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ミロ展――日本を夢見て@愛知県美術館

これは存在を知った瞬間から行く気まんまんだった。一種独特の不思議な図形で世界を書きあらわす画家、ジョアン・ミロ、実は絵画だけでなく、タペストリーや版画、焼き物にまで製作範囲を広げていた。

また、ミロは親日家としても有名で、日本に関する(主に美術系の)資料を収集し、来日を果たしたのち、70年大阪万博ではガスパビリオンに壁画を提供していたのだという。なぜ親日かというと、ミロが育った時代のヨーロッパ、主にフランスとその周辺ではジャポニズムがもてはやされていたからで(恐らくパリ万国博覧会への出品が直接のトリガーなのでは)、ミロとともに絵画を学んだ仲間たちは多かれ少なかれジャポニズムにかぶれていた。たぶん、かつてアメリカの若者たちがインドや中国の東洋哲学にハマったのと似たような現象じゃないのかなと思う。

そんなわけで、今回のミロ展は日本とのつながりをフューチャーするという構成で、彼の前半生や絵画の有名作品はわりとあっさりと紹介され、展示スペースの半分は日本との交流の紹介に割かれていた。興味深い資料も多かったが、中でも陶芸作品を見ることができたのは良かった。というか、立体作品として素晴らしいものばかりで、楽しく眺めてきた。

また、いちばん最後のコーナーでは、日本の芸術(主に書道)の影響がはっきりと見て取れる絵画作品が展示されており、これは大変趣深かった。

画家が影響を受けたジャポニズムというと、たいていは浮世絵のことなのだが、ミロはむしろ「書」や俳句に興味があったというのが面白い。ミロの絵画は細い線と色の付いた面で構成された、非常に二次元的な表現なのだが、だんだんと文字が絵画の要素として入り込むようになり、やがては一体化してしまう。文字は意味の伝達を放棄し、形だけが残され新たなイメージを生む。文字がゲシュタルト崩壊を起こし、意味が抜け落ち再構成された、といえばいいだろうか。

ミロにとって意味のわからない日本語の文字は、デザイン的に興味をひき、絵画の要素として取り入れやすかったのではないかとも思われる。特に晩年の作品では掛け軸の書画のように、あえてラインを掠れさせたり、太さの差をつけたりして、非常に味わい深い線が見られる。

だが、自分的には初期の「夢の世界」シリーズが心に響く。とても音楽的なタイプの絵で、カンディンスキーやパウル・クレーの仲間として見ることができるから。

実はこの絵のTシャツ持ってます

皮肉な話だが、スペイン人であるミロが遠い異国の日本の文化に憧れたように、日本人である自分もまた遠いヨーロッパの芸術に憧れたりするわけだ。







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