「帰郷」(24年2月2日の記事)

 引っ越しておよそ一週間が経とうとしている。早いんだか遅いんだかわからないが、年明けて半ばに職が決まり引っ越したのだと思えば、そんなものかとも思う。新しい仕事についてはなんとも言えない考えがあるが、これもはじめのうちのことなので積極的に無能になりたい。

 以前住んでいた家は山裾にあり、窓も一つで日当たりのない家だった。身内から言わせれば独房のような感じらしい。私は鬱病などは患ったが特に不便さを感じていなかったし、それはそれでよくもあった。それが、引っ越してみてどうだろう。ごくごく一般的なほどほどの家を借りたが、窓があり日当たりのある素晴らしさ。あぁ、そういえば京都に来る前はこんな感じだった……という気持ちになった。
 私はいま日常のなかで、堤防にうちつける、ちゃぽんちゃぽんざぶんざぶんという音を心地良く聴いている。潮の満ち引きで変わる河口と橋の景色がうつくしい。急峻な山が、多島美を抱え込んでいる。朝は天使の梯子が多くの島とわずかに見える海面に降り注いでいる。
 広島に帰ってきたのだ。

宮島を臨む

 こんなに海が──瀬戸内海が好きだったのだなぁと思った。前の家では、京北を眺めながら目の前に海があったらどれだけいいだろうと何度夢想しただろう。けれど、帰りたくはなかった、そのときは。きっと6年前だか2年前だかに帰ったところで、私はどこか燻ったままだったろうと思う。
 もともと、多島美が好きだった。好きだったし、誇りにも思っていた。撮るのも好き。描くことが好きだったかはわからないが、引っ越しの片付けの最中に、尾道の絵画展の賞状などが出てきて懐かしい気持ちになった。たぶん描いていたと思う。
 撮るほうが好きなのは今も昔も変わらないが、海を描くことが自覚的に好きになったのは近年得たことである。海は〈見るもの〉で〈描くもの〉ではなかった。いまは、見ながらまた描くことも楽しく感じる。いいことだと思う。 相変わらず、景色は好きだが土との気質に合わなくて冒頭のとおり新しい職場では、働いてすぐだが既に四苦八苦している。関西はここがサッパリしていて、風土との相性に改めてぶち当たっている。※私には風土と気質の相性があまりに悪く、広島を飛び出した経緯がある※
 それでも、前よりずっといいな……と思えているのは引っ越しという一種の人生リセットが入ったこと、そして、すぐに海と多島美にありつける日常の幸福を手に入れたからだろう。幸福なのだ。物心ついてからずっと、この風景と生きてきたから。

 だけどやはり関西もいい土地であった。風土──人間の気質が最も合うのは関西だと現在も進行形で体感している。合計11年半ほどを、関西で過ごした。第2、いや第3の故郷みたいなものだ。うち京都には8年暮らした。はじめてカブトムシやクワガタを獲ったり、うつくしいオオミズアオにも出会った。気質的にはやはりものすごく、惜しいほどいい土地だった。それでも人間というものは勝手で、今こうして瀬戸内海がそばにある暮らしに幸福を感じている。そして、関西の土と人を惜しく感じている。

 多くの島に埋もれるように夕陽が沈んでいく。島に埋もれた海面に夕陽が反射している。堤防にぱしゃんぱしゃんと波が穏やかに打ちつけている。
 広島に、帰ってきた。

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