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デリシャスパーティ♡プリキュア 全話視聴した超長文感想記事(95%くらい愚痴)

前書き

17代目のプリキュア作品、「デリシャスパーティ♡プリキュア」が完結を迎えました。というわけで本記事はその感想なわけですが、タイトルに書いた通りほぼ全部批判なので、「デパプリありがとう!最高でした!」みたいな方は読まないことをおすすめします。
この記事は大体14000字くらいありますが、そのほぼ全てが批判です。

なお、今回はネタバレ全開の内容となるのでご注意下さい。
また、基本的に未視聴の方でも読めるように解説を添えつつ書いてゆきますが、流石に作中用語の全てに注釈は行き届いていない点もご了承ください。

本作に対する最大の不満点を一言で申し上げるなら「キャラクターの掘り下げが極端に薄い、あるいは過去の描写と矛盾している」です。
とにかく本作、「キャラクターの過去に何かあった」ことを匂わせるシーンが多いのですが、匂わせるだけで具体的な出来事・やり取りの描写がないまま終わるパターンが非常に多いです。
まあ、それ以外にも色々と「いい話っぽく描いてるけどスッキリしない」とか、「特定の思想が正解みたいな描写が鼻につく」等の細かい不満点は色々と存在するのですが、いちいち全部指摘していたらキリがないので本記事では特に気になった部分を中心に書いてゆきます。

作風とポリコレの板挟みに悩む男 品田拓海

本作の主人公「和実ゆい」の幼馴染

まず本作の特徴として、プリキュアと肩を揃えて戦う男性キャラクターが登場する事が挙げられます。
これまでもサポート的な立場で一時的にプリキュアと共闘する男性キャラクターは度々登場していましたが、本作では品田拓海というキャラクターがプリキュアと肩を並べ、かなり長期的に戦線に立ち続けます
公式サイトのトップ画像にもプリキュア4人とローズマリー、そして拓海が描かれており、過去作の男性キャラクターと比較しても明確に「メインキャラクターの一人」として扱われているのが分かるでしょう。

クックファイター「ブラックペッパー」 通称ブラペ

しかし本作は「女の子だって暴れたい!」がテーマで知られるプリキュア。男性戦士がプリキュアの立場を食うわけにもいかないためか、彼はプリキュアと比べて特別強いわけでもないくせにプリキュアではないので協力して浄化技を使うことはできないし、終盤までプリキュアたちに正体を隠している設定のためプリキュアたちが一緒にクッキングダムへ行く回で彼は一切登場しなかったりと、わざわざ「プリキュアにメインで男性戦士を出す」という思い切ったことをやった一方で中途半端に仲間外れにされている場面が目立ち、どうにも元々の作風とポリコレの板挟みで宙ぶらりんな立場になっている印象が拭えません。

彼が活躍する場面自体は一応あるんですが、基本的に「プリキュアたちより遅れて登場したおかげで不意打ちに成功する」場面ばかりです。
それ以外で印象深い例と言うと、40話で敵がバリアを張って「あなた達のパワーは全て計算済み、4人分の負荷がかかろうと絶対に壊れません」と得意気に話す場面があります。
おそらく多くの視聴者は「そうか!ここに拓海の力が加わることで!」と期待したことでしょう。そしてプリキュア4人と拓海が同時に攻撃し……

あなたの力も計算済みです。5人であろうとそれは絶対に破れません

マジで何のために拓海は居るんだよ!???
結局この後5人で協力して敵の計算以上の力を出すことでバリアを突破するのですが、あくまで「計算以上の力を出したから」であって、「拓海がプリキュアではないイレギュラーな戦力だったからできた」ことではないし、やっぱり浄化技はプリキュア4人だけで放って倒すので、なおさら拓海の宙ぶらりんなポジションが目立つ戦いでした。

そんな彼ですが、戦う動機は「町のみんなを守る」でも「悪いやつを許さない」でもなく、「ゆいを守るため」と何度も口にしています。
そして、ゆいを異性として意識しているシーンが度々描写されたり、プリキュアのメンバーたちと共に過ごすシーンでもゆい以外とはほとんど会話をしていない等、徹頭徹尾ゆいのことしか考えていない人物なのですが、彼がそれほどゆいを特別扱いする関係になった理由は特に描写されていません。

二人の関係の始まりを匂わせる内容として、13話でゆいと拓海の過去回想シーンが挿入されるのですが、その内容はと言うと

泣いているゆい、それに背中を向けている拓海

ゆいの祖母がおにぎりを持ってくる

おにぎりを食べて機嫌を直す

拓海が「さっきはごめん」と言って和解

これだけです。
分かるのは「何か喧嘩して和解したらしい」事だけで、どんな理由で喧嘩したのか、お互いにどんな言葉を交わしたのか、そもそもこれが2人の初対面なのか、それとも既に友達として過ごしていたある日の出来事なのかも分からない内容で、ハッキリ言って何も伝わってきません。
なお、本作においてはこれでもキャラクターの過去描写としては丁寧に描かれている方です。楽しくなってきたな!!

砂漠の使徒 ローズマリー

通称「マリちゃん」
普段はピチピチのインナー1枚で過ごしているのが微妙にキモい

上で少し触れましたが、本作でもう一人の主要人物となる男性キャラクターが彼、ローズマリー。第1話で行き倒れていたところをゆいに拾われ、以後はプリキュアのメンバーたちと共に過ごすようになります。と言うか人間界が舞台のシーンでもクッキングダムが舞台のシーンでも中心人物扱いなので、明らかにプリキュアよりも出番が多いです。

普通に考えて、同年代の女の子ならまだしも娘が身元不明の成人男性を突然拾ってきて、「友達だから」と言って住居の手配までした上で自宅で食事を共にするほど親しくしていたらオネエ系だとか関係なくメチャクチャ怪しいし、彼が何者なのか、どんな関係なのか詮索すると思うんですが、ゆいの母は「お友達ってこの人だったんだ」と言うだけで一切詮索せず、ゆい達と毎日一緒に過ごしていても一切の警戒心や疑念を抱く様子を見せません。

時はまさに大ポリコレ時代。特権階級であるマイノリティ様に対して一切の疑念を抱いてはならない呪いを受けた作品は昨今どんどん増えつつありますが、本作もその一つだと理解させてくれます。
本作はプリキュアの中でも学校が舞台となる回がやたらと少ないんですが、これも「ポリコレ的にオネエのローズマリーを毎回メインで出したいけど、学生じゃないローズマリーが学校に入り浸るわけにはいかない」みたいな理由でそうなってるんじゃないかと思えてきます。まあ、これに関しては明確な根拠もないので邪推の粋を出ませんが。

背景に色々映っているが戦闘に活用されることは無い

それはそうと、このローズマリーも拓海と同じくクックファイターと呼ばれる戦士なのですが、諸事情により戦闘力を失っており、代わりに「デリシャスフィールド」なる異空間を作り出す能力を持ちます。
そして本作の戦闘は基本的にデリシャスフィールド内で行われる仕様となっているのですが、このデリシャスフィールドは見ての通りの「ちょっとカラフルな砂漠」みたいな光景で統一されており、展開する度に違う世界になったりはしません。

毎回バトルの背景が同じだけでも既に退屈なのに、地形や周囲の物体を利用して戦うとか、逆に周囲の建造物・無関係の住民を守りながら戦うとか、そうした追加ミッション的な展開も起きません。
また、プリキュアのザコ敵と言うと大まかに分けて「人の悩み・悪い心等をベースに作られる魔物」と「無生物をベースにした純粋な悪の怪物」の2パターンが存在しますが、本作は後者タイプなので魔物のベースとして利用された一般人の苦悩みたいなドラマ性もありません。
純粋なバトル描写としても、バトルの背景にあるヒューマンドラマとしても長所が無いのが本作の戦闘です。
多分デリシャスフィールドは作画コストを省くためのシステムだと思うんですが、これが次回作以降定番化されたらかなり本気で嫌だな……

次回作は「空」「ヒーロー」が題材ですが、もしバトルと同時に「スカイフィールド!」とか言い出して青空と雲しか描かれてない空間で戦い始めないか心配で仕方ありません。
まあ、ヒーローが題材なら「破壊される町、逃げまどう人々、そこに颯爽と現れ敵を倒して去ってゆくヒーロー」みたいな構図は絶対描くだろうから大丈夫だとは思いますが……本当に大丈夫だろうな?

(2023/02/01 追記)
この記事では今まで本作の主人公だったはずの人物、和実ゆいに関して何も書いていなかったんですが、これは本当に彼女に関しては何も思い浮かばなかったし、なぜ何も思い浮かばないのかすら分からなかったからでした。
後になって分かった気がしたので書きますが、彼女の印象が薄いのは「チームのまとめ役」「倒した敵に手を差し伸べる」といった主人公らしい行動を片っ端からローズマリーに奪われている上、本作の黒幕とも何の因縁もないからです。
なお、ローズマリーには黒幕との因縁が存在します。なので本作のタイトルは「デリシャスパーティ♡ローズマリー」が正解です。

クソ雑魚メンタル病む病む女 華満らん

本作3人目のプリキュア・キュアヤムヤムとなる華満らんですが、印象深いエピソードは何と言っても16話、「らんらんって変…!?肉じゃがとウソ」でしょう。

彼女は初登場時からずっと、美味しいものに出会うとファンタジックな表現の食レポをするキャラクターでしたが、それが16話に突然「過去に好きなものについて話しすぎたせいで友達に『変』と言われたことがあり、以後ずっと自分の『食べ物好き』を隠してきた」と言い始めます。
が、彼女がその趣味を隠すような描写があったのは直前の15話にクラスメイトの女子が来た際にチャーハンの食レポを中断した時くらいで、それ以外は周囲に人がいる場所でも割とあちこちで食レポを行っています。

まあ一応彼女が食レポをしていたのはゆい達と一緒にいる時、あるいは飲食店に居る時がほとんどだったので、そうした「食べ物がある程度好きな人」が集まっている場所では隠さず、そうでない場所では隠していた……と考えればギリギリ矛盾は無いと言えなくもないのですが、正直かなり無理がある設定です。
そして、件の16話では誰が通りかかるかも分からない学校のベンチで食レポをしていた結果クラスメイトに見つかることになったので、やっぱり隠す気ねえだろこいつ。

とても爽やかな笑顔

その食レポ中のらんを発見したクラスメイトが彼、高木くんです。
らんは通りがかった彼に目撃され、「一人でタマゴサンドと話してるなんて変なやつ」と言われたことでこの世の終わりのような超ショックを受けるのですが。
見ての通り高木くんは大変爽やかな笑顔で、言い方も「変なやつ、ハハハ」と、「変わってて面白いやつ」くらいの意図に思える言い方。しかしクソ雑魚メンタルのらんはこの「変」の一言だけで深く傷付くこととなります。

見てくださいよ、この親でも殺されたかのような顔を。
改めて書きますが、彼女は「変なやつ、ハハハ」と言われただけであり、「一人でブツクサ喋りやがって、気持ち悪いんだよクソ女!」と言われて殴る蹴るの暴行を受けた末に目の前でタマゴサンドを踏み潰されたわけではありません。

そもそもの話、友達が興味をなくしているのに一方的に長話をした結果「変」と言われたのなら普通に考えてらんが100%悪いし、適度に話の内容を絞ればそれで全て解決すると思うんですが、いきなり「自分は変、みんなに受け入れてもらえない、だから自分の好きなものを隠して生きなきゃいけない」と被害者面を始めるのも相当危険な発想です。
これは何だ、「私は傷付いた」を盾に無茶苦茶な要求を通そうとする活動家の風刺か??

本作には「生き方は人それぞれだから周りに合わせようとしなくていいよ、自分らしいのは素敵なことだよ」と不気味なくらい登場人物が口を揃えて同じ主張をする典型的なポリコレ説教シーンが何度もあるのですが、流石にらんは少しくらい周囲を気遣うことを理解した方がいいと思う

らんの病気が移り「俺の体は旨い肉じゃがで動くサイボーグ~!」と食レポ(?)をする高木くん

で、結局この話がどう決着するのかと言うと、らんが食べ物への愛情を全開にして高木くんが大好きだった甘い肉じゃがを作ってあげることで、高木くんがらんの「変」な部分を好意的に認めてハッピーエンドです。
そもそも今回の問題はらんの極端なクソ雑魚メンタルが問題なのであって高木くん一人と和解したところでマジで何一つ解決していないんですが、これで終わりです

ちなみに本作の主人公にしてらんのクラスメイトゆいは食べ物大好きキャラを一切隠しておらず、「おむすび目当て」でサッカー部の助っ人として参加したりしていますが、むしろ周囲から頼りにされており「変」と否定的に見られている様子はありません。
つまりらんが「変」と言われる理由は100%長話が原因で確定しているのですが、らんが「自分の話ばかり押し付けるのは良くない」と自省することは一切無いまま終わります。
彼女の変身時の決め台詞は「おいしさの独り占め、許さないよ!」ですが、お前が会話の主導権の独り占めをやめろ

誰一人掘り下げられないブンドル団の面々

ジェントルー          セクレトルー

本作の悪役は「ブンドル団」と名乗る集団で、歴代のプリキュア同様にラスボス+数人の幹部によって構成された集団ですが、特筆すべきは彼女らが「闇そのもの」とか「世界を侵略しに来た邪悪な存在」ではなく、元は普通の一般人であることでしょう。
よって本作は「悪いやつだから悪いことをする」系の単純なストーリーではなく、元はプリキュアたちと同じ普通の人が、思い悩み、苦しみ、そして悪に染まるまでの物語も描かれて……ないんだよ

例えば上の画像右のセクレトルーは敵幹部としては最も格上のポジションですが、あろうことか敵幹部の中では最も掘り下げが浅く、彼女が闇落ちする過程を示すような場面は「料理が下手なせいで男に振られた」と思えるカットが特に台詞もなく2回ほど挿入されるだけです。
彼女は「私は完璧でなければならない」と度々口にしているのですが、なぜ「料理が嫌い」ではなく「完璧でなければ」と主張しているのかは結局最後まで一切明かされませんでした。
親の躾が極端に厳しかったとか、子供の頃に何でも完璧な天才少女と持て囃されていたとか、そういったエピソードが一つあるだけでも説得力はグッと増すと思うんですが、本当に何の描写もありません。

そして彼女は43話でローズマリーから「志は高くてもいい、でも、笑顔を忘れるほどに囚われて道を見誤ってはダメ」と言葉をかけられ、その次の44話で「自分が本当に笑顔になれる未来を選んだ」としてプリキュアたちの味方側に付くのですが。
結局誰もセクレトルーの過去について聞き出すことはしなかったので、誰も彼女の過去を知らないんですよ。ちゃんと相手の事情を知った上で一緒に悩み、考え、答えを出すならまだしも、先述のローズマリーもセクレトルーの過去に何があったか一切知らないくせに知ったような口を利くので、何ともスッキリしない終わり方でした。

ナルシストルー  

敵としてはおおむね第2の幹部となるナルシストルーは、彼を倒した後のエピソードで食事に対して恨みがあったと明かされており、「自分に合う食べ物があまりなかった上に、好き嫌いも激しい」「極端な猫舌でみんなと一緒に食事をするのが苦手」と語られていました。
(ただしこれも伝聞として語られるだけで、それが理由で彼が過去どんな扱いを受けたのか、どんな思いを抱いたのか具体的に描写されることはない)

「自分に合う食べ物がない」「好き嫌いが激しい」と別々に語られているところを見るに、おそらく前者はアレルギー等を指しているものと思われます。
こんな回りくどい表現になっているのは、おそらく「先天的な障害が理由で悪人になってしまった」とするような表現がポリコレ的にNGだからと思われますが、まあその辺の表現の問題は置いておきましょう。
いずれにせよ努力や考え方では解決しない問題が多々あるので、これほどの理由があるならば食べることを嫌いになって当然と言える重い背景です。
それでは本作はそんな彼の問題点と一体どう向き合ってゆくのでしょうか。答えは「向き合わない」です。

彼の「食事」に関わる描写は後に37話でりんご飴を気に入る展開が描かれており、その件で果物に関しては前向きになったのか最終回でショートケーキのイチゴだけは食べるシーンがあります。
多分スタッフはこれで解決したつもりでいると思うんですが、冷静に考えて果物を1つ2つ気に入ったところでアレルギーも猫舌も一切治ってないだろ。この先ずっとフルータリアンとして生きるのが彼の幸せか?

そして最後にローズマリーから「世界にはまだまだ、美味しいものがたくさんあるわよ」と、何だかナルシストルーが食の魅力を知らなかっただけのような言い方で締められるんですが、やたらと重い背景を背負っているキャラクターを出したくせに現実に偏食で苦しんでいる人(俺とか)からしたらバカにされているとしか思えない結論でした。

あと、彼がりんご飴を口にした時「これが、旨いということか…」と言っているので彼は産まれてから一度も「美味しい」と思ったことがなかったようなんですが、いくら何でも無理があるだろこいつの両親は何やってたんだよ
親すら彼にまともな食事を与えないくらい家庭が崩壊していたならそれを当然描写するべきだし、逆に「両親は彼のために頑張って口に合うものを作ってくれていたが、その両親が他界してしまった」とかの設定でも彼が闇落ちする説得力は持たせられたはずです。
とにかく本作は必要な描写を一切入れてない、何一つ事態が解決していないくせに何かいい感じっぽい雰囲気だけ描写して解決したような気になってる場面が多すぎるんですよ。

スピリットルー

幹部と呼ぶべきか微妙なポジションの敵として、中盤から参入するスピリットルーが存在します。彼はロボットなので当然「食事」の価値そのものを理解できない…と、作品のテーマ的に最強の敵にも成り得そうな相手でしたが、こいつは先述の通り幹部と呼べるかどうかも微妙な扱いのまま戦闘からフェードアウトします

彼は応援することで呼び出した怪物を強化する能力を持つのですが、27話ではその点を指して主人公から「食事は応援をするのと同じこと、元気をもらえて幸せなこと」と言われたことで食事の価値について悩み始め……直後にナルシストルーによって機能停止に追い込まれ、その後は感情が邪魔だと判断されたのか人格を消去されて戦線離脱です。
結局、明確に「食」に理解を示してから処分されたわけでもないのでプリキュアたちから同情してもらえるわけでもなく、戦って決着をつけるでもなく、何とも尻切れトンボな退場でした。

その後プリキュアとは全く関わらなかった彼ですが、最終回では再び人格が復活し、今度は一転「ご飯は良いものでごわすなあ」と朗らかな笑顔を浮かべるようになりました。結局食事の良さを自分で知ることはなかったのに。ロボットなんて、どんな悩みも人格のプログラムを変えれば全部解決すると言うのが本作の主張かな?
彼の名前はスピリット(精神・魂)が由来と思われますが、魂が宿った存在として扱ってもらえないまま終わったのは何かの皮肉でしょうか?

変身バンクは最高だ、変身バンクだけは

そして作中では最初に戦う幹部ジェントルーにして、後にキュアフィナーレとして覚醒する菓彩あまね。いわゆる最初は敵側だったプリキュアの一人ですが、大変悲しいことに彼女の描写もスカスカです。

まず根本的な話、彼女はブンドル団に洗脳されて悪事を働いていたのですが、彼女が洗脳された理由は何だと思いますか?

プリキュアとしての覚醒を防ぐため?
プリキュアの力を、逆に悪事に利用するため?
それとも、食への憎しみが強くてブンドル団と同調する存在だったから?

答えは全部ハズレで、特に理由は何もありません
何故かブンドル団が突然誰か一人だけ洗脳して味方にしようと考え、たまたま洗脳されたのが彼女で、その彼女が偶然プリキュアだっただけです。

33話では、以前ナルシストルーを倒した際に言われた「恨みを晴らしたらどうだ?燻ってるものがあるんだろう」という言葉が彼女の中で繰り返され、それで思い悩んだ彼女が変身不能に陥るストーリーが展開されます。
単にナルシストルーやブンドル団を憎んでいるだけならこれほど思い悩むこともないだろうし、こんなに意味深に「燻ってるものがある」と繰り返されるからには、やはり彼女自身に何か「食」に対する負の感情があったんじゃないか?だから洗脳されたのでは?と思えてくる内容ですが、結局そんなものは何もなくて、彼女の「恨み・燻っているもの」とは単に自分を洗脳して利用していたナルシストルーに対する個人的な恨みの話だったと判明します。

で、彼女はそれを「悪い心」と呼ぶのですが、そりゃ洗脳して悪事に加担させてきた相手を憎むのは当たり前だろ。それでも相手を一切恨んでなかったら聖人通り越してただのバカじゃねえか
まさかとは思いますが、この「悪い心」が洗脳された理由だと描いたつもりなんでしょうか?洗脳された結果生まれた感情なんですが。
この33話の終盤、彼女は「私はもう、揺るがない」と良い台詞っぽく語るんですけど、なにせエピソードの内容がこの体たらくなので全然良い台詞になっていないのが涙を誘います。

あと、彼女の変身時の口上は「ジェントルに、ゴージャスに、咲き誇るスウィートネス!」なのですが、これもかなり問題があります。

もしも彼女がジェントルーとしての自分にも誇りを持っていたなら、プリキュアとしての名乗りの際に「ジェントルに」と言うのも納得できます。
ですが、彼女は先述の通り自分の意志でジェントルーとして活動していたわけではなく、洗脳されて悪事に加担させられていた件に関しても明確に自身の「罪・汚点」と考えています。
そのため、自分がプリキュアになる素質があると言われても「ジェントルーとして悪事を働いた自分がプリキュアになる資格なんて無い」と語っていました。
そんな自責の念の強い人物として描いておきながら、変身時に自分から堂々とジェントルーを想起させることを名乗ったら台無しじゃないですか。
何も考えずに「名乗りにジェントルー要素入れたら何かエモくね?w」ぐらいの軽い気持ちで言わせてキャラを壊した感が半端ないです。

キュアフィナーレのデザイン、変身バンクの映像とBGMなんかは文句無しで最高だし、あまねのキャラクター性も料理の方法さえ間違えなければものすごく魅力的になれたと思うんですが、結果は見ての通りです。クソが。

プリキュア史上最低の両親を持つ女 芙羽ここね

頭ふわふわ芙羽ここね

お待たせしました、これまで散々批判を書いてきたデリシャスパーティプリキュア、文句無しの最低エピソードの持ち主。
2人目のプリキュア、キュアスパイシーこと芙羽ここねです。
彼女は父親が高級レストランの経営者、母は「神の舌」の異名を持つ有名人とのことで、学校でも「芙羽様」と呼ばれ完全に雲の上の人扱い、対等な友人は誰もいない状態でした。
そんな中、当たり前のように自分を友達として扱うゆい、そしてその周囲の人物との出会いを通して、少しずつ友達と過ごす日々の楽しさを知ってゆきます。

23話「ここねのわがまま? 思い出のボールドーナツ」はここねの家族が中心となる回の一つです。
「思い出のボールドーナツ」なんてタイトルなので過去の楽しい思い出の話かと思えば、意外なことにその内容は家庭内に壁が生まれたきっかけのエピソードなのですが、この回は本作のテーマである「食」を活かしつつ、これまでの物語を通して築かれた友情と登場人物の成長がしっかりと描かれた本作では大変珍しい回です。

きっかけは本当に些細な事ですが、その「些細なこと」がずっと心にしこりとして残り続け、家族関係に隔たりを生んでいた。
些細なことだから、後から蒸し返して解決しようとも言い出しにくかった。
些細なことだから、ほんの少しの勇気を持って踏み出せばあっという間に解決することだった。
些細なことだから、お互いがその件を忘れていなかった事実が家族の繋がり、お互いを思いやる気持ちが同じだったことが伝わる。
人付き合いに関しては不器用ながら、その心は幸せを分け合いたい思いで溢れている。そんなここねと両親の小さなすれ違いの、切なさと暖かさが詰まった、本当に心温まるエピソードです。

「なんか良い話っぽい雰囲気出してるけど何も解決してないよね?」が合言葉のようなデパプリなのに、この23話は過去の問題を解消し、「家族に気持ちを伝えるのはワガママなんかじゃない」とお互いが言い合えるくらい心を許せる関係を築く……と、ちゃんと芙羽家の不和が解決してますからね。この回だけ見たらデパプリが傑作だと錯覚しそうになります

そして、そんな幻想を完膚なきまでに破壊してデパプリの何たるかを教えてくれるのが第35話です。
この回では仕事のために家族で海外に引っ越そうと言い始めた両親に対し、ここねが「お友達と離れたくない、引っ越したくない」と告げて家族での引っ越しを取りやめるまでの話が描かれます。

23話で、ここねが友達の前では屈託のない笑顔をしているのを見たり、ここねの口から「私、一人も好きだけど、みんなで食べるのも好き。お友達がそれを教えてくれたの」と告げられたりと、両親はここねが今の町の友達を本当に大切に思っていることをしっかり教えられたし、それを理解していたはずでした。

なのに、35話ではここねに一言の相談もなく遠い国へ引っ越すつもりだと言い出した
つまり、23話で家族の絆が深まったように見えていたのは全部気のせいで、結局ここねの両親はここねが大切にしているものを何一つ理解していなかった事が判明したわけですよ。

「マイラ王女(31話に登場)がゆいにそっくり」という話を両親はここねから聞いていたようなので、23話以降もここねが両親と連絡を取り合っていたのは間違いありません。つまり今の町で友達と過ごす日々の楽しさは再三聞かされていたはずです。
なあ、マジで教えてくれよ。なんで何度もここねと話してるはずなのに「引っ越しなんてここねが嫌がるに決まってる」と理解してなかったんだ?
35話の冒頭で、母がお土産を見せながら「ここねの好きなもの、バッチリ分かってるもの」と得意気に言いますが、どの口が言ってるんだよ。舌は神でも脳みそは蟻んこか????

こうして、23話で生まれたほかほかハートは35話という絶対零度の大紅蓮地獄により凍り付き、粉々に砕かれることとなるのでした。

プリキュアと全く無関係な黒幕 フェンネル

本作のラスボスにしてブンドル団の団長、ゴーダッツを名乗っているのは
ストーリー序盤からクッキングダムの近衛隊長として登場していたフェンネルという人物なのですが、彼はデパプリの根本的なストーリーのダメさの象徴のような存在です。
まず、一応彼は味方側の存在として序盤から登場していた人物ではあるんですが、プリキュアたちとは全然深く関わってこなかったので彼が黒幕だったと言われても「あの〇〇さんが敵だったなんて!」みたいな衝撃や絶望が全然無いんですよ。

そして、このフェンネルが闇落ちした動機が本作の脚本最大の問題で、その内容はと言うと「自分が最高のクックファイター・ジンジャーの一番弟子で、能力も十分だったはずなのに後継者に選ばれなかったから」です。
つまり完全なクッキングダムの内輪揉めが理由であって、人間界はそれに勝手に巻き込まれただけ、プリキュアはクックファイターのおっさん同士の喧嘩を代理で仲裁して尻拭いするために引っ張り出された、という構図です。こんなに燃えないストーリーある??
そもそも本作の題材の「食」とも一切関係ないし。

そして最終決戦では、実は件のジンジャーが後で問題が発生した時のためにずっと前から備えをしていた事が明らかにされ、それが切り札となるのですが。そんな先見の明があるなら最初からフェンネルの闇落ち自体を防いでほしかったな
と言うか、最後の最後になって今までの主人公たちの活躍と全く関係ない要素が勝利の鍵になるって正気か??だったらプリキュアの手なんか借りずにジンジャーが最初から一人で全部解決しろよ。お前の弟子だろうが。

こんなことを今更言うのもアホらしいんですが、プリキュアとは少女たちが仲間と楽しい日々を過ごし、そして力強く戦うことで少女に元気や勇気を与える作品だったはずです。
そんな少女による少女のための作品から少女の活躍を削って、代わりにおっさんの嫉妬が原因で起きたおっさんVSおっさんのバトルを描くことに制作陣は誰か疑問を抱かなかったのか?
そこまでして「たとえ少女向けの作品だろうと女性ばかり活躍するのは差別」みたいなポリコレの呪いを遂行する必要があったのか?

そして差別で終わる

最終決戦が終わると、食事の復活を祝してお祭りが開かれます。
で、主人公の一家はベジタブル丼を振る舞うのですが。この際「どうして今日はベジタブル丼なの?」と質問したゆいに、母はこう答えます。

「お肉とかお魚を使わないお料理なら、いろんな考えやお国柄の人も一緒に楽しんでもらえるかなーと思って」

つまり「肉や魚は、"一緒に楽しむ"ためには無い方が良い存在」かのように語っています。
ここで自分語りをすると、私は野菜が極端に苦手でトマトくらいしか食べられないのですが、私はどうすれば良いんでしょうねヴィーガン様やハラル様だけが尊くて、野菜を食えないだけの偏食小僧には「一緒に楽しむ」資格は無いってのが本作が一番伝えたかったことか??
そもそも、どんな人でも食事を楽しめるようにしたいなら複数のメニューを用意するとか、バイキング形式にでもすれば解決するだろ
なのに本作が最後の最後に主張するのは「野菜だけ食ってろ」です。

俺だって、「ヴィーガン対応のメニューも用意した」だったら何も文句言ってねえよ。あらゆる人に配慮したかのような口を利きながら、あからさまに世間で騒がれている「弱者様」にだけ媚びて、それ以外の人を平気で踏みにじっていることに気付きもしないのが気持ち悪くて仕方ねえんだよ

まあ、歪んだ説教だらけの本作を締めくくるにはピッタリの言葉でしたね。このまま「黒人立入禁止の食堂にすれば、いろんな考えやお国柄の人も一緒に楽しんでもらえるかなーと思って」くらいのことも言ったら面白かったのに。

面白ければ文句は言わねえんだ、面白ければ

いい加減デパプリへの文句ばかり書くのに疲れたので別の作品を引き合いに出すんですが、一つ前の作品「トロピカル~ジュ!プリキュア」では「個性の許容」みたいな内容も自然に描かれているんですよ。
例えば涼村さんごがプリキュアとなる話では「自分の『好き』を信じる」が鍵となっているのですが、これは「自分の臆病さを乗り越える」物語として彼女を応援できる内容となっています。

周囲に「変だ」とか言われたわけでもない。だけど自分ひとりだけ好きなものが違うせいで、何だか仲間外れになったようで寂しくて、悲しかった。
そんな経験から、無意識に自分の考えよりも他人に合わせることを第一に考えるようになってしまった。
そんな彼女が自分を信じることでプリキュアとなり、友達に対しても「無意識の仲間外れ」を恐れることなく接することができるようになる。
ちょっと教科書的ではありますが、これからプリキュアの仲間たちと過ごしてゆく楽しい日々の始まりとしてふさわしいエピソードです。
妙に強い言葉で他人の個性を否定する邪悪なモブも出てこないし、さんご本人が「私の個性はみんなに受け入れてもらえない!」と被害者面をすることもありません

そして彼女は後に15話で応援団の手伝いをする際、他のプリキュアのメンバーがいわゆる男性の応援団の服を着ている中、一人だけチアガールの服で参加しています。
この服装選択は特に会話で言及はされないのですが、彼女がたとえ一人だけでも自分の好きな服を選んだことが伝わる良い表現になっています。
「個性は素敵だよ!一人だけ違う服を着てもいいんだよ!」なんてわざとらしい台詞を仲間全員で言わせるようなことはせず、こちらはポリコレ要素でも自然に、特に矛盾なく入れているので悪印象は無いし、作中の物語・人物の成長としてしっかりと昇華されているのが良いですね。

左が主人公たちの仲間、人魚のローラ

14話ではみんなが保育園で楽しく遊んでいる中、部屋の隅で昆虫の本を読んでいるいかにもな陰キャっぽい男子が登場します。
で、彼についても最近の作品らしく「暗くてダメな子」としては扱わず、「そういう個性の子」として扱われるのですが、彼の昆虫への情熱や知識、そして友達を思いやる気持ちを通じて自然に彼の魅力を描いています。
また、彼と絡む相手が人魚なので地上の知識に乏しいローラなのが巧い配役で、上から目線の「子供に付き合ってあげる、個性を受け入れてあげる」構図にせず、あくまで対等な立場での交流として描いているのが見事です。

「砂遊び」も子供騙しではないと説明する

それ以外のシーンでも、トロピカル~ジュでは「これはこれで良いんじゃない?」くらいの気軽な肯定で互いの個性を認めていたり、誰かの意見を否定することはあるけれど、それには自然な流れで説明や反論をして、お互い納得する形で意見の違いを解決していたりします。

妙に「不寛容な社会」を敵視したような発言をさせなくても、やたらと説教臭い思想の押し付けをする台詞を何度も言わせなくても、「個性に寛容な社会」なんてものは描けるんですよ。

次回作「ひろがるスカイ!プリキュア」についても、放送前から既にプロデューサーの「テーマはヒロインではなくヒーロー」発言が物議を醸しており、もはやプリキュアとポリコレは切っても切れない関係になりつつあります。
そもそも美少女戦士セーラームーンを筆頭に「戦う女の子」なんて大昔から当たり前の存在となっていた日本が今更ポリコレに追従するのは30年くらい退化しているとしか言いようがないのですが、ポケモンやドラクエといった世界的タイトルもポリコレを無視して通らなくなった今、この辺りはもう今更文句を言ったところでどうしようもないのでしょう。

私はこの記事中で何度もポリコレ批判みたいなことを書きましたが、たとえポリコレ主張が込められていても最終的に作品として面白ければ別にいいんですよ。だから今回、ポリコレ要素も自然に織り込んでいるトロピカル~ジュについては褒めることしか書かなかったぞ。

デリシャスパーティは歪んだ思想の押し付けばかりが先行して、根本的に作品としての面白さが完全に放り出されている。だからダメだ。
以上です。

お疲れ様でした。

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