今年はあいトリと呼ばないで(その2)
国際芸術祭あいち2022のメイン会場、愛知県美術館の10F、有松会場に続けて、次は県美術館の8Fを紹介する。これがまた質・量ともに大変なことになっており、全体的な印象としては、10Fが顔だとしたら、8Fは心臓(ハート)にあたるのでは、と思っている。
8Fは映像を活用したインスタレーションや複数のパーツで成り立つ作品が多く、濃い作品が多い一方で、写真で「コレ!」とわかりやすく提示するのが難しい。文章でイメージが伝われば幸いである。
ローリー・アンダーソン & 黄心健(ホアン・シンチェン)《トゥー・ザ・ムーン》
まずは今の時代ならではのVR体験作品を紹介する。参加者はVR用のゴーグルを装着し、コントロールスティクを持ち、椅子に座って開始を待つ。やがて画面にガイドと音声が流れ、6つの章から成り立つ月面探索プログラムが始まる。自由にジャンプして遠くへ行けるし、360度どこを見ても月面と星空の世界。遠くに地球が見えるのが感動的。
映像が美しいのはもちろんだが、やはり特筆するべきは没入感だろう。全天型シアターを独り占めしているようなものである。一昔前なら、大掛かりな映像設備がないと実現できなかったような映像空間で、しかもインタラクティブな動きができる。今回は他にもVRを活用した展示がいくつもある。技術が進歩すると、さっそくそれを作品に取り入れるのも現代アートならではの動き。今後、さらに洗練されたVR作品や、仮想空間でなければ表現できないような作品が増えていくのだろう。
リリアナ・アングロ・コルテス《パシフィック・タイム/民衆が諦めたりするものか!》
コルテスはアフリカ系コロンビア人であり、港町ブエナベントゥラでの市民活動を題材に映像作品を作った。アフリカ系コロンビア人や先住民族が受けてきた社会的な抑圧や不平等をあぶり出すドキュメンタリーだ。恥ずかしながら、中南米の人種差別や社会問題には疎く、この作品を見てBLM運動と同種の潮流は世界の各地にあることを認識し、結構な衝撃を受けた。人間というのは基本的に、目に映らないものは存在しないも同様の扱いをしてしまう生き物なのだ。
百瀬 文《Jokanaan》
本作は、R.シュトラウス「サロメ」を題材に、サロメを演じるアクターとCG映像の「サロメ」(ただしモーションキャプチャーをつけたアクターの動きを再現している)が並べて映し出される作品だ。作品に使われているのはサロメが預言者ヨナカーンの首に向かって「私を見て」と歌い上げるクライマックスのシーン。最初はアクターとCGのサロメがシンクロして動いているのだが、歌が終盤に差し掛かる頃には衝撃のラストが待ち受けている。演じる者と演じられる者がいつしか互いに独立していく不思議な違和感。と圧倒的なエロス。題材として使われている作品がすでに最高域の芸術作品なので、ちょっとチートだなとも思うが、素晴らしい。
シュエ ウッ モン(チー チー ターとのコラボレーション)《雑音と曇りと私たち》
シュエ ウッ モンはミャンマーで生まれタイで活動するアーティスト。本作は妹チー・チー・タとのコラボ作品で、彼女たちの日常が写真や絵画で綴られている。よくある家族写真的なものだけども、彼女たちだけのかけがえのない時間が切り取られていて、異国の地の家族の風景なのだが、なんとも言えない懐かしさと圧倒的な親密さを感じる。個人的な体験がうまく一般化された作品だと思う。
以下は部分的であれ、なんとか写真に納めることができた作品で気に入ったもの。
《ここに居ない人の灯り》の「月」はこの場にいない参加者によって遠隔操作されているという。この作品のとなりには《YourMoon》という作品が展示されており、これはコロナによる緊急事態宣言が発令された直後、「孤立感を感じている」人たちがそれぞれの居場所から月を撮影した写真を集めたものだ。《ここに居ない人の灯り》《YourMoon》はともに「同じ月を見た日」プロジェクトとして制作された。孤立・孤独を軸にゆるやかにつながった人たちの絆が見事に可視化されている。作者の渡辺氏自身、ひきこもりの経験があるという。
「I'm here」は愛知県美術館会場のラストに置かれていたのだが、この芸術祭のテーマ「I am still alive」と見事に響き合っていて、絶妙の配置だなと思いつつ会場をあとにしたのだった。
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