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抜粋といえども「ワーグナーやったら肉!」

先日、約半年ぶりに名フィルの定期演奏会を聴きに出かけた。最近、財布の紐を引き締める必要があって、コンサートは控えていたのだが、にもかかわらずポチッとネット予約で席を押さえてしまったのには理由がある。

それは、演目がワーグナーの「リング」抜粋版だったからだ。去年の秋に愛知祝祭管弦楽団が、四年がかりの全曲演奏会を終わらせたばかりで、自分もその中にいた。また、プロの世界ではびわ湖ホール主催による「リング」演奏会が進行中で(愛知祝祭管と同じく1年に1作品ずつ)、今年の3月には「神々の黄昏」が上演される予定であり、個人的にホットな演目なのだ。

長い長いこの楽劇を、びわ湖リングを指揮する沼尻氏自ら編曲して、オーケストラのみ約一時間の抜粋版にした。愛知祝祭管のメンバーが大人しくしているわけもなく、聞きに出かける知り合い多数。今年の祝祭管は「リング」の一部カット版を一気に全作、2日間かけて演奏する予定なので、余計に気になることだろう。

今回のプログラムは以下の通り 
シューマン: チェロ協奏曲イ短調 作品129(時間の都合でコレは聞けず)
ワーグナー: 楽劇『ニーベルングの指環』より[沼尻版]
・序夜『ラインの黄金』より序奏,「ヴァルハラ城への神々の入城」
・第1日『ワルキューレ』より「ワルキューレの騎行」,「魔の炎の音楽」
・第2日『ジークフリート』より「ジークフリートの角笛」,「森のささやき」,「ブリュンヒルデの目覚め」
・第3日『神々のたそがれ』より「ジークフリートの葬送行進曲」,終幕(ブリュンヒルデの自己犠牲)

非常にざっくりとした抜粋である代わりに、各場面をほとんどノーカットでがっつり聞かせてもらえた。おかげで、演奏した時のことがフラッシュバックするのしないのって、懐かしさしかない。演奏会用ピースとして冷静に良し悪しを判断するどころではなかった。繰り返し現れるライトモチーフを聞きながら「実際はアレがああなってこうなって、その間にこんな話が進行して‥…」とリングの世界に引き戻されていた。

特に、ブリュンヒルデの目覚めからジークフリートの葬送行進曲に至る流れは「そう来るか!」と心の中で唸ってしまった。ジークフリートが森の小鳥に促されて火の山を登ってブリュンヒルデを見つけ、目覚めさせるところまでの流れは大変に感動的なシーンなのだが、後にジークフリートが殺されたとき、彼は死の直前にブリュンヒルデの目覚めを夢うつつの状態で回想する。だから、目覚めのシーンの直後に葬送行進曲が来たときに、なんというか、ホルンコールも森のささやきも何もかもジークフリートの夢の中にあったような錯覚が起きて非常に切ない気持ちになったのだった。

凶悪な譜面のこともしっかりと思い出された。弦楽器奏者の視点で見ると、今回の抜粋箇所はほとんどが“難所”。ヴァルハラ城へ神々が入城する音楽は、虹の橋がかかる場面から始まっているのだが、ここのアルペジオは全曲中でも最高難度。次に火の神ローゲが登場するシーンでは、必ず半音ずつ下がってゆくイヤなアルペジオが続くし、森のささやきの伴奏は必ず迷子になる音形、極めつけがブリュンヒルデの自己犠牲からラストまで。ここはもう超高速で弓と指を動かし続けなくてはいけない。

もちろんプロの奏者なので、ポジションなど調整して指の動きも必要最低限になるようにしていて、きっちり弾いており、さすがだなあと感心すると同時に、あまりにも目まぐるしい動きが続くので体力的に大変そうだった。刻みの箇所でも、全力で刻まなくてはいけないシーンも多く、体力勝負なのが見て取れる。もともと「リング」自体が消費カロリーの高い楽劇である上にそのハイライト抜粋とくれば、エネルギー全開なシーンの連続となるわけで、実は、本番前日に名フィルのあるビオラ奏者さんが「ワーグナーやったら肉!」とつぶやいていらしたが、ものすごく納得したのだった。
(ちなみに「ワーグナーやったら肉!」は祝祭管メンバー内で自然発生した合言葉です)

それでも、時として物足りなさを感じることもあり、その大きな原因が歌手不在だった。今回はオーケストラのみで演奏するための編曲なので、歌については無い物ねだりでしかないのだが、なまじ本家を知っているので、歌の代わりに楽器でカバーされると微妙に違和感を感じざるを得ない。

もうひとつの物足りなさは、美しくて分かりやすい場面がほとんどだった、ということ。時間的な制約や観客受けのこともあったとは思うが、「リング」はドロドロした負の感情をたっぷり扱っているからこその傑作なので、やはり抜粋するにもひとつくらい、暗い情念を代表するシーンが欲しかったなと、やはり無い物ねだりを承知でいう。ジークフリートが大蛇とバトルするシーンは入っていたので良かったが、他にもたとえば、ニーベルング族のテーマとか(アンビル大活躍)、ハーケンが家臣を呼び集める「ホイホー!」のシーンとかあれば思い残すことなく燃え尽きることができた、と思う。

もちろん全体的に見れば、演奏会用ピースとは違う、濃いワーグナー体験ができる抜粋版だったことには違いない。聞き終わった後にはステーキを食べに行きたくなったのだから。

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