未来世代との契約(現代の社会契約論としてのロールズ2)

 前回の記事では、社会契約論が「自然状態」を仮定せざるをえないという弱点を抱えていること、そして、ロールズがそれを乗りこえることで現代に社会契約論を蘇らせたということをお話ししました。今回は、ではロールズがどのようにして乗りこえたのか、そこに登場する「原初状態」という概念を中心にお話ししたいと思います。

 「原初状態」とは、簡単に言うと、私たちがこの世に生まれたときの状態のことで、将棋やチェスなどのゲームの開始時のコマの配置にたとえられます。しかし、私たちは自分がどのようなコマであるのか(属性)や、周りにはどのようなコマがあるのか(境遇)を、知ることはできないし、選び取ることももちろんできません。ロールズはこれを「無知のヴェール」と表現しました。

 ロールズはこの「原初状態」を、社会契約論の「自然状態」から着想を得ていますが、決定的な違いがあります。

 「自然状態」は、言わばリセットボタンを押して初期化したような状態です。しかし、そのように国家も社会もないゼロの状態が人類の太古の歴史にあったわけではない。あくまでも仮定にとどまります。

 それに対して、「原初状態」は現実に私たちが置かれた状態です。しかし、それを知ることはできないと「無知のヴェール」をかけた。そして、知らないという共通認識によってこそ、自由な競争を行う前に、成功者が弱者の生活改善の義務を負うという「公正としての正義」の原理に基づいて、「契約」を結ぶことが可能となるのです。

 さて、ロールズの「公正としての正義」の原理は、私たちが「契約」する相手を押し広げます。それは「未来世代」です。競争によって生じた格差を弱者の生活改善に資する限りにおいて容認することで、次の世代が同じスタートラインに立てるようにする。それは、現役世代の未来世代に対する「契約」と言えるでしょう。

 いまだ生まれていない未来世代は現役世代に対して物言うことができません。だからこそ、現役世代は未来世代が置かれるであろう境遇(原初状態)を想って「契約」する。その意味で、ロールズの議論は教育格差の問題や環境問題を考えるうえで大きなヒントを与えるものです。

 このように、ロールズは「自然状態」を「原初状態」に読み換え、未来世代との「契約」を可能とすることで、社会契約論を現代に蘇らせました(なお、前にの記事の冒頭で「ある目的」と言ったのは、この未来世代との「契約」のことです)。しかし、一方で、社会契約論の根幹にあるものは受け継いでいます。

 ここで、ルソーが「一般意志」に従って社会契約すべきことを説いたことを思い起こしてください。一般意志とは、社会全体の利益を目指す意志のことで、自分の利益ばかりを求める特殊意志と区別されます。

 では、人間が、いや、人間だけが、自分の利益・自分の立場を離れて他者のことを考えられるのはなぜでしょうか?それは理性をもつからです。理性によって人は自分を超えていくことができる。ルソーの言う「一般意志」とは要するに理性であると言えます。

 そして、人間のもつ理性を信じ抜いたという点でロールズも同じです。理性をもつからこそ、「無知のヴェール」が認められる。理性をもつからこそ、未来世代の境遇を想って契約することができる。

 人間のもつ理性を信じて、現実の世界にある格差や不平等を是正していこう。未来世代に負債を残さない良いにしよう。このようにして、ロールズは社会契約論を現代に蘇らせたのです。

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