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【名作迷作ザックザク①】~素晴らしきかな"GW" その二~ 祝!4Kリマスター公開(前篇) 頂点に立った瞬間に己と周囲の醜悪さに気づく"どん底"青春映画『サタデー・ナイト・フィーバー』

結論から言おう‼・・・・・・・こんにちは。(・∀・)
 ダンスといえば、高校生の頃の体育祭の「オクラホマミキサー」と「コロブチカ」がおそらく最後の記憶、O次郎です。

「ぼくら フォークダンスの手をとれば 甘く匂うよ 黒髪が」
幼少期、週末に買い物に出かける車の中で母がかけるカセットテープの
選曲の中にこれが有りました。

 
 今月に入ってから、「Dance&Music映画の不滅の金字塔」ということで件の2作品がリバイバル上映されていますので、ゴールデンウィークにかこつけた記事ということでそれぞれについて語ってみたいと思います。
 上記の通り、わたし自身がダンス体験といえば学生時分の体育ぐらいで、あとは少年期に観たこのへんのイメージです。

助演の竹中直人さんと渡辺えりさんのペアが最高のコメディリリーフだったなぁ
『内村プロデュース』より前、すなわちこれ不倫騒ぎより全然前。

 ”ダンス”と聞いてすぐさまパリピをイメージして拒否反応を示してしまう人、ないしキラキラした青春映画が苦手という人にこそ読んで作品に興味を持っていただけたら幸いでございます。未見の方でネタバレを避けたい方は目次Ⅱまで。適宜リンクより飛んでくださいませ。
 それでは……ローリング・サンダー・フジヤマ!!



Ⅰ.どんな作品?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%BF%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC

 ジョン=トラボルタの出世作の一つですが、今日まで語り継がれるダンスシーンそのものよりも家族や友人、ヒロインと己の不満をぶちまけてぶつかり合う、鬱屈とした葛藤の場面が多いです。登場人物それぞれが各々の劣等感を隠そうと必死に虚勢を張り、それがゆえに相手の気持ちへの配慮が出来ないストレスが画に満ち満ちていて、そうした普段のありのままの姿から目を背けたディスコの享楽的なシーンがコントラストとして一層映えているのが皮肉であり、なんともリアルです。
 自分の付き合っている親兄弟、友人の人間性を鏡のように見るにつけ、ゆっくりと自省して成長していく姿を描く作品は数多いですが、本作は先の見えない生活の中で最大限輝く瞬間を得た主人公がその頂点でその”気付き”を得て急速に醒めていく様がユニークであり、それこそはダンスシーンは別にしても数十年も人々の心に残る所以だと個人的に思っています。  



Ⅱ. キャストいろいろ

・ジョン=トラボルタ

キャリア初期だけあってシュッとした体型。背後のアル=パチーノは『セルピコ』でしょうか。
『セルピコ』は曲がったことが大嫌いな青年警官が身内の腐敗に怒る話でしたが、
本作は己の住環境に、家族に、仕事に、友人に、地域社会に、そして己自身に怒りをぶつけます。
怒れる70年代、ここにあり。
17年後の『パルプフィクション』でも変わらぬキレキレのダンシング・ヒーローぶりでしたが、
身体はアラフォーなりの、という感じ。まぁ、隣のユマ=サーマンが
超絶プロポーションでしたので、ちょっとした”公開処刑”感も有りましたが…。

 19歳の貧しい出の高卒青年。同居する両親とは喧嘩が絶えないながらも、「兄貴はあんたらのコンプレックス解消のための期待に応えて神父になったんだから、俺は好きにやらせてもらう」という達観と割り切りの良さは非常に次男坊らしい。
 その一方でガラの悪い友人と付き合って派手にナンパしながらも、すんでのところでリスクを考えて未だにチェリーだったりとナイーブな印象も強く、その後の『ミッドナイト・クロス』あたりからのワイルド感マシマシな印象からトラボルタ初めをした自分としては新鮮だったりする。
 そのあたりのある種、中途半端で煮え切らない感じが当時の同世代の共感を得たのかもしれない。

・カレン・リン・ゴーニイ

設定年齢のみならず、見た目も当時のトラボルタよりも
かなり年上に見えるうえになかなかにヒステリーな場面も
多かったので、人気に結びつかなかったのかも。
だとするとキャリー=フィッシャーと同じような苦労を経験したのか。

 主人公より若干年上で、同じブルックリン生まれながらも教養を得てマンハッタンに住む才女ステファニー。主人公の学が無く刹那的な生き方を軽蔑的に見る一方である種の羨望も抱き、彼女の打算的なステップアップを喝破してその上で見習おうとする主人公に愛憎相半ばする。
 あからさまに好感を持てるようなヒロインではないところが逆に好感が持てるんだけれども、その後の目立った作品が無いのが残念。

 もっと主要キャストを順々に取り上げたいんだけども、正直言ってトラボルタ以外にその後目立った活躍をされてる方が居ないのでキビシーところ。
苦し紛れも甚だしいが、書いてる最中に”トラボルタ”と打とうとして誤って”トラボルト”と打ってしまったので、彼のご尊顔でご容赦を・・・。

猫と間違われるとガチギレする可愛いヤツ。
主人公にフォルムが酷似しながら全スペックが上回っている、というのがラスボスらしくてイイ。
自室には「神様仏様バース様」の掛け軸と阪神優勝時の吉田監督の胴上げ写真が。



Ⅲ. "どん底"シーンの数々

 ・ヒロインのマウンティングがとにかくエゲツない

 

出会った当初から主人公の出自から仕事から考え方から
とにかく上から目線で諭す。
となるとどうしてもコレを思い出しちゃう…福田さん、すんません。


主人公がようやく彼女をカフェに誘うと、そこでは
「職場で優秀だとよく褒められる」「職場でローレンス=オリヴィエに遭ったことがある」
「私の職場では上品な人はレモンティーを飲む」などとマウンティングの嵐。
主人公は表向きは素直に感心しつつも、その裏の劣等感も感じ取る。
『太陽がいっぱい』で、手掴みで食べるべき魚を
ナイフとフォークで食べようとして嘲笑されたアラン=ドロンを思い出す。
彼女が身の丈に合わないアパートに引っ越した際にははっきりと苦言を呈した主人公に、
涙ながらに這い上がる苦労を叫んぶ。「じゃあどうしろと?!」と。
ダンスコンテストを経て己の無軌道さを悔いた主人公に対し、
ようやく彼女も本心をさらけ出す。
うん。その関係性が相応しいと思います。
同じ境遇同士だと、転落した時に傷の舐め合いに陥ること危険が
あることをお互い本能的に悟っているビターなラスト。


・主人公が実は終始醒めていて、”脱皮”する瞬間もエゲツない

既に序盤のダンスフィーバーの翌朝の時点でこの虚無感。
タバコは吸うがハッパは断り、酒はいつでも7&7(若いビギナー向けカクテル)。
そしておまけに・・・
自分のファンにも決して手を出そうとせず、
終盤にヤケになってついに手を出すかと思いきや、避妊具が無くて思い留まる。
(もし手を出してたらクリント=イーストウッド監督の『恐怖のメロディ』のルートやで…)
両親自慢の神父の兄貴はFANATIC CRISISならぬアイデンティティークライシスに陥って
職を辞して帰ってくるも、自分探しにすぐさま実家を出る。
ここでも兄の葛藤を前々から知っていた主人公は理解を示す。
兄の処遇を巡って両親と大喧嘩。寅さんでなくても
まさに”それをいっちゃあおしまいよ!”の図。
そして問題のコンテストの優勝直後の表情がコレ。
その直後に準優勝のプエルトリコ系カップルに優勝トロフィーと賞金を半ば強引に渡し、
困惑するヒロインに対して己と己の属するブルックリンの真実をぶちまける。
”何もかもインチキだ  俺はこんなバカたちと付き合ってたんだ
みんなが逃げてる 荷物を人に押し付け合ってる
親父は失業してお袋を怒鳴る 俺達はプエルトリコ人をいじめ ウサを晴らしてる
それの繰り返しだ”
"プエルトリカンに対する差別"といえば。
つい昨年末に公開されたスピルバーグ監督版は実際にプエルトリコ系の俳優さんでしたが、
この1961年版はホワイトウォッシュされたキャスティングでしたね。


・己の真実に気付いたのに友人の真実には心を寄せられなかったエゲツなさ

 

主人公の友人がガールフレンドを妊娠させてしまったが、
カトリック教徒にとってバースコントロールはご法度。
昨年暮れに米テキサス州の中絶禁止法が世界的な問題になってましたね。
彼の両親も、ガールフレンドの両親も、そして当然協会も中絶を認めず、
責任意識の希薄な彼に”覚悟”を求める。
追い詰められた彼は、小さい頃からの親友である主人公に
幾度となく救いを求めるサインを出すのだが…。
仲間のうちの一人が"自死"を選び、それによって強烈な冷や水を浴びせられた仲間達が我に帰る。
黒澤明監督の『どん底』さながらの悲劇を回避出来たはずの主人公の罪は重い。



Ⅳ. 観終わると…

 というわけで、当時のダンスやミュージックに全く思い入れのない立場から本作を観てみましたが、そうした主成分とされる要素を素通りしても響くものは間違いなくある作品だと思います。
 特に、物語の本筋であるダンスコンテストの最高潮の場面で主人公がどん底の気分に叩き落され、自分たちの鬱屈した生活の原因である被差別意識の解消のためのプエルトリコ人差別に気付くくだりは、現実の直接的な差別撤廃運動とは違った形で響いたのではないでしょうか。こと今日の状況に至っては、35年前に作られたこの作品から、選民意識の恐ろしさをあらためて突きつけられているような気すらしてきました。
 



Ⅴ. おまけ

 「若いカップルがダンスを通して繋がる」という展開の映画は探せばいくらでも出てくるかと思いますが、ひねくれもんの自分としてはこの作品を思い出します。

救いのない結末はまさにアメリカン・ニューシネマの典型‼

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%BC%E3%81%A3%E3%81%A1%E3%81%AE%E9%9D%92%E6%98%A5
 
 ”ダンス映画”というジャンル映画として毛嫌いしていると、思わぬ好物を見逃しちゃうかも。
 
 というわけで、次は『フラッシュダンス』についても書いてみようと思います。どうぞよしなに。(・∀・)

 


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