2022/07/08

今日を忘れないように日記に残します。

何度も見た顔を思い出す。しかし、もういない。ぽかりと穴が空いたような気分だ。血の通った同じ人を、悪意を持ち、殺めた人がいる。胸が詰まり、吐き気に似た感覚に1日囚われた。

ご家族もたびたびメディアで拝見したため、なんとなく人柄を想像してしまう。仲睦まじく見えた。そんな、残された人の心境を想像すると、不快感とは異なる気持ちになる。同情というには強すぎる痛みだ。

普段から目にする人物ではない。特別な感情を抱いていたわけでもない。

ただ、生きている姿を見た。見知らぬ人ではない。苦労も多いだろうと想像し、ひとり悲しく思っていた。想像できないような生活を送っているのだろうと。情けないことにわたしには教養がない。主義や主張、具体的な功績を知っているわけではない。しかし、やつれた顔を見て、どうか報われますようにと思う日もあった。

虚しいのは、あまりに他人だからというのも一因だ。「普段から気にしていたわけでもないのに、亡くなったとたんコメントして気持ち悪い」。不幸なニュースが流れるたび、そんなコメントを目にする。そのため、他人のわたしが表立って今日の事件を話題に出すのは憚れる。

しかし今、日記に残すのは、おなかの底でうずまく感情を吐き出す場所がなかったからだ。

つい目にしてしまった事件現場の映像。死因となった凶器。現場の野次馬たち。陰謀論。生前の姿。数年前の記者会見の様子。当時、SNSで見た強すぎる批難、暴言。

どれもこれも気分が悪い。そして恐ろしい。月並みな言葉だが、優しい人たちばかりの社会になってほしい。少なくても明日1日くらい、主義に関係なく死者を弔う気持ちを多くの人に持ってほしい。強く願う。


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