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【みちしるべ#6】橘孝祐さん~駆け抜けた大学6年間~(前編)

こんにちは! みちしるべのお時間です。
第6回のゲストは 橘孝祐さんです!
よろしくお願いいたします!

ゲストプロフィール

橘孝祐(たちばなこうすけ)さん
現在ES関東クラブ所属。横浜国立大学2013年度入学。大学3年生でAsJYOC(アジアジュニア・ユース選手権)に出場し、スプリントリレーで優勝。ご自身も2019年のAsJYOCを運営した。2022年度全日本スプリントで優勝。同年度の全日本リレーでも東京都チームで優勝。大学院の2年間ではKOLCのオフィシャルを務める。現在は社会人として働きながら競技生活を送っている。

インタビュアープロフィール

大石遥
新潟大学4年(2020年度入学)
所属クラブ:新大OC/静岡OLC
入ってみたいテレイン:望郷の森

森創之介
横浜国立大学2年(2022年度入学)
所属クラブ:KOLC/OLC東海
入ってみたいテレイン:青山高原

橘さんとオリエンテーリングとの出会い

―橘さんがオリエンテーリングを始めたきっかけは何ですか?

 新歓のビラ配りや新入生用の冊子でオリエンテーリングを見つけたことが知ったきっかけでした。新歓に行って面白いなと思って入部しました。道を外れてもよいのが新鮮で魅力に感じました。

―最初は野球サークルと兼サ―していたとのことですが、オリエンテーリングのスイッチが入ったタイミングはいつでしたか?

 1年生のロングセレです。エリートではなく新入生クラスに出場して、初めて他大学の1年生と競う機会で勝てるんじゃないかなと思っていました。ただ実際出てみたら、とてもツボってしまい入賞もできない結果になって、悔しい思いをして、それからは出られる大会は全部行くことにしました

―スプリントの方はどうでしたか?

 自分は意外と走れて、速いとされている人の中でも良いラップがとれて、そのことで一喜一憂するみたいな感じでスプリントも好きになっていきました。

―ロングセレ以降、オリエンテーリングをたくさんして迎えた初めての秋インカレはどうでしたか?

 それが全然うまくいかなくて。結構練習していた分行けるなっていうのはあったのですが、やっぱりどうしてもオリエンテーリングの能力としてはあまり身に付いていなくて、単純に経験を積んだだけでオリエンテーリングの極意を分かっていないまま臨み、打ちのめされた初めての秋インカレでした。当時のインカレはロング一本だったのでそれで終わってしまって悔しいなという思いを抱えたまま、出られる大会は出ていましたね。

―春インカレはどうでしたか?

 ミドルは、Fクラスで優勝することに向けて頑張ろうと感じで。リレーは、たくさんオリエンテーリングに行っていて「選手権走りたいです」と言ったら、走らせてもらえるような環境だったので先輩と3人で10位以内を目標に選手権クラスに出場しました。自分は1走だったので、あわよくばいい順位で帰ってこようという思いで本番に臨みました。

―そうなんですね。1年生でリレーの選手権クラスを走るのはすごいことだと思います。同期の中で唯一、橘さんだけが1年生にして選手権クラス出場ですか?

 その当時、慶應も先輩があまりいなかったので、慶應の同期も選手権クラスを走っていました。当時のKOLCの中では、1年生が選手権クラスを走るというのはそんなに特別ではなかったと思います。女子は、横市が強くて4年生3人で走っていましたけど。

―1年生で選手権クラスはどうでしたか?結構ちゃんと帰ってこられる感じでしたか?

 今考えるとめっちゃツボってるんですけど、途中まで先頭集団が見えている状況で4割くらいのところまでは行けていた気がします。

―すごい。1年生でそこまで走れちゃうのすごいですね。
では、JWOC(ジュニア世界選手権)も目指されていましたか?

 1年生から2年生に上がるときの春に選考会があって、KOLCからも結構出ようと頑張っていました。自分の1個上の横国の先輩がセレに通ったんですね。そのひとがセレ通過を境にかなり速くなり始めていって、それに刺激を受けたというのはあります。自分もこの選考会をきっかけにオリエンテーリングに集中しようと決めました。

学生時代とオリエンテーリングと

―そうだったんですね。そんなオリエンテーリングに熱中していた橘さんですが、オリエンテーリングは大学生活のどれくらいの比重を占めていましたか?

 大学生活は勉強やその他の活動もあると思うんですけど、感覚的にはオリエンテーリングと勉強とその他が8:1:1くらいで、学生時代の思い出はほとんどがオリエンテーリングだったかなと思います。

―うんうん。その中で特に印象に残っているエピソードとかありますか?

 うーーん。難しいな(笑)いろいろな遠征にはいきましたね。

―普段の平日のトレーニングとかも基本的には参加していたんですよね。

 そうですそうです。2年生になったらトレ長をやるんですけど、僕が2年生のときは新歓に失敗してしまい後輩が3人しかいなくて、その子たちがラントレにはあまり来てくれなくて…。自分がトレ長をやっていたときは来るのが2人とかでしんどかったですけど、幸いKOLCはいろいろな大学があるので他の大学のトレに参加していました。

―橘さんが3年生になって、稲森さんたちの代が入ってきたと思うんですけど、そこからはどうでしたか?

 僕の2個下の稲森剛選手と伊藤樹選手がそのタイミングで入ってきて、横国としての転換期と言いますか、もう一段階盛り上がっていきました。伊藤樹選手を筆頭にラントレに来る人が増えてきて、地図トレもその流れで盛り上がって。横国として活発になったのは2015年あたりからかなと思います。

―そんなエピソードがあったんですね。知らなかったです。

―お話はガラッと変わりますが、国際大会のお話をお聞きしたいです。3年生のときにAsJYOC(アジアジュニア・ユース選手権)のスプリントリレーで優勝したとお聞きしましたが、出場した感想をお聞きしたいです。

 当時、僕は20歳で出られるぎりぎりの年齢で、チーム的にもお兄さんみたいな存在でした。一方で個人としては「この中では負けるわけにはいかない」という気持ちがあったんですけど、上手いこと結果が出ずにいて。リレーも第1チームじゃなかったんですよ。第2チームで出走させてもらったんですが、第1チームがペナになってしまって、第2チームがいい感じに4人繋いで、香港チームとの競り合いを制して優勝したのがあって。個人的にはJWOCに行けなかったのが尾を引いていたんですけれど、そこでAsJYOCに出られたのが個人的にはよかったなあと思っています。それが後の自分自身がAsJYOCを運営する経験にもなったのかなと思います。

AsJYOC2015表彰式

オフィシャルとして共に歩んだ2年間

―大学院まで行って大学生活をたくさん満喫されたと思いますが、大学生活やオリエンテーリングの学生時代が終わったとき、どのようなお気持ちでしたか?

 僕が4年生のときは、横国がかなり優勝候補だと言われていて、その時のインカレロングは3人とも入賞していますし、山リハもペナはしたけれどタイム的には1位で2月の時点で迎えられていて、リレーとして完成したチームで本番を迎えました。結果としては3位で落ち込むのかなと思っていましたが、後夜祭(インカレが終わった日の夜に行う交流会)ではっちゃけられたのがいい切り替えだったのかなって。落ち込んでいる暇はない、という雰囲気だったのでそこでくよくよすることなく前を向けたのもありました。

 あとは、現役が終わったからってオリエンテーリングは終わりじゃないっていうのがあったので、このまま引き続きオリエンテーリングを続けていって、オフィシャルとしてもKOLCをサポートできたらなと。かなり前向きな現役時代の終わりだったのかなと思います。

―それは、4年生になってそういうことを考えていたんですか?まずは、大学生活の最後1年間を頑張ろうって感じだと思うんですけど、終わった後も続けたいなとかオフィシャルとしてやってみたいなという気持ちはもともとありましたか?

 4年生になったら社会人になるか大学院に進むかというのがあると思うんですけど、自分は大学院に進む選択をした、というか、せざるを得なくなってしまって。大学院に進むことが秋インカレのころに分かっていたんですね。だから、オフィシャルにはなるんだろうなとは4年生の後半から分かっていて、かなり準備というか心づもりはありました。

―実際にオフィシャルをやってみて、どうでしたか?

 オフィシャルになるにあたって思っていたことがあって。現役の壁というか、ライバルであり続けることを目標にずっとやっていました。それこそ一緒にトレ―ニングもしますし、地図トレもしますし、一緒に遠征も行くし。今のKOLCも結構そうだと思うんですけど。当時のKOLCはオフィシャルさんは結構社会人が多くて。大学院生として大学生とほぼ変わらないような状況で接してくださる方がいなかったんですね。強いチームって身近なオフィシャルが目の前にいて。僕はそういうチームに憧れて、自分もオフィシャルになって現役生と一緒に強くなっていくっていうのがいいのかなと思っていました。

 オフィシャルとしてはかなり2年間大満足させてもらえました。伊藤樹選手、稲森選手、上島選手の3人が大活躍して「黄金世代」みたいな感じで、オフィシャル1年目の春に3人とも入賞しましたし、2年目の春も入賞するというかなり良い終わり方をさせてもらいました。
 リレーに関しては、1年目は残念ながら横国はペナになってしまったんですけど、2年目の望郷インカレでは3位になりましたし、KOLCとしても慶應は優勝こそできなかったんですが、かなり直前まで東大と競り合って帰ってくる良い走りをみんなできたのかなと思います。そのサポートをさせてもらえたのはかなり良い経験だったなと思います。

―ありがとうございます。私もオフィシャルをやるかもしれないので、聞けて良かったです。

―インカレのお話に続きますが、オフィシャルとして見たインカレは、どのようなものでしたか?

 自分は選手権待機所に行くパートでしたが、選手権待機所のみんなの緊張する姿やレースに向けて準備する姿を見ていて、どういった声をかけていいんだろうっていうのが最初の方は分からなかったです。けれど、普段から選手たちと一緒に練習したり遠征に行ったりすると、彼は準備しているときに声をかけてほしくないんだな、とか選手の特徴が分かってきて、人それぞれ準備の仕方があるし、それぞれに合った声かけやサポートをするように心がけていました。

 学生時代との違いでいうと、自分は走らないけれど、自分ごとのように喜んでいたのは率直なところですね。秋インカレはどちらの年もKOLCとしては振るわない結果で自分もかなり悔しくて、じゃあ次にどうしたらいいんだろうと選手たちと一緒に考えて、冬を乗り越えて春インカレに臨んで、というのを2年間やっていました。

―今のお話を聞くと、橘さんは引っ張っていくタイプのオフィシャルとして、速いオフィシャルとして現役生と一緒に頑張っていくという感じで。

 どちらかといえばそっちのタイプでした。インカレのときはオフィシャルですけど、普段はライバルというと言いすぎですけど、同じ目線で話せるように自分もトレーニングを積んでいましたね。

―そうなんですね。それは結果的によかった、と思っていますか?

 個人的にはよかったと思っています。学生4年間が終わってからオリエンテーリングを続けるには、体力があることが秘訣だと思っていたので、そこでトレーニングをやめなかったことが卒業後もオリエンテーリングを続けていけた理由なのかなとも思っています。


後編は、7月4日(火)に公開予定です。
後編では、橘さんの就活や転職のお話や社会人になってからの競技やトレーニングのお話、地域クラブのお話、AsJYOCの運営のお話などなど。盛りだくさんの内容でお送りいたします!
ぜひご覧ください!

お話の続きはポッドキャストにて先行配信中!

【次回予告】
7月ごろ 西村徳真さん (NishiPRO、京都大学卒業)
7月ごろ 前中脩人さん (練馬OLC所属、東京大学卒業)
8月ごろ 村上巧さん (横浜OLC所属、東京工業大学卒業)
9月ごろ 伊藤樹さん (設楽町/ES関東クラブ所属、横浜国立大学卒業)
お楽しみに!

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