レコードを整理して
赤い鳥の4thアルバム「竹田の子守唄」、シングルでミリオンセラーを叩き出したヒット曲。このアルバムを眺めながら(プレーヤーが無いのだ)ふと複雑な気持ちになった。
アルバム発表は1971年、今から51年も前のことだ。
今の彼等(彼女等)は、解散、大好きな山本潤子(旧姓 新居)も伴侶に先立たれ、自身も音楽活動から引退してしまった。
そして、メンバーの一人は不祥事を起こし表舞台から姿を消した。
このアルバムのそれぞれの表情にはそんな事が未来に起こるなんて露ほども思っていなかったはずだ。
人間の人生はとてもはかりしれないうねりのような流れが渦巻いていて自分ではどうにもならないように思う。
突然、加川良が頭によぎった。
1947年生れ、今生きていれば75歳になる。
1970年の夏、高校生になったばかりの私は夏休みのイベントとして第2回中津川フォークジャンボリーに一人で参加した。
その時に加川良は「教訓Ⅰ」で出演している。
その曲は強烈なインパクトを私に与えその場に立ち尽くしたのを覚えている。
赤い鳥、岡林信康、遠藤賢司、高田渡、吉田拓郎、はっぴいえんど、なぎら健壱などそうそうたるメンバーが出演している中で、加川良は独特なオーラを放っていた。
それから、ずいぶん時間が経って、加川良の事をあまり気にかけなくなった頃、2017年に突然彼の訃報が舞い込んできた。
メディアへの露出は殆どなかったが、Youtubeなどでその当時の姿を見ると相変わらず独特な、やさしい唄を歌っていた。
当時、出演した人も亡くなった人が多くなり、高田渡、大滝詠一、忌野清志郎、はしだのりひこ、最近では山本コウタローなどすでにこの世にはいなくなってしまった。
そして、中津川フォークジャンボリーのレコードも整理される運命です。
一体何を書こうとしているのかわからない文章になってしまいました。
失礼しました。
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