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空の上から


note  17日目。


私は住宅設備のアドバイザーをしている。

親会社からの圧力が強く、会社は何かと言いなりになってしまう。

2年半程前、親会社の圧力で派遣社員が一斉解雇され、4人居た仲間は混乱のゴタゴタの中で一斉にいなくなってしまい、結局 私1人でショールームを運営することになった。状況が瞬く間に変わっていく中、他店のアドバイザーも少しづつ辞めていき、どこのショールームも1人か、よくて2人で回すような状況になった。

周りの組織の中で、何をするにしても『一対大勢』の図式が自然と出来上がってしまう。仕事を責任持ってやろうとすればするほど、孤独との闘い。

ある時、よく気遣ってくれる仕事熱心な所長が、東京本店に栄転となってしまい、新しい所長に変わった。新所長は良くも悪くも放任主義。

『まあ、上手くやってよ。』『 本当に参ったよ。』が口癖。基本的に頼み事か、何か聞きたいことがある時にしかショールームに足を運ばない。


そんな中、近隣店のユモト所長は近隣エリアの中で唯一、アドバイザーに心を寄せてくれる所長。とても気さくで、アドバイザーのコウチさんとはとても仲良し。コウチさんがお休みの日はショールームの電話転送用の携帯に所長みずから出て対応してくれた。

『ごめんねー!コウチさん今日お休みなんだ。用があったら伝えるよ!』

気さくでやさしくて、仕事がデキる。それが、私のユモト所長のイメージ。私は勝手に親近感を感じていて、大好きな所長だった。


アドバイザー同士、特殊な状況もあり連帯感が強くなる。コウチさんとはよく電話で相談し合う仲。ある時、コウチさんがユモト所長の様子が変だと話していた。周りの人がのんびりやって見えるのか、他の営業さんとぶつかることが多く、それが原因で営業さんが一人辞めてしまう。それに最近、性格が変わったように感じるし、身なりも整っていない、と。

私は人づてに、ユモト所長がスーパーマン並みに すごい仕事の量をこなしていると聞いていた。『きっと疲れが溜まっていて、辛い状態だと思うから余裕をなくしてるんだね。優しくしてあげて。』コウチさんに伝えると、そんなに仕事をしているとは思わなかったから労わります、と言ってくれた。



それからしばらくして、ユモト所長が意識不明の重体だという話を聞いた。

翌日、コウチさんからの連絡でユモト所長が亡くなったことを知った。



吐血し、意識朦朧として、座っているのもやっとの状態で、年度末の書類を本社に提出しなくてはと言っていたらしい。周りが心配し、どんなに諭しても家に帰ろうとしなかった。無理やり救急車を呼び、自分で歩いて救急車に乗り、その救急車の中で意識不明になって、翌日亡くなった。

まだ54歳。

急性腎不全と十二指腸潰瘍を併発していて、腰まで圧迫骨折していた。

ものすごい仕事ができるスーパーマンなんかじゃなかった。たくさん無理を重ねて、仕事が原因で離婚までして、周りの人のために、仕事のために、文字通りすべてを犠牲にしてやっていた。

それを知った時は本当にやりきれなかった。コウチさんと電話で話しながら声を殺して泣いた。

その日は、1日ぼーっとしていた。ちゃんと仕事が出来ていたのかあまり記憶がない。ただ、すごく覚えているのは、ものすごく心が痛く、重たかったこと。仕事が終わると、ひとり部屋に帰ってベッドの上でうずくまりながら、声を上げて泣いた。

どんなに辛かっただろう、どんなに寂しかっただろう、どんなに無念だろう。

ユモト所長の葬儀があった週の所長会議では、黙祷の時間すらとられなかったらしい。

きっとやりたいことが沢山あったはずなのに。こんなところで、命を落としてしまうなんて。



斎場は『寒川』だった。ご家族が会社関係者が葬儀に顔を出すのを嫌がり、本当にごく身近な人だけがお通夜に参列した。



私がよく『寒川神社』に足を運ぶのは、参拝の他に もうひとつ理由がある。

『神社』は土地の神様。だから、ユモト所長がどこにいるかきっと知っているはず。

人はいつ死んでしまうか分からない。だから、もっともらしい言い訳をしてやりたい事を先延ばしにしていたら、やりたいことが沢山あったのに、生きることが出来なかった人に失礼だ。『怖い』なんて言ってないで、一歩を踏み出そう。


『寒川神社の神様、こんにちは。

いつも見守ってくださり、

本当にありがとうございます。

ユモト所長に伝えてください。

“ ユモト所長、あなたの分まで精一杯生きます。

『怖い』なんて言い訳せず、

本当にやりたかったことを始めていきます。

色んな失敗をすると思いますが、

どうか空の上から楽しみながら、

見ていてください  ” 』




前進をユモト所長に誓って。

今日も一歩前へ。


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