「伏龍鳳雛」~三国志フラグ集 for Biz 其の壱
三国志のお話で失礼します🥺三国志は現代にも通ずる、示唆に富んだ面白いお話がたくさんあります。このnoteはBizのためのひとりごとです。
今日は三国志演義に描写されるフラグについてのお話です。
フラグとは、物語等において、ストーリーの今後がおおむね予想できてしまうような典型的(ベタ)な演出を指す意味で用いられる表現や伏線のような描写。
例えば黒猫が通る凶兆フラグや、「このヤマが終わったら田舎に帰って結婚するんだ…」と、同僚に婚約者の写真見せた刑事、だいたい殉職するフラグとか、「まさかこんなことになるなんて、この時のボクは想像だにしなかった」などと言って、惨事に巻き込まれるフラグなどがありますよね。
三国志演義は、正史三国志という史実をベースにした物語ですから、フラグがふんだんにちりばめられています。
ほかのnoteで、「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」に見られるフラグについて記事にしています。よろしければこちらもどうぞ。
伏龍鳳雛(ふくりょうほうすう)
三国志の主人公のひとり劉備(りゅうび)は、紆余曲折あって放浪の末、荊州の同族劉表(りゅうひょう)の庇護もとで日々悶々と過ごしておりました。斜陽の漢王朝を再興させるという大願がありましたが、このままでは一国一城の主になることすら夢のまた夢。
劉備は自分の軍団に、兵法に通じる者(軍師)がいないことに気付きます。劉備には、「関羽と張飛」という、とてつもなく腕っぷしの強い荒くれ義兄弟がおりました。その他にも他国が羨む猛者揃いでしたが、もともと無頼の徒。その者たちを戦場で上手く使いこなす者、さらには内政外交に長けた者がほとんどいませんでした。
「軍師ほしい・・・。゚(゚´Д`゚)゜。」
放浪の末に庇護されてはいましたが、そこでも命を狙われたりして半ベソ状態のときに劉備の前に現れたのが「水鏡先生」です。水鏡先生は司馬徽(しばき)という方で、地元のご子弟に兵法を教えている名のある先生でした。劉備の境遇を具に聴き、ある助言を授けます。
「『伏龍』か『鳳雛』いずれかを手に入れれば天下を獲れる」
伏龍(ふくりょう/ふくりゅう)は(池の底で)寝ているドラゴン。いずれ目を覚まし天に昇る龍です。
鳳雛(ほうすう)はフェニックスのひな。いずれ成長し鳳凰になります。
モンスターを召喚するという訳ではなく、ある人物の二つ名です。
伏龍はご存じ諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい)、鳳雛は龐統士元(ほうとう・しげん)のことです。諸葛孔明に対し、あまり知られていませんが龐統もまた優秀な人物です。
ちなみに諸葛が姓、亮が諱(名)、孔明が字(あざな)です。この時代の中国では諱はフォーマルな時に使うもので、普段の呼び名は字が使われていました。
なにがフラグ?
さて、何がフラグかと申しますと、これは劉備がいずれ天下を獲るという前兆、ということです。中華統一は果たせませんでしたが、のちに劉備は蜀という国を建て、初代皇帝となります。
古くから中国では龍や鳳凰は瑞獣(ずいじゅう)と呼ばれ、これらの瑞獣が現れるときはめでたいことが起こる前触れ(吉兆)とされており、別名吉祥獣(きっしょうじゅう)と呼ばれています。
特に応龍、鳳凰(瑞鳥)、麒麟、霊亀は四瑞(四霊)と呼ばれており、瑞獣界の頂点に君臨する聖獣の方々です。レアリティはもはやSSRです。
四瑞は、方角や季節を司る四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)とも対応しています。
日本でめでたいときに鶴と亀の絵が用いられるのは、「鶴は千年、亀は万年」という長寿の象徴であるイメージが強いのですが、実は中国から伝わった四瑞の思想から来ているものです。(鶴は鳳凰に対応します。)
つまり、龍や鳳凰なんてSSRの瑞獣名を冠した二つ名をもつ軍師をどっちか配下に加えたとなれば、もう天下獲っちゃうんじゃない?で、誰なの?誰なの?それってもしかしてあの諸葛孔明じゃない?と、読者に予感させます。
そもそも三国志演義は主人公劉備のサクセスストーリーが中心です。一介の平民から蜀の皇帝になるまでがドラマテックに語られており、その立志伝が現代まで多くのファンを魅了するひとつの要素となっております。
特に劉備と諸葛孔明の邂逅は物語の大きな転換点となります。
結論を申し上げると、劉備は伏龍と鳳雛の両名を配下に加えます。「どちらか一人でも来てくれたらラッキーなのに、二人とも来てくれた!嬉しい!ぼかぁ幸せだなぁ。( ゚д゚)ハッ!いかんいかん。自重しなければ…。」という描写があるので、さぞや喜んだことでしょう。
そして志が実現するわけです。
劉備は伏龍の正体が諸葛孔明だったと知ると、すぐさま「三顧の礼」で迎え入れます。その後推挙により龐統が配下に加わります。龐統は志半ばで戦死しますが、この戦死に関してもフラグがありますので、それは後ほど。
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ひとりごと
中国の故事成語で「伏龍鳳雛」とは2つの意味があります。
①まだ世に出ていない優秀な若者のたとえ
②優秀な若者が、世にでる機会もなく埋もれてしまっているたとえ
微妙にニュアンスが違いますよね。組織には優秀な人材が必要ですが、どのようにリクルートするか、どの組織も悩ましいことと思います。
そして私的には
③自分の力を信じ、世に出るチャンスをうかがっている優秀な若者
という意味もあるのではないかと思います。
実は諸葛孔明もたくさんのオファーがあったのですが、自分が仕えるべき主君に出会うまでは仕官しない、と考えていたそうです。
ひょっとして御社の行く末を変える伏龍鳳雛が。すぐ近くにいるかもしれませんね🥺
そして、このnoteにいらっしゃるクリエイターさんたちこそ、現代の伏龍鳳凰ではないでしょうか😉
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長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
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ちなみにキャミ―さんのイラストもそうですが、水鏡先生のイメージは老人の道士や仙人ぽく描写されることが多いですが、30代だそうです。
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