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「にげる」からは逃げられない。

とあるゲーム開発者さんのブログを見かけて、
いろんなことを思い出してしまった。

◼️一度「逃げる」と、その後の人生のあらゆる場面の選択肢に「逃げる」という選択肢が増えてしまう|えんお


ゲーム開発者さんらしい考え方だと思う。
逃げてたらゲームは完成しないから。

人生の前半ステージで「にげる」を選ぶと、その後ぜんぜん経験値が手に入らなくなって詰む…と各種RPGで学んだっけ。

今日は、自分の少ない経験で、
逃げた方がいい話と、逃げない方がいい話をしたいと思う。

息子世代に。
語ると長くなるので軽い読み物にしておく。
でもたぶん読む人を選ぶので、最後まで読めた人は、どうかしている。家族ぐらい近い人じゃないと共感できないと思うので、勘違いでも共感できたらシェアしてほしい。

逃げるは恥だが役に立つ、ってアレ。

平成の終わり頃に「逃げ恥」というドラマが流行った。漫画原作。
大人になって、男女も順序も距離感も覚えて、それでもモラハラとかは平気で起きてしまう。
離婚とか結婚とかの前に、時には逃げるも役に立つと思う。これは本当。

逃げ方も大事だと思う。
「逃げます!」って言って逃げるのと
「逃げません!」って言って逃げるのは
嘘をついている分だけ後者の方が罪深い。
逃げると思ったら逃げる。何も言わずに逃げよう。

逃げる方は、罪とか関係なく、自分のことを被害者だと思っている。
だけど逃げ終わったら、一旦、おちついて。
「自分は世間的には被害者っぽいけど、実際には自分は加害者でモラハラの原因を作っている側でもある」そういう自覚を持ってみて欲しい。
「逃げ恥」はガッキーが可愛いけど、モラハラの温床だらけで思い出すだけでゾワゾワする。
でも安全なところまで逃げないと、そういうことも考えられない。

逃げるとか逃げないとか

逃げるとか逃げないとか、言葉として面白い。

逃がす方も逃がす方で、

「逃げてもいいよ!
ホント、逃げてもいいよ!
まじで逃げていいよ!!」

みたいなのはモラハラの始まりで

「逃げろ!逃げて!」が死亡フラグ立つやつで

「逃げな」
ってのが逃げても愛しているやばいやつだな
いわゆるストーカーのはじまりだ。

「逃さないよ」というのも間違いだろうし
もう無言で「好きにすれば」って言ってあげるのが
ふつうの男子がたしなみとして身につけてるやつだと思う。

もっと経験ある男性だと、
「まあ2ヶ月ぐらいはかかるかな?」ぐらいの余裕で見てたりする。
ふつうはフラれるとおもうけどね、そうでもないらしい。
モラハラと信頼と依存は紙一重なのだな

人生はチャプター制なときもある

男子の多くはそんなモラハラ人生をあたりまえに生きている横で、
女子の人生はそうはいかない。
(うちの奥さんを例に挙げるとたぶん怒られるが、例に挙げなくても怒られるので例え話すると)昭和のJTCに勤める私というパートナーと一緒になったばかりに、結婚して離職したり、苦労して再就職したかと思えば、転勤に付き合って離職したり、転居したり、転職したり、海外在住したりしたので、経験値を貯めようにも同じ軸や職では積み上げられなかった、本当にごめんなさい。JTCな会社や社会に代わってお詫びします。

「愛してる」とかそんな言葉で満たされているうちはまだ新婚が終わってない。
加えて子育て時代なんて、セクハラ、モラハラに加えて、子供はパワハラの塊。
「愛があるから」みたいな気持ちになれるならともかく、乳児保育と子育てと教育は求められるスキルレベルが違う。まじでワンオペ専業主婦というプロ職業を選択した女性の人生はハードモードだ。

そのぶん家事スキルはかなわないのだけど。
その代わり、1/10ぐらいでも家事スキルを発揮したり、子育てと教育は父が担当している。あとは株取引を教えてあげているのもあって、奥さんは誰かのパワハラやセクハラに耐えて労働しなくても食えていける。

縁起でもない例えだけど、
もう僕自身が死んでも誰も困らない家計が出来上がっている。もう子育てもほぼ終わったし。

つまり僕は「人生から逃げてもいい」のかもしれない。
逃げる理由がないのだけど。

経験値を自由に集める自由から逃げる自由

経験値を好きな時に稼ぎ、好きな時に成長できる、
そういう時代は良い。高度経済成長期のようだ。
もちろんそこから逃げることもできる。そういう自由がある。
まるで1980年代の「なんとなくクリスタル」、そういう自由が20代前半はある。
無風の海上にヨットの帆を張っても、行きたい方向に進める。
モラトリアムに過ごしてもいいし、頑張って稼いでもいい。周囲に揉まれながら頑張っているうちに頭角を発揮したりするのが普通の優等生だし、野生の優秀なタイプは思った時にはやっている。

30代ぐらいになるとだいぶ様相は変わってくる。
男女の逃げる逃げないと、承認欲求と、モラハラはほぼ同梱セット。
その先の夫婦共同とか社会の不都合とか、逃げる逃げないは、
ほぼほぼ「逃げられない」という選択肢の方が多い。
逃げていい時代から、逃げちゃダメな時代になる。
子供とかいたら逃げられないじゃない。育てないとだ。

「逃げる」は「負ける」じゃない。でも技術。

ここまでが男女とか夫婦の「逃げる逃げない」の話。
ここから先は、仕事とか職場の人間関係とかから「逃げる」話。

基本的に僕自身は「(逃げる側が)逃げていいなら、逃げていい」と考えている。
私自身は、逃げも隠れもしないけど。

もちろん業務的に逃げたら困る、逃げられたら困るとかはある。
損害だって受ける。いままでの時間とか。納期とか。信頼とか。

でも、仕事ってそういうもんじゃないんだよ。

誰かが逃げたって、そこに仕事はあるし、
どんなに丁寧な環境を作って優しく接しても逃げる人は逃げるし、そこに感情込めるだけ損。
逃げるような人に任せてる方が悪い。そうでしょ?
逃げる人には頼まないし、仕事の信頼は仕事でしか積めない。
逃げる人には、その先、何も評価は残らない。
若さを消費した分だけ、何を得たか。
それが自分にしっかりあればいい。


冒頭に書いた通り、ゲームに例えれば、「逃げる」と決めたなら若いうち、早いうちのほうが効果的だ。
「戦ったらダメな相手」を見たら逃げろ。
軽く戦闘をして、ダメージも与え与えられ血を流しているにも関わらず、
とつぜん気が変わって背中を向けたり、
仲間を裏切って後ろから切りつけながら逃げ出すようなやり方。

それは「逃げる」じゃない、ただの「反逆行為」だ。

もちろん全滅を防ぐために「逃げる」もある。
撤退戦をするなら素早いほうがいい。

「戦ったらダメな相手」を見たら逃げろ。
具体的には、親とか、先生とか、社長とか、上司とか、理不尽な取引先とか、全裸の浮浪者とか、人前で鼻くそほじくってるやつとか、ギャルとか。

近づくな、間合いに入るな、石を投げるな、モンスターボールを投げたり餌を投げたりして仲間にしようとするな、触るな、セクハラするな。
敵に回しちゃいけない相手に対して、「距離を詰める」が最もやってはいけないことだ。「逃げる」が選択肢にあるのなら、近づいている方が悪い。

相手の攻撃レンジがどれぐらいなのか、わかっていない相手なら特に。
鼻くそ攻撃は腕が届く距離だけじゃないからな、飛んでくるぞ。

上手に逃げるなら、相手の間合いを見切らねば。
そういう技術と体力と、戦略と、信念が必要だ。

逃げれば逃げるほど、逃げに特化した体質になり、
そのマインドから逃げられなくなる。

上記の通り、実戦の世界における「逃げる」という選択は「ついうっかり」ではなく、戦略や意思を持って覚悟を持って逃げるべきで、「逃げ癖がついていて、ついうっかり逃げるをデフォルトで選んでしまいました」という行動をとってしまう人は、何か危険な状態であると認識したほうがいい。逃避行動が蜜の味になっているのか、ブレイカーが落ちやすいのか。まずは依存、特に「甘え」(他者の好意への依存)を疑った方がいい。自分が可愛がられていないと安心できないタイプだと認識しているならいい。マスコットみたいなポジションに座り続けたらいいけど、自我がある、まともな知能があるなら飽きるだろそれ。こういうタイプを仲間にすると後ろから切られる。そもそも前に向かっていない前後不覚だから。

そういう前後不覚タイプを惹き寄せるタイプってのもいるね。

まずはチームに入れるなら、相手の「間合い」、攻撃レンジ。取り組んでいる仕事であれば、「その山の大きさがどれぐらいなのか」がわかっていなければ、その時点で逃げることに失敗している。
近所の公園の砂場レベルならともかく、富士山や日本列島という大きな山に登っている中で、逃げ場なんてない。
みんながよく知っているフィールドは、たとえば「ネットの世界」だ。ここは安全な場所なんてない。誰もが丸見えだし、平地が続いている。柵なんてあるようで、どこにもない。ネットだからどこにでもいける。こういう世界では逃げれば逃げるほど、逃げに特化した体質になり、そのマインドから逃げられなくなる。柵を建設したって、その場から逃げているうちは役に立たないってことはFortniteをやっていればすぐにわかることだ。完全に逃げたいならオフラインになってデジタルデトックスでもしていたほうがいい。

野良猫から学ぶ、美しく「逃げる」技術。

野良猫は、何かあるとすぐに逃げるが、相手をよく見ているし、自分の身体能力をよく知っている。
ヤバそうな相手をみると、スッと逃げていくし、逆に大丈夫そうな相手だとみれば、擦り寄ってくる。
これは身体能力と間合いを掴む能力があるからできることだ。

インパラとかカピバラとか、逃げの中にも美学や速度や群れを使った高度な防衛術がある動物もいる。野生動物から学ぶことは多い。
逃げの世界は甘くはない。

本当に逃げるのが上手なやつは、
逃げていることすら気づかれない。

潰れそうな会社とか、パワハラが横行する普通の職場とかで勤めたことがある一般社会人ならわかると思うけど、何かやべーことが組織にあって居心地が悪くなったら、一番最初に消えるのは誰か。
実力がないやつ?お荷物?ちがう。
一番ポータビリティが高い人から消えていく。これは実力順や職責順じゃない、単に「動けるやつ」から消えていくだけ。
「消えていく」って表現がほんと正しくて、「逃げる」とか「辞める」じゃなくて、すーっと消えていくんだ。なんの気配もなく転職活動をし、お別れとか、引き留めとか「ぜんぜんおかまいなく〜」という感じに消えていく。それが究極の「逃げ道」を極める人間の行動。
「辞めたーい」「逃げまーす」「やめま〜す」みたいなのは、職場から見ればただのわかりやすい反逆者であり、職場のテロでしかない。平和な職場を作りたい皆さんからすれば、害悪でしかないので攻撃対象になる。
前に勤めていた某職場では、転職サイトの検索をしているとIT部門にいる友人(おせっかい)から「その検索見られているからしない方がいいよ」と言われたもので。「わかるようにやっているんだよ、優しさがわかってないな……」と返したけど。怖い職場だったな。友人だと思っているのはぼくだけなのかもしれないね。単なるお節介なら笑って許すけど、誰かの行動やヘイトを頼んでもいないのに増幅するのはよくないおじさんのはじまりだ。

「上手に逃げるやつは気配もない」、というキクバリなのかケハイなのかどっちでもいい話だからおぼえておいて欲しい。

「退職ブログ」すら逃げられない。

逃げ方のレクチャーついでに。やべー職場から逃げ出した人が、退職ブログや転職サイトに有る事無い事書いたりするのは、「ついうっかり」やってしまいそうだけど「ついうっかり」ではなく、守秘義務違反とか個人情報保護とかトレードシークレットとか名誉毀損とかブランド既存とかでいくらでも損害賠償される要素を作るので個人は気をつけた方がいいと思う。

そもそもブログにせよ転職サイトにせよ、主観で書いてるような場合が多いのだけど、それは「表現の自由」ではなく、「表現に責任を持たねばならない」という意味で逃げられない。
「主語が自分」であったとしても、私がどう感じた、その本人が「どこで何があった」とか「誰が何した」みたいな書き方をしたら、元職場の方々からすれば「訴えるための動かぬ証拠」を自分から作ってしまっているのは他でもない筆者ってことになる。

せっっかく上手に逃げられたのに、自分から切られにいくのは馬鹿すぎる。

書く方は「誰がそんなことを言っているのかとか、どこまでが本当でどこまでが嘘なんてわからないじゃない」とか「演出をきかせて」とか「こんな酷い職場だからみんなそう思ってる」って思うのかもしれないけど、そうじゃない。それこそが自分や元職場や元同僚への甘え。元職場の人で、その部署を陥れようとネタを探っている人がいたとして。誰か一人でも「毀損された」と思えば、どこにも存在しない事実を書いたのは他でもない元従業員である筆者ご本人を利用して、利用できる。企業側弁護団は訴えようと思ったらいくらでも証拠を作れる。静かに準備するし、企業側に都合のいいことと都合の悪いこと、すべて一方的に訴状と証拠を揃えて準備されるから逃げ場がない。証拠提出能力としてもとても不利だ。
退職者を裁判沙汰にする流れはいくらでもあって、最近では顧客の名刺の持ち出しぐらいでも刑事罰で訴えるし、企業側もその訴訟で企業イメージが下がるとは思っていない。例えばセクハラだとかパワハラだとかモラハラだとか、弁護士も裁判所もそんな当たり前のケースはいくらでも出てくるし「で損害額がいくらなの?」という話になれば、退職ブログの場合、中身にもよるけど有る事無い事書いてるなら主訴は名誉毀損。損害額はお互いの損害で算出すれば明らかなんだけど、これは書かれたことが事実かどうかにかかわらず成立する。相手の社会的評価を落としたかどうかが、判断基準で「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する」、とある。筆者が「やべー職場に耐えられなかった私は逃げ出した」という事実は「名誉毀損をした動機」として不利にこそなれ情状酌量だとか有利になる要素はほとんどない。なぜなら給与を貰ってそこで業務をしているので、そこでパワハラだのセクハラだのがあったとしても本人の意志と報酬を差し引いたうえでの損害額の算出になる。「名誉基礎」と「言論の自由」が刑法で戦うことになるのだけど、「公共の利害に関する場合の特例」で「真実性」の証明があった場合には、一定の要件のもとで、免責を認めて不可罰とする規定が導入されているぐらい。ここまで書けばわかると思うけど、暴露本みたいなイメージで個々の従業員のパワハラとかセクハラとかを書いて「言論の自由」を主張したとしても、名誉毀損で訴えられて、それが真実だったら「罪には問えない」ってことで「言論の自由が認められた やったー!」って思うかもだけど、その裁判の過程で言論の自由どころか、事実もそうでない主観も、自分に不利なことや人格否定みたいな話も、人間関係も、会話ログも、録画も、メールやチャットログも、もし仮に性交渉でもしてたらその記録でさえも法のもとに晒されて公開で裁かれてしまうので、中途半端な気持ちで過去の職場の危険な人間関係の話なんて書くもんじゃないなと思う。(これはどこぞで訊いた話ですが)経営者が愛人抱えているとか、職場の会議室でえっちなことをしていたとか、それがダブル不倫だったとか、当事者で物的証拠があったとしても、結局は示談なりで自分が持っていきたい方向があったとしてもユスリタカリにしかならない。そんな「弱み」を握っているならむしろ、在籍中に強請ったらいいんだと思うし、当人はノーダメージなので普段からその状態にあるんだと思う。つよい。

個人ブログならそっと削除なり修正なりできるかもだけど、そもそも転職情報サイトなんて、裏で企業からお金もらっているんだから「前職の職場についてこんなつまらん悪口書いている人です」っていうアカウントは企業の側からお断りだし、そういう裏側の信用スコアは本人がさわれない場所にある。採用担当になれば色々見れる。どんな小さな企業でも。
そんなわけで退職ブログなんてものは、美しく逃げるプロフェッショナルが書くものではないんだ。単に脇の甘い人間が書くものだと思った方がいい。

ところで(もうすぐ退職1年になるのですが)
僕は前職の同僚はとてもリスペクトしています。
ウェ~イする人たちが多かったのですが、それはそれで興味深かったし。
今でも1ユーザーとして利用しているし、一緒にお仕事もしているし。FacebookのDMで「良い人いたら教えて」なんて相談もされるからお互いにリスペクトで成立しているんだと思う。
それだけの情熱を込めて仕事してきたし。時間をかけて丁寧に後始末をして退職しているし、その時間的余裕を与えていただいて本当にありがたいと思います。ありがとうございました。

それは「自分のためになる逃げ」か

僕みたいな不細工な退職と違って「プロの逃げる人」は思った時には消えてる。
過去、特に過去さまざまな大学で教員の端くれをやってきた時代にたくさんの「プロ逃げイスト」を見てきた。
社会不適合って呼ぶ人もいるかもしれないが、それはちょっとまってほしい。大学を辞めたり逃げ出したりする人には優秀な人もいる。逆に中途半端な逃げ方で、自分自身や親や周りを巻き込む、よろしくない逃げもあるし、弱った心に善人顔に甘い言葉で「緊急脱出ボタン」みたいなのを押させる悪い友人たちや大学職員、教員もいる。心神喪失状態で正しい判断なんてできるとは思えないので「とにかく逃げるなら早く逃げる」が大事なんだけど。正直なところ、世の中、学生と距離を取り、学生をヒヨコみたいに選別しているだけの先生ほど上手に世間をわたる。逆を言えば、学生を人間としてみて親身になるタイプは、教員には向いてない。「頼りになる大人」は依存型の学生を吸い寄せていく。本当に真剣に学生のことを考えている先生ほど危険な目に遭うので、時には「頑張って逃げる」を選ぶことも必要になる。

ここまで4000字ぐらい書いてきたけど、「逃げた方がいいかどうか」を簡単に判定するなら、基本原則は
「逃げる行為による影響が、自分に振りかぶるかどうか」
ほんとそれだけ。
逆言えば、
「逃げるとは、影響が及ばない範囲に退避すること」。
ほんとこれ。
なので、前述の退職ブログみたいな書き物ができる人は、本当に美しく退職できた人、かつ影響が全く及ばないか、逆にコントロール下にある「逃げれていない人」の証拠みたいなものだと思ったほうがいい。

しにたいとか、緊急脱出ボタンを押すぐらいなら先に嫌われる努力をしろ!

「上手に逃げるやつは気配もない」、というタイプの次に上手な辞め方が「嫌われて辞める」だと思う。
職場のアイドルとか、組織の看板とか、トップの営業成績とか、期待の新人とか、毎年MVPとか、そういうポジションにいると、だんだんプレッシャーとか、パフォーマンスに影響が出てくる。人間の組織はいつまでも頂点に立ったまま、トップスピードで働き続けられるわけではないからね。
(組織もそれがわかっているから持ち上げている。優秀な人は、MVPを取り続けるか、そもそも狙わない。気が付いていない人は褒めて貰って喜ぶんだ)

そういう人は逃げる前に「嫌われる努力」をした方がいいかもしれない。

一見「自分は困らないからいいか〜」っていう「緊急脱出ボタン」みたいなのを差し出される。そういうでかいボタンを押す前にそもそも「逃げ道」は世の中はいくらでもあるんだけど、
「じゃあその逃げれる選択肢、どうしてこれまで取ってこなかったの?」ってのがその後の人生の呪いになる。

例えば過労で死にそうな人が産業医に相談する。
産業医やカウンセラーはさいしょはニコニコと話を聞いてくれる。
初回は90分は聴くルールになっているから。
「じゃあどうして有給休暇を取ってこなかったの?」って言われた時に、『だって・・・とらないのが職場の美徳っぽくて・・・だからこんな職場最悪で・・・』みたいなことを泣きながら産業医に告白してみよう。
産業医さんは無表情にこう質問すると思います。
「嫌われたら困る?」 これはフラグなのです。
もしここで「そうです、嫌われたら困るんです(私は職場を愛しているので)」って答えたら、おそらくその産業医は、あなたの希望と全く逆の行為をすると思います。職場の上司にこれを伝えて、職場環境改善を言い渡し、職場の雰囲気はめちゃ悪くなります。改善は運が良ければされますが、まず無理だと思います。結果、あなたは会社に居づらくなって、無事に会社を辞めることができます。他のルートだとこんな感じです。「会社辞めたい、休みたい」をいう前に、「職場に休みたい、が言えない不適合者」としてのプログラムが発動する、などなど。つまり産業医からすれば逃げる=「休む」「帰る」「変える」「転職する」ができるのに「健康を維持するために必要な、職場に嫌われるような発言が一切できていない」という時点で医師としての危険信号は赤も赤。産業医として改善すべきは職場かもしれないけど他の人に問題が出ていないなら「ご本人の姿勢」。もっと居心地が悪くなる行為、例えば「休む」「帰る」「変える」「転職する」これらは職業選択の自由という憲法を持ち出す前に就業規則で定められた職場のルールと権利です。これを行使できないってことはプロフェッショナルとして不適合なんです。
医師としては命を最優先に考えると、自分から辞めてもらった方が、トラブルを起こさないし自分(産業医)を含む多くの人々にとって得。具体的には休職したり、事故を起こしたり、自🔴したり、労働基準監督署に駆け込んだりしない。駆け込まれると産業医も困る。ご本人が生きていく、生き続けていくためには「No」と自分で言わねばならないんだよ、とあたりまえのことを指導して終わる。そんなわけで。残念だけど「自分の命は自分で守らなねばならない」という意味で「逃げることからは逃げられない」のです。

令和の「逃げ恥」

これからの若い人は残念だけど、色々考えてみると、
もう、努力できるわかりやすい場所ってあまり残っていないのかもしれないですよね。
もちろんやりたい努力はいくらでもやったらいいし、部活や試験や他人が作った指標に対して努力するのもいいでしょう。そういう努力はせいぜい学校や資格試験の勉強やスポーツでしかできないやつであって、二十代も中盤になれば、無理な営業目標とか、研究とか、答えのない戦いや、世界で誰もやったことがない戦いしかないです。
仮に客観的にみて「誰でもできる努力」だったとしても、実は自分の小さな脳や短い人生からすれば「いままで一度も体験したことがない大ボス」と対峙しているはずなんだよね。
人生は大きくなることしかできない。縮んだり赤ん坊になったりすることはできなくて、もう大きくなったらブクブク太るしかない。その現実から逃げるのは「恥ずかしい」と思う人は努力できるし、行き過ぎれば過労死のリスクが。そんな努力はそもそも自分の脳の中にないなら、ただの他人が作ったモラハラでしかない。

もちろん2択では無いのかもしれないけど、同じことは息子世代、君自身にも言える。モラルやリスクを盾に他者の幸福、たとえば努力しなければ登れない山や、努力しなければ獲得できない知識、筋力、みんなでやらねばできない団体競技での勝利、結果。そういったものから逃げずに追い求めている人の足を引っ張ったり、蔑んだりしてないか。

逃げればいい。
いちばん嫌いな人種に、簡単になれる。
逃げればいい。

でも、そのような相互理解を理想とするなら、その精神から逃げることはできるのかどうか。

選挙で投票もしないで何か言っている有権者みたいな大人になりたいか。
彼らは選挙から棄権することはできても、逃げることはできない。
自由と責任はセットで、
逃げる自由にも責任はついている。
逃げればいいけど、そこからは逃げられないし、
逃げた人にはもう、その世界を変える、権利はないんだ。
遠くから石を投げる権利もない。
(だから、せいぜい死なない程度にがんばってみたら)

なんだか怖いことはばかり書いてしまったけど

「にげるからは逃げられない」をテーマになんだか怖いことはばかり書いてしまったけれど、若いうちに「逃げる」を選ばない方がいいよ、逃げるなら上手に逃げな、影響が及ばないところまで全力で逃げな〜っていう真実と、その逆の考え「逃げちゃえばいいよ」、の両面が伝わったようであれば幸いです。

学校とかバイトとか期間限定な関係と、職場とかご近所や親戚や家族みたいな「逃げたくても逃げられない関係」でそれぞれ違うんだけど、若くてなんでもできるなら、基本的には逃げずに済むなら戦わないまでも、まずは逃げる前に自分の中で対峙したほうがいいです。
その上で、戦いを回避するのと、安全圏に回避するのは意味が違います。
戦うなら戦いましょう。ただし、できるだけ短期間で。
時には嫌われる勇気も大事です。
何が不満だとか、フィードバックもかからないし、場合によっては搾取や依存の関係にしかなりません。多くの「逃げられない関係」はそれなので、居心地がいい場所こそが、「悪者になれない」それこそが「逃げられない」場所なので、自分が自分で蟻地獄を作っていることもよくあります。

なお、安全圏から石を投げるのは、逃げでもなんでもなく、攻撃です。
その投げた石は自分に当たることもあるんで気をつけてな。

最後に。結局、逃げたら、どうでもいい。

まずは「逃げたらあかん」とは全く思わないこと。
でも逃げた元をどうこう言わないこと。
けっきょく「どうでもいいこと」なんですよ。
自分が逃げたことを振り返って、逃げたらあかんとか、
あそこから逃げて楽しく生きてます〜、とか、結局ひきずっているんです。
逃げたことが、ただの自分への呪いにしかならいんです。それでは。

実は、僕も人生から何度か逃げ出したくなってリセットボタンとか緊急脱出ボタンを押したことがあります。少年の時は飛び降りをしたら死ぬほど痛くて、(いくつか割愛しますが)某大学院の時に何度かパワハラで死にそうになったときは川の水はとても冷たくて、死ぬほど冷たくて、これは死ぬほど辛いな、と思ったところで、自分の場合は幼い家族もいて。「何もやり遂げずに逃げて死んだ人」というメタ認知がその時の頭の中に明確に残ったので「死んでも逃げた人という評価は変わらない」「こんな辛い思いをするなら生きた方がいいな」と思って、思いとどまって精一杯生きてみた側です。
あのとき、間違えて死んでしまったら、きっと僕のことなんてただの黒歴史にされて、誰も覚えていないに違いない。
しかも後から考えたら自分のせいじゃないんですよ。勿体無いじゃないですか。もしそこで逃げてなかったら、死んでた。
そのあとは刹那的に楽しく生きようと思った。けど無理でした。

忘れられなかった。
何をやっても楽しいとかそういう感情を失ってしまった時期。
さらにそこから回復しても、
悔しくて悔しくて。意味もなく涙が出てくる日々を過ごした時期。
ゲームの中で作業をやりながら、
目から涙が伝ってくる。
楽しんでいるつもりなのに、呪いがかかっている。
逃げた自分のおかげでいま僕はここで快楽を得て忘れようとしている。
ふとした楽しい瞬間にその理由を思い出してしまう。
自分の人生に血肉となって生きているものが、憎しみの対象になると、
これはもう気晴らしレベルの行為では回復は難しい。

忘れるための楽しみで得られる幸福感って、取り戻しているだけの期間はいい。はじめてならなおさら。初心者マークのうちは自由にできるだけで楽しい。一生成長しないで逃げ続けて、勘違いしつづけられるなら幸せだと思います。でも人は成長してしまう、当たり前になってしまう。この真実からは逃げられない強欲な生き物。欲がなければ逃げもしないからね。でも逃げて手に入れた幸福は蜜の味。これは飲めば飲むほど逃げのバイアスが強くなっていくし、ビルドできなくなっていく。最初に「逃げるきっかけ」を作った、その呪いの存在がどんどん大きくなっていく。

あの時こうしていれば、
あの親のせいだ、あの大人のせいだ、
あの夏休みを返してほしい、
僕はこういきたかった、
もしそうしていなかったら、こんな遠回りをしなくて済んだ・・・
そんなふうにずっと、呪いながら20代の後半を過ごした自分がいます。

周りの友人たちも、同じように学んでいく。
人生イージーモードでも、程度の差こそあれ、必ず経験する。
逃げた自分だけが、一周遅れている。

でも、もう大丈夫。
努力によって呪いは消せるってことを学んだあとは。
努力によって筋肉は作れるんです。なりたい自分になれるんです。
人は成長すれば成長するほど、逃げる必要がなくなる。先生が憎ければ、大先生になればいい。親が憎ければ、もっと素敵な親になればいい。蹂躙された人生があれば、人の痛みには優しくなれる。こんな書き物にして、あとは忘れればいい。どうせ誰もみていない。誰も毀損されない配慮をすれば。精一杯やっても自分が楽しむぐらいのことしかできないってことだから、精一杯やって、精一杯生きて、そして、逃げたことなんて忘れるぐらい、安全で快適な暮らしをそっと送ればいい。他者に侵害されない事に全力を尽くし、そして「どうでもいい自分の世界」を作ればいい。そのためには逃げるなら、十分に距離を取らないといけない。自分から蜂の巣をつついてしまいそうになるのは十分な距離が取れていない、甘えている証拠なんだ。

以上です。
これはあなたにとって「どうでもいい僕の過去」です。

さあ、全力で、忘れてください。

でも、何か感じてしまったら、
そっといいねを押してください。
こんな駄文の長文でもよかったら
シェアしてみてください。
多感な世代の息子さんには響くかもしれない。

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このマガジンは、こんな方におすすめです: ・テクノロジーと感情の関係性に興味がある方 ・VR、AR、AIなどの最新技術に関心のある方 ・人間の気持ちや関係性について考えるのが好きな方 ・日常生活の中に小さな幸せを見つけたい方 ・技術の進歩に少し不安を感じている方 ・人生の様々な場面で、ちょっとした励ましが欲しい方 831円という数字に、温かい気持ちを込めました。肩の力を抜いて、一緒に人間らしさについて考えてみませんか?

最新技術をよく知らない方も、気軽に楽しめるエッセイ集です。 スマートフォンやSNSが当たり前になった今、私たちの「好き」や「愛」の形も少…

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