なりたい自分って何?

こんにちは。学生です。

現在、私は大学2年生の春休み真っ只中であります。

なんの変哲もない春休みです。バイトをして、寝て、たまに遠出して、ユーチューブを見て、たまに友達と会って、みたいな。


春休み中の私の日々や思考を書いてみましょう。


もっと高時給で自分に合ったバイトをしたい、もっと勉強してたくさんの知識を身につけたい、なんなら大学編入してより良い学歴が欲しい、なんてたわ言をほざいたりしますが、なすすべなく毎日は流れていきます。

日記や絵など、白いノートとペンを用いて「自己実現」やら「幸福と不幸」やらを叫んだりする時もありますけど、そういうときはだいたい迷っているときです。

ちゃんと自分と向き合って、自分にしかできない表現をするときもあります。そういうときは「よしっ」となります。そんな表現は後々見返したりして、ニヤニヤしたりします。上手に自分と対話している瞬間です。

学生プロジェクトなるものに挑戦しようと、私と愉快な仲間たちで必死に企画を練ったりもします。なので長期休暇中にも関わらず学校に行ったりして「うーん」と頭を捻ります。締め切りも迫ってきているので、そろそろ企画書を執筆し始めないとまずいのですが、まだ企画が定まりきれてないという事態で不安しかありません。


こんな生産性のないことやってますね。


そんな平凡で平穏な毎日を過ごしている私には大きな問題があります。

私は、春から大学3年生になります。

これの何が問題なのかというと、極めて重大な問題です。
これはつまり、大学生活の半分が終わってしまうということを意味しています。
それと同時に、大学生活終了のカウントダウンが聞こえてくるということでもあります。
学生にとって、これは極めて、重大な問題でしょう。

このカウントダウンが聞こえてくると、私は焦るのです。

「私はこの大学生活で何かを成し遂げることはできたのか」と。


周りを見れば早めの就活だと言ってみんなを出し抜こうとしている奴もいるし、バイトや学生団体などの組織に関わり続けた結果、その組織の中核を担う存在になってる奴もいます。

他にも、フェイスブックで近況をアップデートしまくる奴、意識の高さをアピールしてくる奴、人脈やお金がたくさんあり感じを醸し出してくる奴、いろんな奴がいます。

私はそいつらを見て、すごいなぁとか、うらやましいなぁとか、色々思いますけど、とにかく焦るのです。周りと自分を比較して思うのです。

「あれ?自分って何をしてきたんだっけ?」と。


私だって、この2年間何もしてこなかった訳ではありません。
いろんな人たちと関わってこれたし、人脈だってそこそこ築いてきました。普通の学生生活を送っている人たちよりも、学外に出て活動してきたという自負はあります。様々な専門分野に触れることで、知識だって増えました。興味も広がりました。

2年間のどこを切り取っても、その時の目的に向かって努力していたし、今後をどのように過ごせばなりたい自分になれるのか考えながら動いていたはずです。それは間違い無いのです。


それでも、この現状に私は焦りを覚えるのです。
今述べているのは「自分の思ったことができていない焦り」と「自分と他人を比較して生じる焦り」の二つあると思いますが、後者は大した焦り方ではありませんね。
なぜなら、自分と他人を比較すると必然的に焦りが生まれるからです。この先の人生でも比較して焦ってしまうことはあるでしょうけど、これに一喜一憂していても何も生まれません。感情に飲まれているだけですよね。こんなものは受け止めて行くしかありませんし、そもそも気にするものではありません。問題はどこか別のところにあるのでしょう。そっちのボトルネックを解消すべきです。
深刻なのは、前者の焦りです。



大学生は存分にモラトリアムできます。
バイトを辞めても責任は問われないし、くるりやブルーハーツを聴きながら真の自分と出会う旅をしても、誰からも咎められません。先生の研究室にアポなしで突撃して、疑問点を質問することだってできるのです。ちょっと緊張するし、恥を捨て去る必要があるけど。

私は、そんな大学生活が終わることが不安なのです。
社会人になれば、「何者」かにならなくてはいけないから。それを嫌だと言っても、世間は許してくれません。
まだ半分残っているので、気が早いと言われそうですが。


今現在は「学生」という名前でnoteを書いていますが、学生ではなくなったらどのような名前にすればいいのでしょうか。「社会人」とでも名乗れば良いのでしょうか。
(そもそも、なんか微妙な名前ですよね。一般名詞でしか無いですよ、学生って。)

私は何者なのでしょうか。「学生」や「社会人」というものは肩書きであり、「で、君は何ができるの?」という問いの証明にはなりません。

私はこの問いに対して、自分はこれができる人間だと言えません。これを言えるようになるために、残り半分の生活を頑張りたいですよね。
でも、何ができる人間になりたいのか、何者になりたいのか。それを答えることは、現状でもできるはずです。

ですけど、それに的確な納得と確信を持って答えることができないんですよね、私。「自分」というものが揺れに揺れています。アイデンティティの危機に晒されています。絶賛モラトリアムなのは確定的に明らか。じゃなきゃこんな記事を深夜に書いてないっすよね。



自分の夢や理想、そんなものはわからないです。



その残り半分の生活を充実させようという気持ちは大いにありますし、実行にも移していきます。
でも、だからこそ今、自分がどんな人間になりたいのかもう一度考えたかったのです。

今の自分は、どこに向かって行けば良いのか考えるために。



なりたい自分について考えてみましょう。
夢や希望のことですね。理想です。




だから、どんな学生なのか、もっと言えば、何ができる学生なのか、
わからないなりに、頑張って模索していきます。

わかってる風でいることは簡単ですけどね、恥かいてナンボなんですよ。
「わかんねぇっす」そんなノリでいいんですよね。
わからないことも、理不尽なことも、満たされないこともたくさんあるけど、それでもやっていきますよ。
持ち前の直感とかセンス&分析力と思考力で乗り越えます。


intelligence & interesting

なんつってね。






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