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二人のハンサムウーマン、似てるようでハッキリ違う

名古屋のお隣、長久手市には公立の美術や博物館はないが、私設で良い所がある。有名どころでは古今東西の名車を触れる距離で見学できるトヨタ博物館。もう一つが近現代の日本画を収蔵し、精力的に所蔵品展や特別展を開く名都美術館。近現代の洋画やいわゆる現代美術を見られる美術館に比べて、日本画に特化した美術館はあまりないのではと思う。名古屋の古川美術館も近現代の日本画を扱っているが、こちらは工芸品も多い。

今、名都美術館では「上村松園と伊藤小坡  二人のハンサムウーマン」展が開催されており、縁あって訪れてみた。二人とも明治生まれの女流画家として、数々の優れた美人画を残したことで有名だ。女性が社会で活躍するのが現代よりもずっと大変だった時代に、家庭を持ちながら男性中心の絵の世界で生き残るなど、よほどの強さと才能と運がないと無理だと思うのだが、彼女たち「二人のハンサムウーマン」は見事にやってのけた。ではいったいどんな画風なのか。

一言で言えば、非の打ち所のない美人ばかりが登場します。

整った顔立ち、華やかな着物、風情を添える小物や植物がさらりとあしらわれた画面。背景があまり書き込まれていないので、美しい女性が掛け軸の中にドーン、いや「スッ」とたち現れるイメージだ。どれもが完璧すぎるのに見飽きることがないという沼のような魅力を持っている。

展示では、二人の絵を制作年代順に、並列して並べてある。一人の画家としての絵の変遷を追いつつ、ライバル(?)との比較が同時にできる構成だ。では、どこがどう違うのか? 美人とはいえ、いやある意味「お約束」のある美人画だからこそ、絵の中の女性たちの顔は皆同じように見える。

線で引いたような目と眉、文字通り一筆でスッと描かれただけの鼻、ちょこんと紅がのっているだけの控えめな口元。源氏物語絵巻の時代からあまり変わらない。逆に目を引くのが着物の色と柄。着物の色合いや柄を見れば、ある程度状況がわかり、さらりと添えられた小物や植物や昆虫が絵を解く手がかりとなる。お約束を知っていないと読み解けないハイコンテクストなジャンルではあるが、そこは丁寧で読みやすいキャプションが補ってくれているため、初心者でも十分楽しめる。

さて、小物や鮮やかな衣装による装飾で差異が出せるとはいえ、松園と小坡、二人の絵を並べられたらどっちがどっちの絵かわかるだろうか?

さて、どっちがどっち?

それが、意外とわかるのである。

キーワードは「バリキャリ」と「子育てママ」。

松園も小坡も子どもを授かり育て上げているが、それぞれ対象的である。松園は未婚の母の道を選び(ちなみに父親は師匠筋にあたる人)、小坡は画業に理解のある夫と子供にめぐまれた。また小坡には画業より家庭を優先せさる時期があり、年譜を見ると家庭の事情で数カ月間絵を描かなかったり、帝展への出品を取りやめた時期がある。そういう選択をする性格は絵にもはっきりと現れていて、小坡の描く女性は表情やしぐさが柔和で明るく、良い意味での生活感がある。特に自画像《制作の前》は絵に対する熱意と同時に妻・母としての日常の姿が見え、とても魅力的だ。

いっぽうで松園の描く女性は芯の強さが滲み出しており、女性の一途さや孤高の姿を表した作品も多い。「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」とは松園が目指した境地である。それを一番感じたのは《人生の花》という嫁入りに向かう母娘を描いた絵だった。目出度い日ではあるが、ふたりとも緊張感を漂わせ、特に娘の表情からは悲壮な決意すら読み取れる。ただし解説には「はにかんだ表情の奥に喜びを噛みしめる花嫁」とあるので、印象は人それぞれであるが…

険しい画業の道を選びつつ明治・大正・昭和と激動の時代を生き抜いてきた二人の女性、その生き方を可能にするためは、生半可な力では足りず、完璧にまでに画力を磨き抜く必要があったのだろう。壮絶な決意戦いから生まれた美人たちは、現代の女性に何を語るのだろうか。





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