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【テレビっ子アゲイン⑨】少年時代を90年代の関西地方で過ごした小生が好きだったTVバラエティー番組5選を振り返ってみる、の巻

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
 実家はスキー場から30分程度の地域の雪国出身だったので冬場は小学校の運動場が一面雪となり、雪合戦や雪だるまも散々やったけどやはりクラス男子一同一番盛り上がったのは落とし穴……なO次郎です。

パターン的には、給食をいち早く食べ終わった数人がそそくさと校庭に出てせっせと
トラップを仕掛け、何も知らない後続の男子勢をバレないように一人一人穴まで誘導して、
一番面白く落ちてくれた人が優勝、みたいな。
当然ながら怒る子は怒るのでターゲット選定は重要で、低学年がやると必ず大喧嘩に…。
あと、チャレンジャー以外の参加者が新雪の一定エリア内に各々頭だけ出してズッポリハマって、それにチャレンジャーがアンダースローで中空に放り投げた雪の落下で何発ヒットさせられるかを競う、みたいなチキンレースとかね。
で目撃した先生に「下級生がマネするから止めなさい!!」と怒られるというまでがセット。(´・ω・`)

 今回は閑話休題的にプレイバック・90年代!!な懐古記事です。
 今現在アラフォーの僕が少年期に観ていたTV番組、それもドラマではなく時代を如実に反映するバラエティー番組で特によく覚えているものをその付随する思い出とともに振り返ってみようと思います。
 実は僕が小学校高学年~中学入学ぐらいの時期が母親の日々のストレスがMAX(僕の兄と姉が大学ないし短大受験の間近期で、彼らの成績が上がらなければ教員である父が母に八つ当たり+毎朝、父・兄・姉の弁当を作らねばならない+学区外の高校ゆえに通学バス無い日の車での送迎等々)であり、夜半に僕がTVを観て笑っているのを見るにつけては「またバカ番組観て!!」とイヤミたっぷりに怒られたのも思い出したりするのですが…まぁ良いも苦いも交わってるグラデーションこそが本当に活きた思い出、ということで。
 記事タイトル通り、小生は90年代の関西地方で少年時代を過ごしておりますので、特に年代や出身が近しい人はその記憶の重なりや相違を楽しんでいただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・・・・ランドセル・リュージュ!!

雪が積もった小学校グラウンドの話の続き。
校庭からグラウンドに降りる坂をアイスバーンのように均して、
その上をビニール袋を被せたランドセルに乗って滑り降りる即席リュージュを考案。
ジャンプ台も誂えたりしてそこそこ盛り上がったものの、
コレも間も無く先生からの「下級生がマネするから止めなさい!!」の水入り。
しかもコレに関しては、我々の競技を見ていた下級生がマネする際に
ランドセルにビニール袋を被せるのを怠って滑ったので、摩擦でランドセルの塗装が剥げて
大泣きした児童が出たとか・・・・・・そんなこと言われても。(゜Д゜)
ちなみに服から筆記具から大概は兄のお下がりだったのが子ども心に地味に厭だったのですが、
5歳差(僕が一年次に兄は6年)なのでランドセルは新品を買って貰えました。
それをこういう遊び方に使うのはよくないでした、ハイ。



Ⅰ. 極私的TVばらえてい番組5選

その一、 『ゲーム王』(ABCテレビ)

[放映期間:不定期特番(90年代半ば?~現在)]

最新のTVゲームの紹介をする番組ではあるものの、
コント染みたやっつけドラマ仕立てや再現VTRみたいな借り者感溢れる企画がむしろ主。
純粋にゲーム情報を求める兄はあきれてたけど僕はそのユルさがなんか好きやってん…。

 テレビ朝日キー局とする関西の準キー局ABCテレビ制作番組。
 読みは"ゲームキング"で、ゲーム雑誌の『ファミ通』とタイアップした最新TVゲームソフトのランキング形式紹介に、番組MCのミスターちんさん南かおりさんに加えて当時のローカルグラビアタレントの寺尾友美さん三浦早苗さんらによるバラエティー企画をミックスしたゲーム情報バラエティー特番。たしかまだ駆け出しの頃の山口もえさん黒田勇樹さんが出演されている回も有りました。ドラァグクイーンユニットのオナペッツさんもイロモノ枠でいらっしゃったり。
 僕が記憶しているのはSFCが全盛の中で次世代機として初代PSSSが台頭してきていた90年代半ばからDCが登場した90年代末ごろまで。大作ゲームソフトがミリオンやダブルミリオンの売り上げを当たり前のように達成していた時期ですね。

※ドリキャスといえば湯川専務のCM!!・・・ということで自虐CMの数々懐かしい。共演のタッキーも若いなぁ。
『ゲーム王』ではたしか専務に開発インタビューしつつ、視聴者から提供してもらったロボピッチャで一緒に遊んだりも。
湯川さんご本人はその後出世して、確かその後は系列のクレジットカード会社の代表を勤めたりして一昨年前に病没されたとか…謹んでご冥福をお祈りいたします。
 
 番組自体は小学生の頃に友人からその存在を聞いて知り、以降は季節ごとに毎週土曜日夕方に放送が無いかどうか新聞のテレビ欄をくまなくチェックしていた覚えが有ります。
 特に印象深いのは番組レギュラー陣の昔のゲーム絡みのエピソード回で、たしか三浦さんが少女期に弟と一緒に毎日プレイしていたファミコンに晩御飯で配膳していた餃子のタレをうっかりぶっかけて壊してしまって姉弟で大喧嘩になった、という話があって大分笑いました。 ※実は我が家でもスーファミで全く同じような経験アリ。

姉妹番組である『ゲームカタログⅡ』との対決企画が組まれた回も。
こっちは確かテレ東絡みだったからか、僕の地元では観られず
存在だけ知ってヤキモキした気がする。(´・ω・`)

 そんなこんなで2000年ぐらいに一旦番組が終わって幾年月….数年前、酔っぱらっていたある日の夜に急に本番組を懐かしく思い出して検索してみたらなんとゲーム好きな麒麟・川島さんをMCに復活していたようで。
 さすがに出演者さんはほぼ一新されているようですが、TVerならローカル番組も観られるようになったんでしたっけ…不定期特番だと難しいのか。


その二、 『驚きももの木20世紀』(テレビ朝日)

[放映期間:1993年4月16日 - 1999年10月1日]
 同じく朝日放送(ABC)制作の、20世紀に於ける1つの出来事・人物にスポットを当てて、司会とゲストコメンテーターがそれらについて語り合う教養ドキュメンタリー番組。

三宅裕司さんといえばCM等での終始陽気なキャラクターのイメージでしたが、
それだけに本番組でのトーンに合わせたMCの落ち着いた語り口はなんとも印象的で。

 基本的に過去の偉人・有名人にスポットを当ててその足跡を追い検証するスタイルでしたが、非業の死や不遇の晩年を迎えた人物も多いだけに一時間の中に一人間の生涯の栄枯盛衰が詰まっており、幼心に人生の波乱を垣間見させてくれる良い番組でした。
 カーペンターズ力道山の特集回が印象に残っていますが、とりわけ借金塗れで死ぬまで歌い続けた水原弘さんの回は強烈だったのを覚えています。
 たしか、ちょくちょくEDテーマに採用されていた爆風スランプを親戚のお兄さんが好きで、その親戚宅に泊まりに遊びに行った際に特によく茶の間でみんなで観ていた記憶があります。放送日は金曜21時だから祝日でもないと行けなかった筈なんだけど・・・ビデオ録画してたりしてたのかな。

GS世代の私の母などは『イムジン河』を巡るエピソードなんかを
特に懐かしく観てましたな。
後述の『知ってるつもり?!』と違って本番組は"昭和"の
その時々の空気感も感じられるような作風で。

※アーティストさんがちょくちょくカバーしてたり、映画『パッチギ!』でも出てくるのでリアルタイムでなくても有名か。

その三、 『知ってるつもり?!』(日テレ)

[放映期間:1989年10月8日 - 2002年3月24日]
 こちらも毎回歴史上の人物を取り上げる人物系ドキュメンタリー教養番組
プロットとしては上記の『驚きももの木20世紀』に近いものの、関口宏さんの達観したシブい嗄れ声の語りに、日曜の21時という休日の終わりを告げる時間帯の寂寥感も相俟って独特の哀感を授けてくれるより硬派な雰囲気の番組でした。

関口さんの見た目が今現在とほぼ変わんないのがあらためてスゴイ。
円谷幸吉さんの衝撃的な自死やプリンセス・ダイアナの事故死等、
本番組でも悲劇の生涯を掛けぬけた偉人たちのインパクトが有りましたが、、、

 特に覚えているのが、子役で大成してその後に家庭崩壊や多額の借金といった地獄を経験された宮脇健さん、傀儡の帝から日本敗戦後にいきなり虜囚の身となって人間関係と社会生活に難儀する中を礼儀を体得するもそれすらも中国共産党のプロパガンダに利用されていった愛新覚羅溥儀氏の回で、急激に浮き上がった分どころかそれ以上の苛烈さで下降して帳尻を合わせられる"人生"というものの恐ろしさを強烈に脳裏にインプットされました。
 加えて東野英治郎さんの回では長年の水戸黄門役が呪いのように東野さんの役者としての覇気を奪っていく様が語られており、撮影所内で休憩時間に少しでも役から離れるためにローラースケートに興じられている写真なんかがありました。
 病没された著名人のエピソードではその苦しい闘病生活を本人の肉声も交えて紹介することがあり、感受性の強い少年期ゆえに観終わった後に寝床で早速夢を見て魘されることもしばしばで・・・。
 最初は母がこの番組を好きで観ていてつられて僕も観るようになったのですが、毎回のその寂しい幕切れも相俟って翌日のブルーマンデーに向けた重圧は夕方の『サザエさん』の比ではありませんでした…。

火曜日のサザエさんを覚えている者は幸せである…なんつって。(´・ω・`)

 ゆえに翌日の月曜日が祝日で休みだった時はプレッシャーが相当薄まって楽しみに視聴できたのも良い思い出です。


その四、 『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日テレ)

[放送期間:1985年4月14日 - 1996年10月6日]

後年、DVD化された『Gメン'75』を観た際に原田大二郎さん
強烈な既視感があったものの中々思い出せず、それから数年後に
YouTubeを流し見していた際に遂に本番組に思い至った、という。
曜日が並んでた『世界まる見え!テレビ特捜部』と番組内容印象が被ってたのもあったかも。

 本番組は正直、内容云々よりも当時の生活ルーティンと結びついていたがゆえに思い出す番組です。
 上記の『驚きももの木20世紀』でも言及した親戚宅は母の実家であり、父の実家である自宅から車で小一時間程度だったのでよく週末に泊りがけで家族で遊びに行っておりました。
 で、日曜日の夕方にその親戚宅でちょうど『笑点』を観終わったあたりで"そろそろ帰ろうか"となり、自宅に帰って晩御飯を食べて風呂に入ったあたりで本番組がオンエア、というわけでございました。
 たまに途中の渋滞や何かの事情で帰宅が遅れたりすることがあり、帰宅してテレビを点けて既に本番組が始まっていたりすると"遅くなったな~"と感じていたものです。
 そんなこんなで特に強烈な思い出はとある冬の夜、いつものように泊りがけで親戚宅で遊んだ帰りがけに着替えや貰ったお土産等の荷物をチェックして車に詰め込み親の運転で出発、無事に帰宅したところで母が先方に電話(律儀に毎回、"無事に帰宅したよ"と祖父母に伝えていました)すると親戚のお兄さんが電話口に出て僕に電話を代わってくれとのこと。
 なんとうっかり、一緒に親戚宅で遊ぶために持参していたスーファミカセットの諸々を持ち帰り忘れていたそうで。
 ・・・・・・・・・話を聞いていた兄から大激怒されました。(゜Д゜)
 兄は僕の確認ミスで少なくとも一週間以上スーファミソフトを遊べない事態にひとしきり罵詈雑言を捲し立てた後に自室に退散、すっかり意気消沈した僕の背後で今のテレビから本番組のタイトルコール。
 そこにすかさず「元気出ねぇよ・・・・・・」と呟いてしまう僕でした。ただでさえ寒い雪国の冬が一層薄ら寒く、日ごろから子どもたちのTVゲーム三昧を快く思わない父の「控えるいい機会だ」と言う声が何のフォローにもならずでした。
 というわけで番組内容ほぼ関係無いですがそんな印象でした。

その五、 『投稿!特ホウ王国』(日テレ)

[放送期間:1994年5月1日 - 1997年9月21日]

ウッチャンナンチャンお若いし、鶴瓶師匠も未だ頭髪が有るんだけど、
なんといってもリサ=ステッグマイヤーさんが懐かしい!!

 視聴者から投稿された「おもしろ仰天スクープ」を内村班と南原班に分けて報道形式で紹介していた番組。
 大仰すぎるテロップに「え~っ!!」という観客の合いの手、そして現地特派員のコラージュを多用した驚愕の表情等、ベタ過ぎる数々の演出がわかりやすくて小学生にはまさにうってつけでした。

こんな感じでコラージュコラージュ。

 また、特派員を担当する後藤俊哉さん、藤井恒久さん、羽鳥慎一さんといった現在のベテラン、当時の若手アナウンサーの方々が強烈にキャラ付けして登場されていたのが新鮮で、普段のニュースで観るそつのないイメージからのギャップで大変面白かったのを覚えています。
 日曜19時という完全なゴールデンタイムにも関わらずまだコンプライアンスが緩かったゆえか、ネタによっては投稿者の女性の半裸が加工無しにそのまま流れることもしょっちゅうで、家族で観ていた手前そういう時にはなんともお茶の間が気まずくなったのもまた真実。(⦿_⦿)
 同時期にテレ朝系列で火曜19時に放映されていた『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』然り、視聴者投稿企画が主体の番組の全盛期だったのかなと思い返してみて感じます。
 クラスで番組が話題になるあまり「俺らもなんかネタ考えて投稿しようぜ!!」とか言い出す子が居たっけなぁ・・・。(*´罒`*)



Ⅱ. お終いに

 そんなこんなで今回は閑話休題の思いでのTV番組でした。
 まぁ他の当時のバラエティーも含めると、今にして思うと母に八つ当たりの口実を与えるのもむべなるかな、というしょ~もない番組も無きにしも非ずでしたが、反対にではいわゆる"教養のある番組"でいったい記憶に残ってるものがどれだけあるのかと考えると、たとえ外装はバカバカしくてもその中で強烈に印象付けられる知識が残るならそれでええやん、と思いもします。
 思えば自宅でTVを点けること自体が減ったので"なんとなく観てる番組"というのもすっかり無くなったような気がしますが、TV局側としてはなるべく若年世代に向けた番組作りを志向してると聞くのでターゲット外層ということで別にそれでいいのかそれとも…。
 読んでいただいたみなさんの懐かしの番組やそれにまつわるエピソードございましたら是非コメントいただければ恐悦至極にございます。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。




平成教育委員会』(1991~1997)より。
こういう笑いに走る一方で京大卒の辰巳琢郎さんが
ガチで全問正解したりと振れ幅が凄かったなぁ。

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