その1

「民族」について話をします。

なんだか最近よく使われるようになった「民族」という言葉ですが、その定義ってどんなもんなんでしょう。

実を言うと、同じ「民族」という言葉であっても、政治学や歴史学など、それを扱う学問のジャンルが変わると、意味が変わってきてしまいます。同じジャンルの学問でも、研究者によって定義が変わるような気がしないでもありません。

そういうわけで「この解釈こそが決定版だ」などとは言えないのですが、ここでは歴史学の一分野で行われていた定義を、できるだけ他の方にも納得してもらえるように説明していきたいと思います。

「民族」はしばしば「国家」と関連付けて使われる言葉です。「民族国家」とつなげてしまった言葉を、あなたも聞いたり使ったりしたことがありますよね。

そういうわけで、「民族」は、最終的にはそれ自身の「国家」を持つ、あるいは持とうとします。

この場合の「国家」は、王様が君臨するようなものではなく、近代的な国家だとされます。

王様が君臨する国家と、近代的な国家はどこが違うか。

王様が君臨する国家の場合、国民は基本的に「王様の家来」になります。わかりやすくなるので日本を例に取りましょう。

ある人に「あなたはどういう人ですか」と尋ねた時に、「水戸中納言家中です」とか「毛利大膳大夫家来です」と答えてくるのが、近代以前の国家であり、国民ということになります。

だいたいの国では、「◯◯様の家来」だった人たちが、ある時点から「日本人です」「フランス人です」などと言い始めるようになります。

でも大抵の場合、人々がそう言い始めた時点では「日本人の国である日本国」や、「フランス人の国であるフランス国」というのはありません。

「将軍様を盟主とする藩の連合体」とか、「フランス国王の統治する領域であるフランス国」があるだけです。

なので、「将軍様や王様の国」から「ある民族の国」への組み換えが行われます。

多くの国においてはここで王様が処刑されたりして多くの血が流されるのですが、日本の場合他国と比較すると少なかった方だと思います。

具体的には、江戸時代の中期以降に、身分の差や藩の領域を超えた「日本人」という民族の意識が生まれ、それがやがて「日本人のための国」というのを生み出すに至ったわけです。

逆に言うと、「日本人のための国」を生み出すために、「日本人」という民族の意識が作られたのだ、ということができます。

ちょっと複雑かも知れませんが、ここではとりあえず「民族というのはそれ専用の国家というのを欲しがるものだ」ということを覚えておいてください。

さて国を作るために「民族」というものが形成されるのですが、それは民族に属するメンバーがそれぞれ「自分は何々民族だ」と思い込むだけでできるものではありません。

「自分は日本民族」「あなたも日本民族」というように、自分を含む特定の人々を、他の人々と区別するための裏付けが必要になります。

多くの場合、この裏付けとして使われるのが、ある程度統一された言語であったり、生活習慣であったり、あるいは宗教であったりします。

それと、実際に国を作るとなると、経済的な土台も必要になってきます。

共通の言語や生活習慣を持っていたのに、経済的な土台が欠けていたので、他の民族の作った国に居候する形になってしまう民族というのも、少なからずありました。

これが、「多民族国家」です。

多民族国家の中にいる少数派の民族は、自分の国を持つための条件をひとつ、あるいはいくつか欠いているから他の民族の国家に居候しているに過ぎません。

ですから、条件が揃ったら自立して自分の国を持とうとします。

居候させている側は、居候に出ていかれると自分の国の領域が減ってしまうことになりますから、なんとかその動きを止めようとします。

いわゆる「民族独立紛争」というのは、基本的にはこういう構造を持つのだよ、ということをご理解していただいて、話を次回に回すことにしましょう。

本日はここまでです。

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