【最新作云々㉗】過疎化・少子高齢化・介護・結婚難のカルテットは日本社会の縮図か?! 寂れた町を舞台に本当の"地方創生"を問う社会派人情映画『向田理髪店』
少年期、床屋に行くのがなんとなく不格好に感じて美容院に鞍替えした時期はブリーフが恥ずかしくなってトランクスに移行した時期とほぼ重なるんじゃないかと思い出す、O次郎です。
今回は邦画の最新映画の『向田理髪店』です。
高橋克実さん主演というなんともいぶし銀なキャスティングにまず惹かれつつ、寂れゆく地方問題をテーマにして変化に否定的な住民側を主体に如何にネガティブに偏り過ぎずされど理想論に終始しないエンタメ作に仕上げられているか、俄然興味が湧いて劇場に足を運んだ次第です。
田舎の閉塞感と出歯亀根性が嫌になって上京した身としては主人公の息子世代の心情に近いハズなのですが、彼らのその時々の熱情に正直なもののその実非常に移り気で一貫性の無い様がどうしても目についてしまう老壮世代の心情もよくよく共感されるところであり、その相克がそのまま地方創生を巡る問題の難しさを表しているという本作のスタンスがなんともしっくり来て感心した次第です。
地方生活に現在進行形で向き合っている方、逃げ出した方、向き合おうとしている方、読んでいっていただければ之幸いでございます。ネタバレ含みますので避けたい方はご鑑賞後をオススメいたします。
それでは・・・・・・・・・・・・トリコロールカラー!!
Ⅰ. 作品概要
(あらすじ抜粋)
向田康彦(高橋克実)は妻の恭子(富田靖子)と親から継いだ筑沢にある理髪店を営んでいた。理髪店の客は近所の老人たちがほとんど。仕事が終われば、近所にあるスナック「昭和下町」で中学からの同級生でガソリンスタンドを営む瀬川真治(板尾創路)や電気店を営む谷口修一(近藤芳正)と移り変わってゆく町の愚痴を口にする毎日。そんなある日、東京で働いていた息子の和昌(白洲迅)が帰郷し、会社を辞めて店を継ぐと言い出す。和昌の言葉を聞き、恭子は素直に喜ぶが、康彦は自分の過去が頭を過ぎり、不安を感じる。
鑑賞後に周縁情報を調べてまずオヤッと思ったのが、原作と舞台となる地方町が違う点。原作では北海道ですが映画では福岡県に置き換えられており、それに伴って作中の地方ロケ映画も『赤い雪』→『赤い海』に変更されています。同じ元炭鉱町といえど北から南に変更されているということで真逆な印象を受けますが、それでもきちんと成立しているあたり地方の過疎の町の問題が普遍的なものであることをあらためて実感させられますし、実際、地理的には全く異なる関西の山間部の町の出身である私にも十二分に身近なテーマとして受け入れられました。
Ⅱ. "田舎で生きる"ということの有象無象の圧力
とどのつまり、田舎での生活とは"冒険しない"という冒険をし続ける生活だと思います。何か他人と違ったデカいことをやろうものなら白い目で見られて瞬く間に引き摺り下ろされ、その地域の流儀に均されてしまう。
主人公の息子和昌(白洲迅さん)とその友人たちは「故郷の町を救いたい」と自らの展望を掲げ、中央からの役人も彼らの熱意を後押ししようとしますが康彦は懐疑的です。「この町は沈みかけの舟みたいなもんだから、沈む前にそこから逃がしてやるのが親心ではないか?」と。
そして中央からの出向役人には「ここに住み続けたいと思いますか?」と。
多くの寂れた市町村はいきなり衰退した訳ではなく、少しずつ少しずつ衰退の道を辿っているわけで、そこに活気を取り戻させるには当然ながら少しずつ少しずつの緩やか且つ長期的な変化が必要です。
しかしながら仕事の都合で赴任してきた役人や職人は長期的に居住するわけではなく、若者たちもその時その時の思いに一生懸命であるがゆえに本作の和昌のように、意思を翻して再度上京する決心をするケースも非常に多いでしょう(当然ながらそのフレキシブルさが若者の良さでもあるのですが)。
となると必然的に地域創生政策に長期的に携われるのは地域に根付いた人々しかおらず、彼らの一致団結した"活気を取り戻したい"という熱意無しに沈没は避けられません。それまでの衰退の歴史はいわば地域住民の意思の結果でもあるわけで、であるならばなおのこと変化を厭う高齢層の多くなった住民が主体的に振興を願うのは難しいでしょう。
一方で地方生活の良い面もきちんと描写されています。
競争にあくせくせず互いにリスクを負って互いに儲ける互助精神、急病人が発生した際の隣近所での助け合い、そして伴侶(主人公は奥さんが富田靖子さんということで些か不釣り合いな美人ですが、そこもまたリアル…)と穏やかに歳を重ねていく。
親の介護のために出戻ってきた幼馴染みの男性が職探しに楽観的なことに対して「田舎の生活を馬鹿にするな!!」と主人公が激高したことに垣間見える屈折した自尊心は考えものですが、そこは都会から田舎へのマウントも考えるとどっちもどっちなのかもしれません。
そして思わずゾッとしたのが、スナック経営を巡るいざこざのくだりです。
東京で水商売をしていた早苗(筧美和子さん)が母親の介護のために舞い戻るのですが彼女のスナック開業を巡っての周囲の反応が象徴的です。
主人公含めた男性陣が"様子見"で彼女の店を押しかける様は微笑ましいものですが、彼女に関する好色な噂で喧嘩沙汰が起きたり、彼女に交際男性がいると判った途端に客が激減したり、果ては同業者のスナックや主婦たちが"事前に開業の挨拶が無かった"と憤ったり・・・。
作中で主人公が「町に誰かが入ってきてみんなが色めき立つ。それが刺激になるけどしばらく経ったらまた何にも無い日々に戻る。それでいいと思う。」としみじみ語るシーンがありますが、異邦人にとってはともすれば一世一代の決断が地域にとっては話のネタでしかない、という絶望的な開きが地方生活の難しさをまた端的に物語っていたように思います。
それらを考えると、作中後半で描かれた地方ロケ映画は地域振興策としてちょうど良い距離感に思えてきます。
一過性のコンテンツなので住民生活を長期的・劇的に変化させることは無く、聖地巡礼等で地域に金が回り、作品への協力という形で良くも悪くも地域住民に共通した思い出話も生まれます。
板尾創路さん演じる瀬川が「町を馬鹿にしている」と映画の内容を酷評しているシーンは地域振興策に於ける住民の意見としていかにも有りがちですが、"悪名は無名に勝る"という面も有り、痛し痒しでしょうか。
東京から出戻ってきた息子に対し、過去に同じように夢を持って上京しながら親の介護を理由に出戻った主人公は内心で自らを"負け犬"と規定し、自分と同じ道を辿るなと叱咤するのですが、美容師になるべく再上京する息子の決心は仕事の跡継ぎを失った寂しさよりも何倍にも嬉しかったことでしょう。
作中では、新しいチャレンジをするのを後押ししてくれる、つまりはそれまでの失敗を水に流して先入観無しに協力してくれる場が"都会"であり、そのチャレンジがしんどくなった人のためのドロップアウトの場所として"田舎"があり、実際現在の社会でもほぼほぼそのような棲み分けが為されていると思います。
そのチャレンジを行うのに制度だけでなくそこに住む人々も臆面無く後押しできる土壌が地方創生には必要だということが本作の示す一つの答えだと思えました。
Ⅲ. おしまいに
というわけで今回は最新映画『向田理髪店』について書きました。
地方社会の良し悪しを一つ一つのエピソードで浮き彫りにしつつ、全体としては朗らかな人情喜劇に仕上げた作品として素晴らしいバランスだと思いました。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。
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