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静謐さここに極まれり

通勤で公共交通機関を使うようになると、駅に貼ってあるポスターに目が行くようになる。最近、グリーンのバックに描かれた朱色の子鹿のポスターを見かけるようになり、何かと思ったら、名都美術館の特別展「徳岡神泉 -暗暁に輝く星を求めて-」のポスターだった。

このチラシ、目を引きますよね

日本画は全然詳しくないけれど、名都美術館なら静かに自分のペースで鑑賞ができる。それに仕事を早く切り上げたら行ける場所にあるし、手の届く範囲にあるものはとにかく見ておくと勉強になるかと思って寄ってみた。

平日午後の名都美術館はとても静かだ。お客がまったくいないわけではないが、皆、足早に通り過ぎてゆく。所々に「会話はお控えください」のプレートが掲示されていて、今の時勢に逆行している気もしたが、この美術館に足を運ぶメインの客層を思うと、正直、致し方ないなとは思った。おかげでゆっくり心ゆくまで作品と向き合えるわけだし。あと、この美術館には警備員は巡回しているが監視員がいない。それも気兼ねなく絵を眺められる要因のひとつだ。

そんなわけで、近代京都画壇で活躍したという徳岡神泉の絵を初期から順に見ていった。日本画の世界で自分なりに研鑽し、工夫を重ねていく過程がわかるように展示されていた。特に興味をひかれたのが、登竜門にあたる官展に応募して三連続で落選し、精神を病んだというエピソードだ。本人は相当つらい思いをしたようで、寺を転々としたり、京都を離れ富士山麓の岩淵へ移り住んだ。そして岩渕で結婚し、ゆっくりと回復してゆく。そして彼独自の幽玄な画風が育まれてゆく。

徳岡神泉の絵の特徴は何かといえば、背景および地塗りにあると言えるだろう。ポスターに使われた《子鹿》にしても代表作の《蕪》にしても、真ん中に子鹿や蕪が置かれ、背景はほぼ単色だ。ところがこの背景は靄のように繊細な濃淡があり、それが主題となる事物をうまく引き立てていると同時に奥行きを感じさせるように描かれているのだ。だから、画面はとてもシンプルなのに、見れば見るほど頭の中で風景が広がる。

また、《菖蒲》は菖蒲の足元にほんの微かな映り込みを描くことで、水面の存在を示しており、それに気がつくと一気に池一面に咲く菖蒲の姿が見えてくる。ミニマルな表現の見事さに惚れ惚れとした。

神泉は自然の中にある植物や動物をよく観察したという。観察した上で、エッセンスだけを絵画として表現した。《赤松》にいたっては、無地の背景の上に、枝も葉もない垂直な幹が二本描かれているだけの、風流さとは遠くかけ離れた作品だが、幹の表面、木肌は丁寧に写実的に描かれ、二本の木それぞれの個性すら伺える。

晩年の作品になるほど、眺めていると、いつしか瞑想をしているような心持ちになる。「幽玄の世界」と聞くともっと閑散としたイメージがするが、神泉の作品は逆に見れば見るほど豊かなイメージが湧いてくるのだった。

「勉強のために」絵を見るなんて邪道だな。と見終わってから反省しきり。

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