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学歴ロンダリングという言葉を使う人の学歴はだいたい学部卒以下

カフェイン離脱と闘いながらタイムラインを眺めていたら「学歴ロンダリング」という言葉がトレンドに上がっていました。

ロンダリング(laundering)は「洗濯する」という意味です。 学歴を選択し、洗濯したくなった人が、きちんと入学試験を受けて、まともな年数で学位取って卒業したのであれば、それはよい洗濯。 そもそも入学難度ですべてを見る偏見側による言葉なので。

学歴ロンダリングという言葉を使う人の学歴はだいたい学部卒以下

僕が「学歴ロンダリング」という言葉を直接聴いた数少ない(?)観測に過ぎませんが、この言葉を使う人の学歴は「だいたい学部卒以下」であることが多いです。異論は認めます。
資金洗浄的な意味での「ロンダリング」という言葉を使っていると想像しますが、その視点には「学歴」に対する一定の偏見がある。
それは「受験難度が高い=よい」という偏見。
ゆえに、受験難度が高い入学試験を回避してきた人に対する攻撃的な意味でこういう言葉を使ってきているのかなと想像します。

でも、そういう言葉を使う人は他人を攻撃する必要は本来ないのですよね、なぜならその人の学力、相対能力は18歳の大学受験のタイミングで頂点を迎えているので頭が良かったのは証明されているわけではないですか。でも「学歴」として日本語で書ける学歴って、中学卒業、高校卒業、専門学校、高等専門学校、大学学部入学あたりが「学歴」を気にする方々で、あとは大学院で修士、博士、といった高等教育。「研究の世界での実力」つまり論文の本数とかで測られます。海外大学のように一定の受験難度で測りづらい尺度の方々もいらっしゃいます。博士を複数の分野で取得している人もいらっしゃいます。
「学歴ロンダリング」っていう言葉を使える人は、こういう「研究者としての実力」を本気で測られたことがない立場、もしくはそのような実力を持つ外部進学者に脅威を抱きつつも、それなりに教養や良識が低くないと難しい。「世間の本当の実力」を知らないうちでしか使えない、もしくはある程度の学閥に支えられた文化圏でしか通用しない価値観によって生まれるスラングである感じがします。たとえば昭和平成の気風が強いJTC企業の中で「学歴そのものに懐疑的」な大人たちとか。でも、この手の言葉を使いたがる人たちって、そういう学歴ブランドの中での傷のなめあいであって、そういう人はそもそも「この言葉が他者を傷つける」という言葉の意味自体を理解していない事もありますよね。
そういう人がネットで溜飲を下げているだけの話で。

次は貴様がこうなる番だ!

この手の話題でよく言われる、高専生→国立大学学部編入→東大院、みたいなロンダリングですが、それは学歴ロンダリングとは言わずに、キャリアアップなんだと思います。

伊藤先生が2014年にこんな金言をつぶやいていらっしゃいました。

「次は貴様がこうなる番だ。」っていうセリフは誰に向かっているのかわかりませんけど、自分の子供にはそう教えているひとはけっこう居ますね。


学位を金で買った、とかならまだ差別的に呼ばれるのもわかるんですけど(英語ではPrivilege Launderingとかいう)、実際、入学試験や卒業研究をきちんと受けてロンダリングする場合、優秀だからそういうキャリアアップが取れるんであって、仮にたかし君が16歳で高専生になり(この時点ですでに、全中学卒業生の1%の逸材です)その中で、大学編入が可能になるラインにいる高専生って、けっこう上澄み層なんですよね。

「センター試験受けてないだろ、二次試験も受けてないだろ」っていうお気持ちもわかるんですけど、「マークシートのセンター試験が苦手だ!」「こんなもんで18歳時点で自分の人生を決められたら辛い」という自覚を持った人材が居たとして、それが自分だったら、ジタバタするのが正しいと思うんです。誰かに迷惑かけるわけでもなし。

同じように、私立大学から国立大学の院に行く人、国立大学から更に受験難度高い国立大学の院に行く人、さらに大学入学資格検定(大検)や高等学校卒業程度認定試験から大学や大学院に行く人たち、これらは「学歴ロンダリング」と呼ぶ人はいるかも知れませんが、実際には「勉強したい人」です。

学歴を抹消したいなら、言ったり書いたりしなければいいのです。
受験勉強はキツく、人によっては性格を歪められる人もいると思うのですが、それによって他者の学びを阻害してしまうのはよいことだとはおもいません。

実際に受験難度が高い高等教育機関には「そういう偏見」をもった人々もたくさんいます。むしろ、学歴に対してプライドがない人はそのような偏見も持たないでしょう。どこの大学でもいいのだし、どの学位でもいいのでしょうから…。

本当に優秀な人は「早く出る」

「学歴ロンダリング」と言われたとして、不快な思いを抱くことをゼロにすることは難しいでしょう。しかし「その違和感」は自分の研究や卒業までの期間で帳消しにすることができます。
高等教育機関においては、「優秀な人」はテストで測れる能力だけではありません。むしろテストや面接で測れるのは入学(アドミッション)までの能力です。
では本当に優秀な人は?それは実は簡単です。
「できるだけ速く/早く学位を取って卒業すること」だと思います。
ゆっくり時間をかけねばできない研究テーマもあるでしょう。どんなテーマを選ぶことになるのかは指導教員との二人三脚ですし、大志を抱く大物であればあるほど大きなテーマを選びがちです。「3年で出られればいいね…」という博士課程の指導教員もたくさんいます。
ですが「できるだけ早く学位を取って次のステップに進む」、という基本原則で大学院以降のキャリアを見てみると、いろんなことが見えてきます。

もちろんそうでないキャリアもあって良い

その大学の教員になりたい、つまり助手などのアカデミックポストに就きたい、という気持ちがある場合、これはなかなか難しいです。生え抜きのスタッフが求められる場合は、学歴ロンダリングは評価の中でも実際の仕事の中でもデメリットがあります。例えば先生になると「学部1-2年生の授業をもってください」とか「センター試験の監督をしてください」とか、「入学試験や定期試験の問題を作ってください」といった業務が降ってきます。そういった業務を「生え抜きの学生」と「外部からの進学者」であればどちらに任せるだろうか?2つの履歴書があったらどちらを採用するだろうか?
これは、偏見とか平等でない、とかではなく、合理的な選択になると思います。まあ本当に優秀な人は、そういうのも、やれてしまうんですけどね。

「学歴」はあなたにとって何なのか?のほうがむしろ重要

自分は東京工芸大学という私立大学で学部(写真工学)と修士(画像工学)を出たのですが、それは「写真大学」で写真を学びたかったから、そして修士はコンピュータグラフィックス、VRを研究したかったから、なのです。センター試験も受けました。貧乏だったので新聞配達のバイトで生計を立てながら予備校や受験費用を自分で準備していたので遠回りをしてしまいました。高専という仕組みがあることを知っていたら進路が変わったかもしれませんが、自分が生まれ育った街や文化には工業高校はあっても高専はありませんでした。

ロンダリングしたい過去があるとしたら、そういう出身環境の話であって、それこそ貧乏とか親のDVとかで差別をしている言葉なんですよね。
まあでも幸せで何の苦労もなく育った人にはわからんだろうしなあ。

社会人になってお金をためて、ゲーム開発で一発充てたお金をもって、奥さんを説得して、東京工業大学という国立大学で知能システム科学を学びました。

僕が大学受験をした頃にはインターネットがまだ知られていなかった頃なので「情報」という分野自体が受験の学部学科選びにありませんでした。博士課程を受験する頃にはインターネットどころか情報産業が有象無象に存在していました。ほんのちょっとのタイミングのズレが、人生に大きな分岐点をつくることは割とよくあると思います。

でも「本人が好きならどんな環境に居ても、やることはやる、学びたい学びは学ぶ」と思います。受験の学部学科選びとか合否とか、出会った先生が気に入らないとか、あの学科に進学する奴は性格が悪いから近づかないでおこう…とかで自分の人生の選択肢を自分で変えることは、あまりおすすめしません。自分の努力を棚に上げて他人のせいにする人生が続けば続くほど、他者のキャリア戦略に唾を吐きたくなる可能性は高まります。

MARCHに通いながら、デジハリでデジタルコンテンツを学ぶ人とか、東大医学部とデジハリもいるし、社会人大学院で論文デビューする人もいます。

「学歴ロンダリング」を口にする人はかわいそう。

「学歴ロンダリング」という言葉を口にする人たちは、どこかに悲哀があります。学歴が大事なのですよね。そういった世界もわかります。でも他者に唾吐く影があります。

美しく返す言葉は「ロンダリングしてきれいになったので、僕もこの学友として混ぜてください」というセリフとにこやかな笑み、それしかないなと思います。相手を傷つけずに、リスペクトと爽やかさで返したい。

そこで得た「学歴」が、自分の履歴書から消したくなるような最悪の学歴にならないように、学問に対して真摯に向き合うことがまず大事でしょうし、その後の人生においてもその学歴が助けてくれることもあります。多くは「助けるぜ」といって助けてくれることよりも、「世間の偏見」をかわすぐらいの意味しかありません。

「学歴」はあなたにとって何なのか?のほうがむしろ重要です。
Ph.DなのかDr.Eなのか博士(工学)なのか?
医学部出の人に聞いたら「博士」の学位だって、医者にとっては意味が違う。日本で「PhD」や「医学博士」(医博; イハク)と名乗ることができるのは、医学部6年間を卒業した上で、大学院の博士課程の4年間を修了した者、ということであって「イハクではあるが医師ではない」という人という扱い。「学歴」は当然どこの大学を出たか、はとても重要だしロンダリングとか生易しいものではない。国家試験のほうが大事ってのは弁護士とかも同様ですね。学歴は当然のようにある世界って、大変なんだろうな。

複数の環境を知っている人こそが価値

僕の場合はどうでしょうか?
知能システム科学と写真工学、画像工学という複数の分野を学んできたからこそ、できる分野に関わっています。
僕の知人では、稲見昌彦先生というVR分野で有名な先生がいらっしゃいます。彼は出身は東京工業大学です。学部は生物系でした。ロボット技術研究会という部活でロボコンに挑戦する若者でしたが、IVRCというコンテストで初代優勝をしたきっかけで、スーパーバイオの研究者から東大の院に引っ越しをします。これを学歴ロンダリングと呼びますか?

そういえば某東大計数工学の先生方は「必ず外の環境に出す」という習慣があるそうです。東大から東大を学ぶだけでなく、他大学や研究所、海外大を学ばない限りは上の職位にはつけないそうな。
キャリアの洗浄というよりキャリアの戦場ですなあ。

優秀な人ほど、早く学ぶ。
そして、いっぱい学んで、世間にその知を還元するんだと思います。
それでいいじゃないですか。

Geminiのツッコミ:
「学歴ロンダリング」論争にAIが参戦! 大事なのは「学び続ける姿勢」だ!

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569字
このマガジンは、こんな方におすすめです: ・テクノロジーと感情の関係性に興味がある方 ・VR、AR、AIなどの最新技術に関心のある方 ・人間の気持ちや関係性について考えるのが好きな方 ・日常生活の中に小さな幸せを見つけたい方 ・技術の進歩に少し不安を感じている方 ・人生の様々な場面で、ちょっとした励ましが欲しい方 831円という数字に、温かい気持ちを込めました。肩の力を抜いて、一緒に人間らしさについて考えてみませんか?

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