現代の錬金術師?
9月の話になるが、東京都現代美術館でオラファー・エリアソン展を見てきた。きっかけは8月の終わりに日曜美術館で紹介されていたのを偶然目にしたこと。画像越しに作品の美しさと現代的なコンセプトに共感し、ぜひ実物を見たいと思った。画像越しの鑑賞が推奨される昨今だけども、まだ現場の空気感まで遠隔で伝わるレベルではないからね。
かねがね「アート」と呼ばれる作品はリアルの体験が重要だと思っている。特に現代美術に多いインスタレーション形式の作品は、展示されている空間、その場の空気、自分のコンディション、いろいろなものが混じり合った状態で作品に向き合うことが前提となっている。だから会場へ飛んだ。もちろん「飛ぶ」というのは比喩だけども。
出かけた日が連休中であったため、リアル会場は混んでいて当日券を買うのに30分、会場に入るまでさらに30分並ばなくてはいけなかった。公共の電波で紹介された影響もあるのだろう。老若男女関係なく色んな人が並んでいたが、カップルの割合が高いように見えたので、デートスポット代わりにされている気がしないでもない……。まあ、それも悪くはない。
展示会場は思っていたより広くなかった。「思っていたより」というのは、TVで紹介された時に想像していたよりも、という意味だ。なんの先入観もなく鑑賞したなら特に違和感は感じなかっただろうが、適正鑑賞人数が5~6人の展示室に10人は入っていたので、手狭な感じはしたし、さらにみんな(自分も含めて)写真を撮る。お互い写り込まないように、なんとなくではあったが遠慮しながら鑑賞している空気があって、自分の好きな角度から自由に作品を眺めるのは難しかった。決してリアル上等というわけではない。
ところが、逆に鑑賞者の多さが作品の面白さを引き出しているケースもあって、それがエリアソンの作品の懐の深さだなあと感心した。ただ展示するだけでは作品は完結しない。鑑賞者が参加することで始めて完成し、完成の形は人の数だけある。
タイトルロールとなっている作品《ときに川は橋となる》は予想通り圧巻だった。たっぷりの空間を使い、シンプルな仕掛けで光と影のマジックを映し出す。鴨長明ではないが、「行く川の流れは~」のように一時として同じ模様は生まれず、絶えず新しい影の形が生まれ、いくら見ていても見飽きない。こればかりはリアルで体験できて良かった。
隣のブースにはやはり水と光の力で虹を生み出す《ビューティー》が展示されており、こちらも美しく驚きに満ちた作品だった。もし鑑賞者が他にいなければ、自由に水のカーテンをかき回して虹の渦を作って遊ぶことも可能だ。現代アートというと、ついつい意味不明で刺激的な作品を思い浮かべがちで、実際そういう作品も多いのだが、エリアソンの場合はセンス・オブ・ワンダーが新しい世界への扉を開けてくれるものが多い。
そして彼の作品の底には環境問題への強い関心がある。「スマートで茶目っ気のあるエコ活動家だなあ」というのが感想だ。良くも悪くもスマートすぎる作品が多くて、感情の澱が見えてこないので「芸術」としてはキレイすぎる気もする。
とはいえ、彼の作品は室内に収まる上品なものばかりではない。《9つのパブリック・プロジェクトの記録写真》では、街にイタズラを仕掛けるように「実験」を行った様子が撮影されており、これが最高だ。川を緑色に染めたり、人工的に局所的な氾濫を起こして道を川にしたり(当局がよく許可を出したものだ。しかもそれをサプライズでやる!)、街中に鏡を置いて景色を意図的に歪めたり。街の人々がいったいどんな反応を示したのかとても気になるし、なんなら60年代の日本で活動したハイレッドセンターを思い起こさせる。
もっともアート作品かどうかというのはあくまでも結果であって、この作家が目指しているのは環境問題を彼なりのやり方で表現することなのだ。美術の歴史を紐解けば例はたくさん出てくるが、アートと社会は切っても来れない。だから現代の作家がテーマとして環境問題を取り上げるのは充分アリだ。私達はその果実をまず「美しい」と思って鑑賞し、種(=メッセージ)を拾い上げた人々のうち何割かは種を育て社会に何らかの影響を与えるのだろう。
実はいちばん興味深い展示が《サステナビリティの研究室》だった。彼のラボ紹介だ。エコロジーに配慮した作品を制作するための試行錯誤の一部が紹介されており、そこはあたかも現代の錬金術師の部屋。様々な素材、染料、模型などが所狭しと並べられているが、どれもこれも一度は不要とされた品々を再生させるための実験の材料や試作品だ。廃棄物をふたたび生活に必要なものへと作り変える――これが現代の錬金術でなくて何だろうか。
しかし、錬金術師が金を合成することが不可能だったように、エコロジーもできそうでできない。そしてエコ活動の罠としてすでに多くの人が気づいているように、いったんハマると充実感はあるが、費用も手間も新品を用意するよりかかる。たとえば作品制作の際に生じた端材や廃棄される運命の材料をリサイクルして何かを作るとしよう。そのために必要なエネルギー(つまり労力やお金)がどれほどかかることか。環境には優しいかもしれないが、製作者にはちっとも優しくないし、時として余分にエネルギーを食う。資源を再生するためにかえってエネルギー消費が増えてしまうこともあるのだ。
だとしても、いや、だからこそオラファー・エリアソンに称号を与えるとしたら、「現代の錬金術師」がぴったりな気がする。現代の「金」が環境回復だとしよう。完全に地球環境を戻す手段が見つからなかったとしても、それを目指す過程で非常に価値ある副産物が生まれるかもしれないのだ。錬金術が化学の基礎を作ったように。
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