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忘れてしまうこと/叁朝屋へ


「思い出しかた」には多くの種類があると思う。
それは年齢を重ねることで変わっていくものもあると思うし、そうでないものもあると思う。
例えば僕は、そうだなあ。台湾のことを思い出してみよう。

もう、二年が経つ。日常を地元で過ごしていて、台湾のことを思い出すことは少なくなってしまった。少なくなってしまった、だって?いいや、本当のところそれは、全くなしと言ってもいいんじゃないかな。
口惜しいけれどね。そういったことは。
僕はねえ、本当に歳を取ってしまったんだよ。叁朝屋で過ごした僕は18歳。ついこの間、僕は日本に帰ってから二度の誕生日を迎え、21歳になってしまった。数字で測れるものなんてくだらないと思っているのだけれど、こういった事実を時々確認しなくちゃならないということは、やはりとてもしんどい。言葉にならない虚しさを感じるよ。だって、僕はこの約二年間、君たちのことを殆ど考えて生活してこなかった。距離がそこにあれば、忘れて良いものなんてあるだろうか?僕はそう思わない。しかし実際、僕はその殆どを忘れてしまったのだ。中国語は、君たちと話した言葉の幾つもを、僕は既に忘れている。忘れて、いるんだ。それがどういうことだかわかる?例えば今、突然君たちと会ったりでもしたら、僕は困惑して、思ったことの一つもうまく伝えられず、怯えてしまうだろう。そんな、気持ち。

僕はね、今、坂口恭平の「月の歌」を聴いている。彼の音楽に出逢ったのはつい半年くらい前かな。台湾にいる時は彼のことすら知らなかった。しかし今この文章を書きながら偶然流れているこの歌のことを、僕は生涯忘れないと思う。まるで脳が錯覚してしまう様なんだよね笑 僕は時々、音楽を聴いている時、今この瞬間、この気持ちをそっくりそのままこの歌にえい!と投げ出してしまいたくなるんだ。そうすると不思議なことに、今回の場合、この歌は台湾の歌になる。つまり僕は、この歌を間違いなく台湾で聴いていたんだよ。だから、皆んなにもこの歌を聴いて欲しい。そんな風に、僕のことを三年に一度くらい思いだしてくれたら、そんなに嬉しいことはない。僕も随分と適当な人間になってしまったからね。そんな風に、あなた達のことも思い出させて欲しい。大丈夫。僕は何一つ忘れていないから。
本当はもっと書けることもあるだろうにな。僕が時々思いだすことなんて、こんなものなのだと思う。そう、こんなもの。けれども、僕らはそんなものを大切にしている。

僕の地元の山梨はね、夏は暑くて、冬は寒い。春には桃の木が真っ赤に色付いてね、秋に散る葉っぱの美しいこと。つまり、ちゃんと四季があるんだ。
最近はそんなことを、一つずつ確認したりしている。余裕があるんだろうね、前よりは。

なんの因果か、昨年の12月からゆうきさんが家にいる。僕の「実家」にだぜ。これはずいぶん面白いことになったなあと、その頃は思った。ゆうきさんは12月頃、なにやら全然元気がなかった。どうやら仕事も、人間関係もうまくいっていなかったらしい。今まで積み上げてきたものが突然ひゅんと消えてしまう虚しさってどんなんだろう。僕には積み上げてきたものなんて何もなかったから、とにかくゆうきさんの話を聞くことしかできなかった。
年が明けたくらいからかな、ゆうきさんは少しずつ元気を取り戻してきた。それと同時くらいに、今度は僕が不調に陥った。
生活においての精神的な不安や、自分のやりたいことへの出来なさに、苛立っていた。毎日腹が立って仕方なかった。けれどその頃もう既に、僕は僕のやるべきことを殆ど理解していた。

「もう顔を知っている人の文章しか読みたくないと思いました」少し前、僕の日記を読んだ拓海さんからそんな言葉をもらった。ゆうきさんにそのことを伝えると、「無農薬の文章が良いよね」と。
まさに、僕らは普段から農薬のかかった文章しか読んでこなかった。それからというものの、ことあるごとに、僕は拓海さんの言葉を思い出しては、ああ、もっと友人の文章が読みたい!そう願う様になった。
僕らは、中々本音を言うことはない。親しい友人でさえ、彼らが普段何を考え、何に心を動かされ、励まされ、また打ちのめされているのか、僕らは知ることができない。距離があればそれは尚更のことだ。そう言った当たり前の事実を、僕は段々と実感してきたのだと思う。ああ、これはなんて寂しいことなんだ。そう実感しては、親しい友人たちに「最近何しているの(何考えているの)?」なんてメッセージを送るのだ。
物語。やはり僕は、物語を好きだなあと思う。結局僕らは、大切な人が何を考えているのか、それを誰よりも理解したいのだと思う。下らない嫉妬や見栄が、誰かを知りたいという欲求の隙間に隠れていたりするように

最近の僕といったら、畑仕事をするか、家でゴロゴロ本でも読みながら何か新しい情報を仕入れるくらい。
畑をするようになって、気付いたことが沢山あるんだ。つまり、実は僕らはそんなに頑張らなくていいんじゃないかってこと。
今は、そんなことばかり考えている。皆んながもっと楽になったらいいよって。
思い返してみれば、僕が高校を卒業して台湾へ行こうと決断したのも、自分自身それまでずっと生きづらさを感じていたからなんだ。

僕のやるべきこと。それはまず、自分自身の生活を確立させること。具体的にいうとそれは、自分の食う分は自分で作る。自分が使っているライフライン、エネルギー問題を解決して、何かに追われる生活とおさらばするんだ。つまり、生活にかかる費用を限りなくゼロにすること。
今はそんな理想の生活を見つけたものだから、僕の往来抱えていた不安というものとは、さよなら出来たんじゃないかな。 大体、殆どの人間が抱えている問題ってお金についての問題だろうからね。
生活において金銭的な問題がなくなって初めて(もちろん、それだけじゃないさ)僕らは自分のやりたいことができるんじゃないか。いや、できる。僕はそう確信して、今はそれに向けて少しずつ準備を進めているんだ。

こういった考えに至るまで、帰国してからはずいぶんと足掻いた様に思う。どんなこと(仕事)をしても嘘の様に思えてしまう。くだらない、ちっぽけで意味のないもののように思ってしまう。
地元の畑を手伝って、こんなに楽な世界があるのかと気づいたのも割と最近のことだった。人の悩みの全ては人間関係からくるもの、とはその通りだと思う。自分がくだらないと確信し、意味を見出せない時間の中で、人間関係を構築していくことは、そう言ったことは、僕にとって最も苦しいことだった。偽りの中にある関係。気づいたら僕は、そんな中で笑えなくなっていた。ずっと、自分を騙している気分だった。
そこからは早かった。自分の苦痛、不満、違和感の正体全てと向き合うことにした。そう、自分の感情を無視しないんだ。そう言ったことをしばらく練習した僕にとって、仕事とは?その答えはシンプルになった。ついで、自分の人生の意義もわかった様に思う。

全ての意思決定を、自分の為にすること。そう聞くと、少し怖く思えてしまうだろうか。
僕は、比較的誰かの為にしか生きられない性格でね、でもそれは間違いだったと最近気付いたんだ。誰かの為にと頑張っていた時間は、やはり僕の為にはなっていなかった。そこには幼少期の寂しい僕がただそこにいた。哀しい自分が大きくなっただけだった。
それとね、ひとりの大切な人と人生を共に過ごすということの幸福。やはり誰かと共に過ごすということは、日々様々な問題を引き起こすことがあるけど、それはお互いの譲り合い、情け、許すことでその殆どが解決できた。もちろん今でも我慢ならないことやキツイことはあるけれど、ひとりの人間との関係を大切にするということから、僕は多くのことを学んだように思う。それは、恋愛対象以外にだって同じことが言える。
深い慈愛でもって人と関わることができるならば、戦争なんてものは絶対に起きないし、起こるはずはないんだ。ちょっと、話が大きくなりそうだ。けれども、純粋な、対一個人との関係から学んだ多くのことを想像する時、やはり現代社会の多くの問題には、うんざりしてしまう。皆んな〜もっと優しくね。そんな具合にね。本当、実際それだけなんだ。皆んな、存在しないヒエラルキーに怯え、見えることのない「雰囲気」の中を、手探りで必死に泳いでいる。
捺冶さんともこの間話したんだ。結局僕らは優しい人間でありたいね、と。僕らの根本は変わらない。そこに根がある以上、どんなことをしたってそれは上手く行くよ。僕が保証する。

叁朝屋で過ごした時期は忘れないよ。こんな僕を皆んなが受け入れてくれたんだから。いや、受け入れてくれた、なんて違う。ただ、そこにいていいよと言ってくれた。18歳の僕が、そのたった一つの事実にどれほど救われたか。その場所があることが、帰る場所があったことが、どんなに心強かったか。思い出せることといえば、ただひたすらに感謝の気持ち。皆んなへのありがとう。だね。
だからね、普段はこんなこと考えないんだけれど、叁朝屋という場所が、国境を越えて、形を、人を変えて、そこに存在しているということは、僕にとって希望なんだよ。
ああ、僕は2年越しに、自分の本当の気持ちに気付けたのかも。ねえ、僕は台湾でどんな表情をしていただろうか?今は、あの頃とは違って、何もかもちっとも淋しくないんだ

今、ちょうどね、カネコアヤノの「恋文」が偶然流れている。子豪、この曲を一緒に聞いたことを覚えている?この曲は本当に台湾で聞いたんだ。ほら、僕はまた一つ思い出すことができる。そうしてその事実が僕をまた嬉しくも、悲しくもさせる。僕の身体は、実は音楽で構成されているのかもしれない

来月、僕は新しい生活を始める。ようやく思い描いていた生活への一歩目を踏み出せるわけだ。
そうしていつか、自分の問題を解決したら、僕も誰かの居場所になれるような場所を作りたいと考えている。いつか、なんてずっとやらなそうだね。すぐにでも、そんな場所を作るつもりだ。
皆んなと、再会できる日を心待ちにして。


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