2022/01/27の日記

日記をしようかな。

自分が所属してる劇団用の企画書の執筆をやった。

何をするにしても、どういう風に動くかどうかっていう指標のために、何かしら文字に起こすことはすごい大事だ。自分以外の関係者にやること、やりたいことのイメージが伝わりやすくなるし、何より自分が何をしたいのか、ということを上手いこと整理することができる。

だけど、いざ実際に実際に書いてあることを実行するとき、必ずしも書いてあることを100%再現する必要は無いと思う。これは芝居作りにおける脚本(戯曲とも言う)にも言えることなんだけど、物事の設計図になる文章を書いている人間は、大抵テンションが上がっている。テンションが上がっているから、物事を実行するときの細かい諸問題に、目が行かながちだ。

そんな無責任な奴が書いた設計図に馬鹿正直に従っていると、どうしても計画と現実のギャップに悩まされることになる。今まで、そういう事態に陥った時に、「でもここにはこう書いてあるから……」って、意地でも計画通りに物事を遂行しようとして、より面倒なことになるということがよくあった。だから、この企画書を実行に移す時は、柔軟性を大切にしようと思います。

ここからダイナミックに話を脱線させます。柔軟性を持つべしと講釈を垂れていたんだけど、だからと言って書いてあることを完全に蔑ろにしていいってわけじゃない。今日はそういう観劇体験をしてきました。

学生がやってる芝居を見てきたんだけど、取り扱っていた戯曲が難しい作品だった。なんというか、終始要領を得ない抽象的な会話が続いているんだけど、少しずつ話の中から物語の断片が窺い知れてきて、終盤に全部繋がる、みたいな構成の作品だ。

こういう構成の作品において、一番大事なのは作中で語られる言葉だ。その言葉が起因して、衝撃の事実が明らかになったり、登場人物や観客が一喜一憂したりすることによって、感情や物語が動く。だけど、今回見た作品は言葉というものが、かなり蔑ろにされている感じがした。

役者の声量が足りないとか、滑舌が悪いとかでは無くて(無いことは無い)、作品の中の言葉を観客に伝えようっていう意思を、演出からも演技からも感じられなかった。だから、僕の中でこういう感想が出たのだろう。

そんな日でした。

これって日記か?


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