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眺めるほどに味わい深い

新型コロナによる自粛期間が終わり、美術館がぼちぼちと再開されてきた。まだ、人の集まるイベントはできないが、他人との距離を充分に取りつつ、静かに鑑賞するのはOK。

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出かけたい美術館はいくつもあるが、手始めに愛知県陶磁美術館へ。折しも〈異才 辻晉堂の陶彫「陶芸であらざる」の造形から〉という面白そうな展覧会が開催中。
コロナ禍の真っ最中に↑のポスターを見かけ、ずっと気になっていた。確かに素材は焼き物だけども、造形はまさに現代彫刻。陶器といえばまず茶碗とか壺、あるいは煉瓦など非常に具体的なものを思い浮かべるし、伝統的というイメージもある。それがどうやって現代彫刻と結びついて「陶彫」となったのかを知りたくなった。

久しぶりに訪れた美術館館内は、人と人の距離を取るための処置があちこちに施されていた。はっきりとわかる変化はミュージアムショップの撤廃。不特定多数の来館者がカタログや商品を手に取る場所なので、リスクが高いのはわかる。正直寂しいがこのご時世では仕方ないのだろう。それから入館者は連絡先を書かされた。万が一の時に備えての連絡用だ。館内の椅子は1個ずつ距離を置いて配置され、長椅子は真ん中にポスターを貼ることで人が並んで座れないようになっている。また、観覧順路もパーティションを使ってきちんと定められ、人と人が不用意に近づかないようにする工夫がなされていた。アンケート用の鉛筆も使用前と後で入れる場所を分けてある。公共施設だけあってやりすぎなくらいだが、それでいい。

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さて、辻晋堂という芸術家については、陶磁美術館のサイトによれば、鳥取県の出身で最初は「昭和8(1933)年に写実に基づく力強い肖像彫刻を日本美術院展に発表して一躍脚光を浴び、彫刻家としてのキャリアをスタート」とある。ロダンに影響を受けたともいう。その後、京都市立美術専門学校(現 京都市立芸術大学)の教授に就任して京都で暮らすようになってから陶芸に興味を持ち、陶土という素材を使用した彫刻作品「彫陶」を始めた。やきものの特性を活かした個性的な造形作品は、ヴェネツィア・ビエンナーレに出品されるなど、世界的な評価を得た。

この展覧会では、京都時代以降の作品を年代順に展示してあるが、最初に登場したのは辻晋堂が師と仰いだ人物の全身像である。1938年に得度して「晋堂」の名を得たのだが、仏教、ことに曹洞宗の教義に影響を受けており、作品も師の言葉を下敷きにして制作されている。陶土を使いながらも高度に抽象的な作品となっているのは、禅宗の思想が大きく影響していることを思うと大変納得がゆく。

実際、「犬」や「猫」を題材とした作品は非常に抽象化されていて、ぱっと見ただけではわからない。タイトルを見てようやく「それっぽく見える」レベルだ。例えるなら、3次元を無理やり2次元に押し込めたキュービズムの作品をまた立体化して見せたような造形だ。造形が面白いだけでなく、焼いた土の質感がとても良い。解説によれば、釉薬は使わず、登り窯を使い高温で焼き締めただけの仕上がりだそうだ。釉薬は使わないとはいえ、焼成の際に灰が自然に降りかかり釉薬の役目を果たすため、まったくの無地ではない。

キュービズムというのは三次元の世界を2次元に写し取る技法の一つだが、辻晋堂の後期の作品はレリーフのように平らなものが増えてくる。平面に近いけれどかならず3次元空間としての奥行きを持っているという面白さだ。この作家の手にかかると遠いものは近く、近いものは遠くなるという逆説的な空間の変化が起きるのが面白い。

また、禅画の画題として有名な「寒山拾得図」を題材にした作品も多く、それらもまた変形・抽象化されていて、たとえば1958年作の「寒山」は圧倒的な存在感があると同時に、ラピュタのロボット兵を彷彿とさせる。

晩年期はいい具合に力の抜けた作品が多く、特に「緑陰読書」は最高。ピカソの線画「平和のハト」やクレーの天使シリーズにも通じるところがある。

全体的に時代と作風の変化について、丁寧に説明してあり、わかりやすかった。ポイントとなる作品についても詳しく説明があったが、自分的には説明しすぎかも、というのもあった。抽象作品なので、鑑賞者の自由に任せる遊びの部分がもう少しあってもよかったのではないかと。

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陶磁美術館では、常設展も開催中であり、特に半地下のフロアで開催されていたテーマ展は現代美術が好きな人にはおすすめ。上の写真は地下のロビーに設置されている長椅子。なかなか攻めているデザインで、ソーシャルディスタンスを促すポスターがあえて貼っていないところがGJ。

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