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文春野球フレッシュオールスター2024〜田代ラーメンとの34年目の一期一会で田代富雄が愛される謎が解けた

仇敵はラーメン?

田代ラーメンを食べたい――

県内トップのラーメン店とコラボしたハマスタの新メニュー「すたぁ麺」を前にして、また、思い出した。

何を今さら。だからこそ、欲望は募る。

田代ラーメンの開店は平成2年、当時のグルメガイドでこんな紹介をされていたはずだ。

■田代ラーメン
最寄り駅:茅ケ崎
ジャンル:ラーメン
予算:¥500~¥1,000
定休日:無休 11:00~15:00(土日祝は19:30まで)

水色とピンクのキュートな店舗は、現役時代の田代選手を知る客の意表をつく。喜多方風のラーメンは、モチモチの食感でコシもあるちぢれ麺。味は正油、塩、味噌の3種類。正油ラーメンのかえしは甘めで、クリアなスープは雑味がなく、余韻までおいしい。具はチャーシュー、メンマ、蒲鉾に煮卵と直球勝負。トッピングは、ワカメやコーンが選べる。

この店の元大将は、ベイスターズの現打撃コーチ、田代富雄。
優勝にもタイトルにも届かなかったが、記憶にも記事にも残る選手だった。

ハマスタ日本人初の場外ホームラン、開幕戦の3打席連発弾、現役最後の打席のグランドスラム...

ホエールズが年2~3回、稀にスポーツ新聞の1面を飾るときはいつも田代。彼がいなかったら、大洋ファンは80年代前半に絶滅の危機を迎えていただろう。

湘南カラーをまとったでかい器に頬骨の張った面がまえ。ちぢれた髪からはみ出たヘルメット。そこにトッピングされた星たち。コシの入ったスイングと美しい余韻を残すフォロースルー。コミカルなオバQの愛称…

彼を構成するすべての不調和が、ホームランを打つと、ピタッとまとまる。

そんな奇跡の瞬間の目撃者となることができた僕は幸せだ。

それだけに、彼が退団して家族に任せていた田代ラーメンを始めたとき、胸中は複雑だった。

時は、とんこつラーメンがバズった平成初期。ラーメンは田代を籠絡し、僕とホエールズから無冠のままの彼を連れ去ったのだ。
そんな仇のようなラーメンを、どうして食べに行けようか?

まもなく、ホエールズはベイスターズと生まれ変わり、ブラッグスやローズがホームランを打ち始めると、僕の中の田代は次第に萎んでいった。

田代ラーメンを食べるチャンスを逃してしまった。

幻の田代ラーメン

田代が二軍打撃コーチとして戻ってきたのは平成9年。復帰に前後して店を閉めたことは後で知った。

ユニフォーム姿に戻った彼は二軍と一軍を行ったり来たり。未来の彼の後継者たちのために、麺の湯切りのごとく、トスバッティングの毎日が続く。

そして数年後、潜在下にあった僕の田代ラーメンへの歪んだ思いは、不意に形になった。

平成21年、シーズン途中に田代は急遽、一軍の采配を任される。
生え抜きの苦労人が、実のない火中の栗拾いを仕切るのは、見覚えのある退却戦だ。
まもなくスポーツ新聞は次季の新監督が誰になるかを取り沙汰し、田代の退団とラーメン屋再開の観測記事がネタになった。

「田代はハマスタの空を誰よりも知る男、このままクビなどありえない」
かつてのヒーローは僕の中で蘇り、そして僕は憤った。ラーメン屋再開となれば、泣き笑いの顛末だが、もしそうなったら、今度は必ず食べに行こう。
僕ができることは、そんなことしかなかった。

結局、監督代行職を辞し、その後ハマスタを去った田代は、他のチームのユニフォームを着た。もちろん、ラーメン屋の再開もなかった。僕は混乱を抱えたまま、不調和も不条理も、ひとつの器で解決してくれるであろう幻の田代ラーメンをどうしても食べたくなっていた。

三度目の正直

令和となり、昭和平成に続いて、田代がチームに戻ってきた。そして今季は入団51周年、一軍専任となり、ハマスタのベンチに座っている。最後列にいても、抜群の存在感だ。

彼にはハマスタのベンチと空がよく似合う。

田代ラーメンとケジメをつける頃合だ。長きにわたる僕の執着は、彼に代わって自分で解決すればいい――

田代ラーメンのレシピを探す旅が始まった。
田代ラーメンのビジュアルを入手し、食べた人たちの話を聞く。
彼のお手本は、現役時代に夫婦で睦まじく通った星川のラーメン屋「えりも」(閉店)だ。
チャーシューは肩ロース、蒲鉾は彼の故郷の小田原は鈴廣、豚骨は背骨にした。ちぢれ麺は「えりも」と同じ会津の小西製麺を因縁ある楽天で取寄せた。準備に抜かりはない。

チャーシューを作り、豚骨でスープをとった。3日間をかけて、田代(的)ラーメンは完成した。そして実食――

美味かった。34年目で満願を完食した。

ところで、実食してようやく、田代が現役引退時にホエールズよりも、ラーメン屋にこだわった謎が解けた気がする。

「えりも」のラーメンをふたりで啜りながら、「引退後はラーメン屋を一緒にやろう」と田代が夫人に語る夢の味。映える外装は、彼女のこだわり。開店してしばらくは、彼女に切り盛りを任せていたが、一本気で不器用な男は手を抜かない。
「チームはもう大丈夫。店には俺を待っている嫁さんがいる」


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