【最新作云々⑨】老人への安楽死の選択の自由は新しいビジネスモデルと"生涯現役"の優勢思想を秘かに育む... 未来に横たわる高齢社会への対応を淡々と描く『PLAN75』
結論から言おう!!・・・・・・・こんにちは。(・∀・`●)
ふなっしーの趣味が日本刀集め、というニュースを聞いて、二年ほど前にCSで観た刑事ドラマの『特別機動捜査隊』第621話「日本刀を斬る」を思い出した、O次郎です。
今回は最新公開映画『PLAN75』についてのお話です。
宣材ポスターや予告編が随分と淡白だったため、敢えて激しい部分は削ぎ落した「みんなで考えましょう」的な啓発映画のようなテイストかと感じてなんとなく食指が動かなかったのですが、この週末のスキマ時間にぴったり当てはまるような上映スケジュールが有り、それではと観てみた次第です。
で、予想の通り道徳の教科書然とした、問題の"上澄み"提示感は有ったのですが、それゆえにテーマの重さのわりに誰でもすんなりと観られる間口の広さは良かったです。また、主演の倍賞千恵子さんがその美貌を封印して演じる普通のおばあちゃんの生き方を通し、こうした一種の棄民制度がその対象者に対してどういう自覚を促すか、セリフよりもその空気感で以てして表現されており、アート志向の強い演出が特徴的です。
私と同じように啓蒙映画は苦手という人々、血沸き肉躍るスペクタクル作品よりもオフビートで構図や風景が光るアート作品が好みな方々、読んでいっていただければ之幸いでございます。ネタバレ含みますのでご容赦をば。
それでは・・・・・・・・・・・・・・・残・奪!!!
Ⅰ. 作品概要
冒頭、例の介護施設での大量殺戮事件を彷彿とさせるような事件が起き(直接的な残酷表現は極力避けられています)、犯人の思惑通りそれを切っ掛けとして"PLAN75"の関連法案が可決・施行される運びとなっています。現実世界でも現行の制度を大きく変革する法案成立の背景には痛ましい事件が必ずと言っていいほどセットであり、もちろん大前提として強権的な現状変更はダメですが、"人身御供"有りきの改革、というのは既に出発点からして当事者を蔑ろにしているのではないかと感じてしまいます。
一応、倍賞千恵子さん演じる78歳の後期高齢者の独居女性と、件の"PLAN75"を推進する磯村勇斗さん演じる市役所職員との両サイドからの視点で描かれているのですが、ウェイトはあくまで倍賞さん演じる当事者の高齢者側に在り、彼女の寂寥感や疎外感がそのまま作品全体を通しての画造りに現れています。
監督の早川千絵さんは本作が長編映画デビュー作。
さすが美大出身だけあって、陽光の屈折や冬のみぞれの降りはじめなど、登場人物の内面の空虚さや不安を風景美に投影する手法は美しいがゆえにより残酷に映ります。
同監督は数年前の2018年にもオムニバス映画『十年 Ten Years Japan』で同じく「PLAN75」というタイトルの作品を監督していますが、そちらでは制度の対象者が"貧しい"老人たちに絞られているという違いはありますが、制度の恩恵を受ける後期高齢者の子ども世代を主役に据えており、本作の補完というか姉妹編の様相を呈しています。
アート性が高いがゆえに作品が持つテーマが苛烈なものであっても鑑賞するハードルは高くないものの、そのアート性ゆえにどこか浮世離れしていて当事者として問題を突きつけられた切迫感や強烈な嫌悪感は無く、ゆえにテーマの重々しさは薄れてしまった感が有るかもしれません。
そのためかどうなのか、要所要所で主要登場人物それぞれがふとカメラ目線でこちらを見つめる演出には大いにハッとさせられました。
Ⅱ. 内容についてあれやこれや
まずもってですが、主演の倍賞千恵子さんの存在感があらためて素晴らしいです。80を過ぎた現在でもお綺麗ですが、本作ではその美貌を封印し、どこにでも居る普通のおばあちゃんオーラを十二分に醸し出しています。
作中では最初の夫との間で死産と離婚を経験し、二番目の夫とは添い遂げるも死別、子どもや頼る身寄りもなく、お友だちとのささやかな食事やお喋りを楽しみに生きている女性です。"PLAN75"を申し込んだ人は支度金として10万円が国から支給されますが、その10万円すら自分には大き過ぎて使い道に困る、というつつましさです。そして今の高齢者がまさに直面している問題の如く、彼女も高齢による職や住居探しの困難や、生活保護を推奨されてのアイデンティティークライシスにぶち当たります。
こうした堅実に生きてきた一人一人の人生が、国にとってはさして経済を回さない"層"として認識されるであろうことが暗に読み取れます。その真っ当な、これからの時代はよりメインストリームとなっていくであろう独りでの生き方を、肯定しないことはおろか否定するような制度の立て付けにコールセンターのスタッフの女性は疑問を感じ、決まりを破って直接彼女に会い、彼女との最後の電話に涙したのではないでしょうか。
また、作中で"PLAN75"の制度に反対する層は確かに存在するのですが、直接的に"人物"としてそれが登場していないのも特徴です。たとえば、病院の待合室で"PLAN75"のPR動画が流れるモニターを老人男性がコンセントごと引っこ抜いて消したり、あるいは"PLAN75"の野外特設申請会場の看板に生ごみが投げつけられたり、それは顔を持たない抵抗圧力として登場します。
"PLAN75"は上記のような当人への支度金に加えて葬儀費用も掛からず、本人意思のみで申し込み可能で、執行直前でもキャンセル可能であり、一見すると配慮が行き届いています。
しかしながら制度として推奨する都合上、対象者への働き掛けは一歩も二歩も踏み込まざるを得ず、申請会場をホームレスへの炊き出しの会場に併設したり、高齢者の健診施設で申し込みが出来たりと、対象者への心理的圧力はどうしても生まれます。健診会場で倍賞さんが「なんか、長生きしようとするのが悪いみたいね…」と呟く場面があり、今現在の高齢者医療の制度でも当事者はその思いを感じているでしょうし、この制度の中ではその思いがより強くなるのは必定でしょう。
そして、この制度による恩恵を受ける側についてです。
まず物語後半、制度による定期的な死者の発生によって、葬儀屋だけでなく産業廃棄物業者も潤う状況が暗示されていました。
また、三人目の主人公とも言える外国人女性(本国に夫と幼い難病の娘とを残して出稼ぎに来ている)は介護施設で働いていたものの、最終的に"PLAN75"の施設で働くことで性風俗に身を窶すことなく安定的な高収入を得られています。
個人的に踏み込んで欲しかったところといえば、高齢の親を介護している子の世帯がその親に制度利用を促す問題や、制度対象者が制度利用の意志を示す前に認知症を発症してしまって残された家族が右往左往する問題でしょうか。これらを描くと作品全体のトーンが一気にシビアで殺伐としてしまうため、作品としての完成度を考えるとやむを得ないかとは思いますが、触れられず気になったところではあります。
一方でイヤ~なリアリティを感じたのが磯村さん演じる市職員の岡部です。作中で偶然に何十年も会っていなかった叔父に出会い、彼が制度を利用して安楽死を迎えるまでの間、幾度も親交を深めるのですが、引き取って一緒に暮らすまでの決断は出来ません。
もちろん、叔父さんのほうも迷惑を掛けることを嫌って断るでしょうが、一時の情だけでその死に水を取る覚悟は出来ようはずもありません。"介護はプロの施設に任せて、家族は頻繁に会いに行くべき"という話はよく聞きますが、それにしても費用の問題は重くのしかかってきます。
そして外国人労働者は得てして3K仕事のような過酷な職場に追いやられがちですが、この"PLAN75"の施設仕事現場では重労働のようには見えない反面、精神的な葛藤は相応のようです。そこに労働力、納税者そしてもしかすると国民となってくれるかもしれない外国からの人材を優先投入している以上、制度の推奨者側が制度の後ろ暗い側面を半ば認めてしまっているような気がします。
『楢山節考』の"姥捨て山"が比較として思い出されますが、おそらく本作のような国ぐるみでのお膳立てが進むほどに、結果としてそれに半比例するようにその"恩恵"を受ける家族たちの罪悪感はいや増していくような気がしました。
Ⅲ. 終わりに
というわけで今回は話題の最新公開映画『PLAN75』について語りました。
高齢者問題を取り上げるとなるとかなり過酷な提題も出てきますが、本作はそれを出来るだけエッセンスに留めつつ、映像美で以てしてどこかこの世のものとは思えない非現実感もミックスすることである種の"救い"も演出しています。特にラストシーンで主人公の倍賞さんが仰ぎ見る秋の空は掛け値なしに神々しく、一見の価値有りかと思います。
テーマのシビアさで敬遠している方々もよろしければ是非劇場で観てご自分なりの解釈と感得をと存じます。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。
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