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【名作迷作ザックザク⑬】人生のための復讐か、復讐のための人生か... 崇拝対象を亡くした女性が仕掛けた恐怖の世直し映画『プロミシング・ヤングウーマン』

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。(✌'w'✌)
 そういえば数年前にニュースになってたインド版『ランボー』リメイクはその後どうなったんだろうとふと思い出して気になった、O次郎です。

当初公開予定だった2018年に同じタイガー・シュロフ主演で
タイガー・バレット』ってアクション作品が有ったのでそれがランボーリメイクの成れの果て
かと思いきや、それは『Baaghi』って作品の続篇みたいだし・・・。

 今回はスリラー映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020)です。
 公開当時、宣材ポスター見てかなりオシャンティーな作品かな~となんとなく気遅れてしてそのまま見逃し三振状態だったのですが、未だに各種映画サイトでトレンド入りしているのでこりゃ~観ねば、ということで近々ようやく観た次第でございます。
 最愛の親友を失ったことでキャリアを捨てて無為に生きてきたアラサー女子が全身全霊を掛けて挑む復讐劇。そんな彼女を目の当たりにして”大人になれていない”と断ずるのは容易いでしょうが、"歳を重ねる毎に他人の痛みに対して無関心になることが真っ当な人間の心理なのか?"と観ている側に突きつけてくるような社会派作品です。
 俗に言う"リベンジムービー"が好物な方々、欅坂46の『不協和音』の詩の世界観に歳を経てもなお共感した方々、読んでいっていただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・・・・・・・僕は嫌だ!!!

"僕は嫌だ!"違い・・・ってか。(`・ω・´)



Ⅰ. 作品概要

 アーティストさんに関してはよく”デビュー作がその人のすべて”みたいな言説を耳にしますが、本作は監督のエメラルド・フェネルの監督デビュー作に当たるそうで、その啓発的というよりもむしろ宣戦布告的な内容はアーティストの初期衝動に近い生々しさを感じます。
 内容に関しては、端的に喩えるなら『天使の復讐』(1981)×『ダーティハンター』(1974)というところでしょうか。

『ダーティ・ハンター』(1974)
ベトナム帰還兵の金持ちエリート男性たちが弄んだ女性が自死するも、
彼らは社会的立場の高さゆえにほとんど罪に問われず、
さらには別荘地に誘い込んだ男女に"人間狩り"を仕掛ける…。
日本国内では一切ソフト化されてないのが勿体無い!
『天使の復讐』(1981)
名匠アベル=フェラーラ監督によるレイプリベンジムービーの傑作。
イメージイラストが超絶カッコイイ!!
うら若き聾唖の女性が一日に立て続けに二度も暴行された恥辱と憤怒を、
男性そのものに対する憎悪に昇華させて夜な夜な暴漢を血祭りにあげる。

 本作では直接的な暴力描写は極力避けられており、主人公はきっかけを作るだけで、復讐の対象者たちは自縄自縛に陥っていきます
 それは、”己の犯した罪に向き合い続けろ””被害者に思いを馳せ続けることが「大人げない」とされ、罪を犯した側が自分で自分を赦すことが「大人になる」ことだというのはおかしい”というド正論であり、それを事件の当事者たちすべてに突きつけた主人公はまさしく穢れを知らない天使のようです。 
 主演のキャリー=マリガンは個人的には、女性の権利獲得のために戦った女性たちの物語『未来を花束にして』が印象的でしたが、本作では周囲の無理解に苦しむ繊細で無垢な女性像にさらに磨きがかかっていたようにもいます。

『未来を花束にして』(2015)
女性の参政権運動に身を投じたことで、夫から一方的に離婚を突きつけられ、
息子は養子に出され、仕事は解雇されてしまう…。



Ⅱ. 主人公にとっての復讐とは?

 まず、本作では徹底して男性が醜悪に描かれています。冒頭のクラブでのダンスシーンからして男性たちの股間のアップを延々見せつけており、異様な滑り出しながら下品になっていないところはひとえに演出の粋でしょう。
 また、夜な夜な盛り場に繰り出しては泥酔したふりをして”お持ち帰り”される彼女は、コトに及ぼうとする相手を殴るでも訴えるでもなく、ただ自らの下衆な行動を自覚させるだけです。

"謝れって言ってるんじゃなくて、何をやったのかって聞いてるの?!"
男性が一番言われたくない言い方・・・。

 この主人公の”自らの罪を自覚させる、自覚させ続ける”という信念は作中を通して一貫しており、それは男性に対してだけでなく、親友ニーナが弄ばれるのを看過したマディソンに対して泥酔した状態で見ず知らずの男性とホテルに同室させたり、暴行の張本人であるアルを不問とした校長に"もし自分の娘が同じ立場だったら?"と自覚させたり、あくまで暴力的な手段は取らずに相手に悟らせます。
 これがもし男性作家だったら、主人公が仇敵たちを次々と処刑していく物語にしようものですが、本作では主人公はあくまで自らは罪を犯さない無謬の象徴であり、相手が罪悪感に苛まれる、もしくはより決定的な罪を負うように促していく展開は、"どっちもどっち"という喧嘩両成敗を赦さない苛烈さです。

梶芽衣子さん主演の『修羅雪姫』なんかはまさに因果応報というか、
暴力に暴力で返しているという"逃げの余地"が有りますね。
平井和正先生の『ウルフガイ』シリーズにも輪姦されて自殺した女性の
怨念が虎になって犯人たちを血祭りにしていく話が有ったような…。
30歳を迎えたとは思えないような無垢さが底知れぬ恐ろしさを湛えている。

 また、主人公の最愛の親友であり、行動原理でもあった親友のニーナが画面に一切登場しないことも本作の秀逸な点です。具体的なイメージを提示されないがゆえに、彼女を絶対視する主人公の言葉だけで観ているこちらの妄想がどんどん肥大化し、その存在が神格化されて恐ろしくなってきます。同じスリラー映画の括りでいえば、ヒッチコック監督の『レベッカ』と同じ手法でしょうか。

本作の主人公を"現代版のダンヴァース夫人"と考えれば
よりサイコパスチックな味わいに。

 主人公のニーナに対する愛は同性愛を超えた崇拝に近く見え、自らの手を汚すことなく復讐を進める彼女は殉教者のようでもあります。 
 最終的に主人公キャシーは、親友ニーナを自死に追いやった張本人のアルに自らを殺害させることで、永遠の罪の意識の牢獄に捉えるとともに、現実的な牢獄にも追いやることで復讐を完遂させます
 つい、”何もそこまで・・・”と思ってしまいますが、主人公にとっては最愛のニーナを失った後の人生に価値は無く、彼女の親ですら彼女を失った怒りを忘れようとしているこの世界に未練は無かったということでしょう。

アルの独身最後のパーティーに”男性の性の捌け口”の象徴のような佇まいで現れる徹底ぶり。

 物語中盤、主人公は医大生時代の学友の男性ライアンと恋に落ち、復讐を忘れかけますが、彼も親友ニーナの受難の傍観者であったことを知るにつけ、瞬く間に復讐の天使に舞い戻る展開がどこまでもクールであり、現実への妥協を許さない製作陣の執念が夢に出てきそうであります・・・。



Ⅲ. おわりに

 というわけで今回はアラサー女性の姿をとった天使の復讐劇『プロミシング・ヤングウーマン』を題材に語りました。
 "軽い気持ちで他人を弄んだ当事者だけでなく、その傍観者も許さない"というあまりにもストレートな題材をこれだけオシャレな映像に仕上げた作品はそうそう無いのではないでしょうか。

楠桂先生の『鬼切丸』も思い出しました。(`・ω・)
こういう情念の世界は強烈に幼少期の記憶に残ったわけで。

 主人公をありがちなモンスターとして描かなかったことが結果的に本作のセンスであり、批評家からも高く評価されている由縁ではないかと思います。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・・・どうぞよしなに。





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O次郎(平日はサラリーマン、週末はアマチュア劇団員)
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