった。


Day2は、シンデレラガールズの歩んできたコンテンツの代表曲がピックアップされていた。
「シンデレラガール総選挙」の括りの中に、自分のワガママは存在していなかった。

でもまぁ仕方がない。ここはシンデレラガールズの歩んできた歴史を振り返る場である。彼女たちが声を紡いで立った記念配信、そして配信だけになってしまった9thでも、その曲は披露されてきたじゃないか。そう思っていた。


自分が一番好きなフェーズがある。

"Hello, Brand New myself!"

「新しい自分に出会う」という歌詞。 


10thというアニバーサリーで、結果的に多くの得票数を獲得したこの曲を握りしめて、彼女たちは颯爽と登場した。 


Brand New!


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どうやら、彼女(たち)が獲得していたマジョリティは、自分が想像していたよりはるか前へ、前へと推し進めてくれていた様だ。

声にもならない声を挙げて、ただただ前を見つめるしか無かった。
キラキラと輝く姿を、楽しそうに歌う彼女たちを、ようやくこの形で見ることができた。
新しい波は、誰にも邪魔されずに、前へ前へと進んでくれればいい。
その思いしかない。


そうして迎えた最終パート、そこには、今日登場した全てのアイドルたちがステージ上に立っていた。


always。
全てのアイドルが、想いを伝えてくれる曲。


思わず姿を探す。ふと自分の位置からステージの真正面を見てみる。


いた。

そこに、自分の真正面で、ありがとうを伝える彼女がいた。

聴きながら、目が離せなかった。


コンテンツの思い出は、特別である。


鮮烈に出会った時。総選挙に姿を見せられなかった時。オーディションで声がついた時。そこから様々な活躍を見せてくれた時々を思い出していた。

そして、今。砂塚あきらが、ありがとうと言ってくれる#この瞬間を全て「楽しんで」いくしかない。

これからも、シンデレラガールズというコンテンツとともに、彼女の物語は進んでいくだろう。


自分にできることは多くはない。でも、彼女の言葉を借りるなら「自分を応援してくれる人がいることが、自分にとってのNo,1だ」と言うのであれば、その気持ちを絶やさない事が1番なのだと信じている。

今一度、このコンテンツと向き合っていくという気持ちを抱えながら。なにより、演じてくださる富田美憂さんに感謝の思いを持ちながら。
このコンテンツを全力で楽しんでいこうと思った。


特にまとまりか無い形になってしまったが、以上とさせていただきたい。ここまで稚拙、乱文に付き合ってくださった皆様に感謝申し上げる。


最後に、感謝の意を込めて。

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