その5

アイヌという種族についての誤解が、日本には数多くあります。

その最たるものが「アイヌは日本の先住民族だ」ということなのですが、この一連のお話においては、「現在のアイヌは民族と言えそうなものになりつつあるが、その動きが始まったのは極めて最近の話じゃないかね」と疑問を呈しているわけです。

それ以外にもいくつも誤解があり、前回は「アイヌと平安時代初期の蝦夷は同族だ」という誤解を否定しました。

今回は、アイヌに伝わる叙事詩「ユーカラ」のひとつである「虎杖丸の曲」を参照しつつ、「アイヌは戦いを好まない平和的な種族だ」ということを否定していくことにします。

前に話をした通り、アイヌと言っても居住地ごとに言語・生活習慣はバラバラです。ですから「虎杖丸の曲」は、フィンランドの「カレワラ」のように民族全てを覆う広がりを持ったものではなく、日高地方に住んでいたアイヌ系の部族に伝わるローカルな伝承だという事を、まず最初に断っておかなければなりません。

つまり、「平和な種族ではない」というのは、このお話を伝えていた部族だけに限られた話かも知れない、ということです。しかし、一部でも否定できれば、全体として平和な種族ではない、ということも証明できると思われるので、その点も付け加えておきます。

「虎杖丸の曲」はあのじっちゃんの名の元になった金田一京助博士が収録したお話です。「虎杖丸」というのは刀の名前で、アイヌの呼称では「クトネシリカ」になります。現代人にとっては、「クトネシリカの歌」とした方がそこはかとなく中二臭も漂って好まれると思うのですが、金田一博士の時代ではなんのことやらわからないので、意訳して「虎杖丸」としたのでしょう。「虎杖丸」という意訳が正しいのかどうかについて議論があるようですが、ここではスルーします。

クトネシリカの持ち主がポイヤウンペという英雄で、叙事詩は彼が何をしたかについて語っていきます。

ポイヤウンペが最初に成し遂げた英雄的行動は、「黄金のラッコ」の頭を得ることでした。

ラッコはたまにはぐれた個体が発見されることがありますが、基本的に北海道には住んでいない海獣です。

その生息地はジャイアントケルプと呼ばれる昆布の一種の生育地と一致しており、千島からカムチャツカ半島、アラスカ西部に広がる海域です。

アイヌの他部族の代表と一緒になって、ラッコの頭を奪い合っている段階で、「これは北海道の話なのか」と疑いを抱きたくなってきます。

一応「イシカリ彦」などと言った人物が飛び出してくるので、石狩川流域の話なんじゃないか、とも思えるのですが、石狩川流域や石狩湾のあたりには、はぐれですらラッコはやって来ないのです。

争奪の対象になる黄金のラッコはすでに死んでいて毛皮になっており、その毛皮を石狩湾のあたりで奪い合ったのではないか、とする説もありますが、なんだかもにょっとする感じですね。

最終的にポイヤウンペは黄金のラッコの頭を得、自分のチャシ(砦)に持ち帰るのですが、それが原因となってかなり広範囲での部族間抗争が発生します。

後はポイヤウンペが愛刀クトネシリカを振り回し、ひたすら敵部族の代表者の首をはねていくという展開になります。

これだけ血なまぐさい話は、日本の伝承にはほとんどありません。

一部の人により、「悪意を持って周辺民族を侵略しまくった」とされるヤマト王権ですが、その神話に記録されている「異民族との戦い」は、リーダー同士の一騎打ちが中心で、集団対集団のぶつかり合いというのは、ほとんどないのです。例外は神武東征神話ぐらいですが、「古事記」や「日本書紀」を読む限り、そう大規模なものではなく、小部隊の小競り合いであったかのような印象を受けます。

出雲対大和の戦いも、タケミカヅチとタケミナカタの相撲で決着がついていますし、ヤマトタケルによる「異民族征服戦」もほとんどは敵リーダーとの一騎打ちです。

例えば「マハーバーラタ」に見られるような大規模な軍勢が激突し、最後の一人まで敵民族を殺し尽くす、といったような話は、今のところ日本神話においては見つかっていないのです。

この殺伐とした話ですが、あちこちに妙にリアルな記述が含まれています。

例えばクトネシリカです。これは拵えの部分をアイヌが作った日本刀であると考えられます。

また、アイヌが獲ってきたラッコの毛皮は、室町期の日本の上流階級の間で、最上級の宝物として人気を呼んでいた、という史実とも、このユーカラの内容は一致します。

逆に言うと、ベースになった史実があったとすると、それはさほど古い話ではなかろう、ということも言えるのです。クトネシリカの刀身が間違いなく日本刀であるなら(そうでない可能性はほとんどないのですが)、それは北海道において蕨手刀が作られた時代よりもずっと後のことになります。

これらをまとめると、アイヌの祖先は比較的新しい時代までラッコを狩れるような場所を原住地としていたことや、かなり殺伐とした部族間抗争を繰り広げていたなどということが、おぼろげながら見えてくる、ということになります。高価な毛皮を他国に売りつけていたのですから、その経済は素朴な原始共産主義的自給自足経済ではなく、国際的な商品流通体制の一端に組み込まれていたようだ、というのも。

どうでしょうか。あなたの「アイヌ民族」のイメージも、大分変わってきていませんか?

次回は言語の話を掘り下げようと思います。

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