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【みかん切り日記2】 みかんを切りながら地域農業の変遷を想う (2)

みかん切り終了

 1月10日にみかん切りのアルバイトが終了した。年内に終わる予定がかなりずれ込んでしまった。前回書いたように、私がお手伝いに行っているSさんのところには、周辺でやれなくなった農家からの借地が増えて、マンパワーが間に合わなかったのが理由の一つである。

みかん農家の収穫時期

 静岡県の柑橘類生産は、晩生の温州みかんの「青島」が主力である。秋から収穫する早生温州もあるが、そちらは品質で和歌山や愛媛にかなわないので主力にはしていない。産地による住みわけともいえる。みかん農家は10月ころから早生(興津早生や宮川早生)を切り始め、12月になると晩生品種の「青島」、年明けからは中晩柑の「ポンカン」や「はるみ」「デコポン」などと続き、3月からは甘夏(「スルガエレガント」など)まで収穫する。
 お茶で「やぶきた」偏重というが、静岡県のみかんは「青島」の比率が非常に高い。それだけ優れた品種ではあるが、みかん農家の収穫作業は12月に集中する。このため、12月だけみかん農家はアルバイトを雇用するのである。

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品種の課題

 その最強品種「青島」にも近年、問題が発現している。やけに皮がぶかぶかしたみかんを見かけたことがないだろうか。剥きやすくていい、と思う人もいるかもしれないが、「浮皮」と言って、温暖化による症状と考えられる。日持ちが悪く品質が低下してしまうのだ。
 このため、研究機関では浮皮が発生しにくい品種の開発に取り組んでいる。
 一方、この地域では中晩柑類の「はるみ」の生産に力を入れている。「はるみ」は味が濃厚で香りもよく食べやすいため人気があり、取引価格も高い。それなら温州みかん減らしてどんどん「はるみ」を作れば儲かるんじゃない?と思うかもしれないが、生産者からすると「はるみ」は、作りにくくて手がかかるのだ。

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地域の農業は移りゆく

 ところで、私のお手伝いしている茶工場のある興津川上流も、かつてはみかんの産地であった。今も我が茶工場へ生葉を持ちこむ農家を回ると、みかん倉庫が残っている家が多い。みかんの倉庫は木造で、平たい木の箱にみかんを並べ、それを天井まで積み上げる構造になっている。天井に開閉できる換気窓があり、貯蔵中の温湿度を調整できる。内部を眺めると非常に趣のある造りで、まさに産業遺産(まだ現役で使用しているところも多いが)だと思う。


 また、かつて日本の農村では多く養蚕が行われていたので、このあたりでも家のつくりをみると多くの農家で養蚕が行われていたことがわかる。総二階の造りになっていて、二階へ上がると、ほぼ全部が板の間で蚕の飼育場として造られている。周辺にはおそらく桑畑も多かっただろう。
 さらに、我が茶工場より一つ上流奥の集落は、かつては「炭焼」という地名であり、その名の通り木炭生産で生計を立てていたという。

 農林業も時代の変遷とともに変化せざるを得ない。

 ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。流れに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて・・・・


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