ファンレターというには長すぎる

コンクール。
少なからず縁があったものであり、青春であり、いい思い出では片付けられないもの。
高校時代吹奏楽部にいて、そこそこの強豪であり、コンクールの舞台に立つためにはオーディションがあった。
ポジションでいえば、まぁ上手い方。特質したものはなかったし、特に顧問の先生との相性の悪さは抜群でいわゆる厳選されたメンバーに選ばれたのは3年の時だけだった。それも後輩が少なく、初心者も多かったという理由なのだが。
特に音楽の道に進みたいとは思っていなかったし、一生続けるかと言われればやれたらいいなくらいのものでその時1番何を捨ててでも最優先にしたいものではあった。

とまぁ私のことはいいとして、ともかくコンクールと言われるとなかなか思うところのあるものではあります。

5月ももう月末ですね。
今月はエリザベート王妃国際ピアノコンクールに熱狂した1ヶ月でありました。
N響含め演奏会を一つも入れず、生音聞かず、配信のコンクールに釘付け。
理由は想像のつく方が多いかと思うけれど、私の今何を捨ててでも最優先で気にしている務川慧悟というピアニストのコンクールの行く末を見守るためでありました。

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3大国際ピアノコンクールの一つに数えられる今大会。世界的事情により完全配信のみで行われたコンクール。
彼はコンクールに際して、「最後のコンクール」になると言っていた。
なればかじりついてでも見るしかあるまいと見てきたわけだが、なんともいろんな感情をもたらしたそんなコンクールだった。

本来であれば昨年開催されるはずだったコンクール。当初78名(だったか??)いた参加者は事情により58名になり、本来ファイナリストは12名であるところを6名に。なかなか狭き門だ。
何よりスケジュールと課題曲がすごい。
1次予選は6日間。指定した作曲家を含めたプログラムを事前に作り、さらに前日に曲を絞り演奏する。最後の演奏が終了した1・2時間後には結果発表。そして翌週からセミファイナルがスタート。こちらも6日間。曲はモーツァルトの協奏曲1曲+コンクールのために作曲されたピアノ曲1曲+数曲のリサイタル、コンクール前に2種プログラムを作り、前日に審査員に指定されたプログラムを弾く。ファイナルはこれまたコンクールのために作曲された協奏曲1曲+コンテスタント自身が選んだ協奏曲1曲。
しかもファイナルの課題曲はセミファイナル終了後選ばれた人間のみに楽譜を渡され、1週間で譜読み、曲として完成させねばならない。そしてその1週間は一切外界との連絡は禁止。携帯もPCも取り上げられ、ほぼ監禁状態で過ごすという。

初めてプロのコンクールというものを見た。
技術的なものはもちろんだが、切り抜ける体力と精神力を考えるとこちら側からすればゾッとするものだなと思うが、コンクールに挑む者たちにとってはやはり今後の音楽家人生においてどうしても重要になってしまうものではあるはずで、ただなんとなくで続けていけるほど甘い道ではないことは素人でもわかるわけで、避けては通れないということなんだろう。

すべてのステージで思うものはあった。全部書いていたらそれこそ本1冊くらい作ってしまいそうなので簡略化するが、1次はともかく勝ちにいくと言ったものそのものであり、完成度の高さは言うまでもなかったし、セミファイナルはもはや完成度の高さもさることながら、今まで見てきたどのリサイタルよりも心抉られ、高揚し、同時にまた1つどこかの扉を開いたような務川慧悟というピアニストのある種の到達点を見た気がする。

そして1週間の間を開けてのファイナル。
ファイナルに進出するだろうことはコンクールが始まる前から微塵も疑っていなかった。そしてコンクールのファイナルは総じて協奏曲を演奏する場合が多い。もっぱら考えていたのはファイナルでなにを弾くのかということだった。
コンクールが本来なら昨年であるはずだったこと、彼の得意な作曲家、そして前後で開催される演奏会での曲目達。そこから類推していくとどうやっても同じ答えに辿り着いていた。
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番。

約半年前、彼のリサイタルを見て、そこから絡めとられるようにのめり込み、好きになったと自覚して最初の生の演奏会。そこで演奏したのがこの曲だった。諸々の事情で海外の演奏家達が来日できずに回ってきた代役公演で、ファンですら直前すぎて見れなかった人も多かったこの公演に、運良く足を運ぶことができ、ここ数年で1番衝撃を受けた出来事であったことは言うまでもない。
曲自体というかプロコフィエフという作曲家自体、この公演が決まる2週間ほど前のとあるフェスティバルで彼が演奏したピアノソナタ2番が初めての出会いだったわけだが、その演奏の衝撃もあり、そしてそれに関連してとある方にこのピアノ協奏曲を教えてもらいもあり、これまたのめり込むようにプロコフィエフの魅力に取り憑かれた直後の出来事で、雷に打たれたようなあのとてつもない衝撃はきっと一生忘れられないと思う。
そして曲の毒にも似た魅力に取り憑かれたまま、またあの曲を聴きたい一心で国内の演奏会を調べた。
そしてやっと見つけた1公演のチケットを即座に購入したほどだ。
実はその公演6月中旬の予定だったのだが、やはり演者の来日が難しく、プログラムが変更になってしまった。今年再度聞くことは叶わないなぁと残念に思っていた。
そこでのコンクール。そして曲が発表されたときの感動はどう伝えたらいいかわからない。
今年もう聴くことは叶わないと思っていた曲をまさか衝撃を与えた本人の演奏で聴けるとは。
大袈裟と言われることを覚悟していうが、運命めいたものを感じずにはいられなかった。

そして当日。
課題曲は「妖精の庭」というタイトル。ラヴェルのマ・メール・ロワの中の1曲「妖精の園」に感銘を受けて作曲された同曲だが、これまた彼のレパートリーの筆頭ラヴェルのしかも自身でソロ用に編曲もしているほど彼の中で上位にあるであろうマ・メール・ロワをモチーフにしているとあれば、これまたなんとも奇妙な巡り合わせだと思わざるを得ない。
演奏は言わずもがななのだが、個人的には初見の曲ということもあり、曲についてはなんとも説明できないが、彼のいままでを全て詰め込んだような出来だったことは間違いないだろう。

そしてプロコフィエフ。
衝撃から半年。あれから幾度となく音源を聞いた。よく聞いた音源はユンディ・リ×小澤征爾×ベルリンフィル。
といっても代えることができるわけもなく(大御所様の音源に文句をつけるつもりはもちろんない。素晴らしいのは間違いなしなんだけれど)、本人の演奏で聴けることの喜びを噛み締めて聴いた。
当初よりもより洗練されていたと思う。
私は1楽章と4楽章がとかく好きなのでその部分の感想が中心になるのは許してほしい。
なんともいえない奇妙な感覚があった。努めて冷静で、冷たくも美しい始まりであるが、根底になんとも言えないものが眠っている気がした。そこからのカデンツァ。
重厚かつ突き刺さるような音。
圧倒的な支配力。
引力というか場の支配力はもともと持ち合わせている人ではあるのだが、その日のカデンツァは胸に突き刺さるような全身に重力がのしかかったようななんとも形容し難いパワーがあったような気がする。
感情は剥き出しになり、叫びとも嘆きとも違う掻きむしられるような感覚。
そこから一気に駆け上がり、オケが再度合わさる頃には高いところへ打ち上げられたような解放されたような目の前に恐ろしいものが広がっているようななんとも形容し難い景色があった気がする。
しかし夢から覚めたように、気がつけば1楽章も終わり、冷たい場所に戻されていた。
2楽章で場面は急展開する。沢山の音が並べられ全てを覆い隠すような2楽章。ここでも表情は冷静で鳴らされる音の激しさとの落差で混乱したまま3楽章を迎える。
3楽章、不穏な空気漂い、ずるずると何かが這いずり回るようなところだが、奏でられる音の中に異様な艶があると感じたのは私だけでは無いだろう。
特にアクセントの使い分け方が秀逸で、なんとも妖艶でおどろおどろしさのあるメロディを際立たせていた気がする。
そして4楽章。出だしからとてつもない疾走感と共にかけていくわけだが、静と動が交錯する楽章でもあり、またさまざまな感情が見え隠れする。
中間に近づくにつれて感情が高まっていくのは私だけではないと思いたい。
威風堂々奏でられるロシア独特の甘さを含む旋律の中により一層強い感情が込められたのではないかと思う。(完全な主観だけれど)
ここにも短いカデンツァがある。
これがまたなんとも一言では言い表せない複雑さ。
結局混乱した頭のまま、全音いきなりのffの爆発から一気に突き進み突然終わりを迎える。

とまぁここまで長々と書いたわけだが、未だにうまく感想がまとまらない。曲自体の性質故か、プロコフィエフという作曲家の意図故か定かでないけれど、狂気的で、野心的でありながら、時折顔を出すなんとも言えない感情。
感動したではなにも表せないし、かといって他の言葉を探そうにも私の言葉のレパートリーの中から見つけ出せない。ただ、彼の演奏からは確固たる意志を感じた。こう弾きたいのだという意志。
作曲家の意図するところを汲み取り表現するのが演奏家。当たり前であるかもしれないが、しかし意図とはなんなのかと思う。言葉で感情を表すことか、はたまた曲のストーリーを浮き彫りにすることか。
演奏後のインタビューでラヴェルもプロコフィエフも感情を直接的に表現する人間ではないと言っていた。この曲に関していえばその通りだろう。ピアノは始終鍵盤を駆け回り、覆い隠すかの如く機械のように数多の音が交錯している。感情が見えたと思えばすぐに隠れてしまう。どんな感情なのかを察する前に隠れてしまうのだ。
ただ察することはできないが、何かしらこみ上げてくるものがあるのは確かで、息をするのも忘れてしまうし、何度も泣きそうになる。
そういった意味で言えば彼の演奏は意図を汲み取り表現するということに成功しているとも言えるかもしれない。
プロコフィエフは自伝の中で自身の曲について言及している。文章をまま載せるわけにはいかないので簡単にいえば、最初に旋律が見つけられないとしても注意を払って聴いて貰えば必ず新しい旋律を見つけることができるという内容だが(詳しくは「プロコフィエフ 自伝/随想集 音楽之友社」を参照してほしい)、それと同時に新しい自分の音楽的旋律を模索すること音楽の可能性に情熱を傾けてきた人間であるのだということが見て取れるのではないかと思う。(正しいかどうかでいえば自信はないのだが)

話が脱線してしまったが、あの演奏の中に見たなんとも表現できないもの。Twitterにも書いたが、1番近い表現は「耐え忍ぶ」だった。ぶちまけてしまいそうな何かを必死に抑えているような、それでいて滲み出ている惹きつけてやまないもの。

彼のピアニストとしての魅力とは何かと聞かれれば、おそらく多彩な音や表現力はもちろんであるが、個人的にはなにより引きずり込む力と支配する力ではないかと思う。
胸ぐらを掴まれダイレクトに表現を突きつけられるとでも言えばいいか。強い言葉かもしれないがそうなのだから仕方ない。おそらく本人の伝えようとする意思が明確にあるからだと思う。
当の本人がどう思っているかは別として。
よく目を凝らして何を伝えようとしているのか見つけたいと願うのに感情は掻き乱され冷静ではいられない。いつもお手上げである。

今回に関していえば、ただなんとなく結果発表も終わった今になって、これを書いている間にあれは音楽に向き合い続ける情熱だったんではないのかとふと思っている。
どれだけ苦しかろうがつらかろうが、注ぎ続ける情熱。決意と言ってもいいのかもしれない。
結局のところ感想を一言でまとめるなら素晴らしかったに尽きてしまうのかもしれない。
ここまで感情を揺さぶって惹きつけられてする人間に出会うこともそうそうあるものではないし、彼が音楽に向き合い続ける限り、耳を傾け続けたい。そうこちらも覚悟を決めるに十分な演奏だったと思う。

コンクールは終幕。残すはクロージングコンサートを残すのみとなったわけだが、結果は3位。世界3位ですよ。結果発表がまさか1位から発表されるとは思わず、いきなりTwitterに結果が表示されたときにはちょっと放心した。なんともあっけなく発表も終わり、その時点で時刻は朝6時すぎ。放心したまま寝て起きた時にはニュースになっていたことを知る。
そこで見た写真の満面の笑顔とインタビューの返答を見て、長くも短いコンクールは終了し、本人が心から満足して終わったのが窺い知れたので、こちら側で何も言うことはないなとちょっと晴々とした終わりになった。
ほんの少しだけ本音を混ぜるのであれば、せっかくの最後のコンクール。1位で終わらせてあげたかった気持ちがないとは言えない。こればかりは言っても仕方がないことだし、私の中では間違いなく1位であったことは追記しておこう。

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さてまた長くなってしまった………
ともかく今回のコンクールお疲れ様でしたと心から言いたい。結果がついてしまうコンクールだからこそたくさん得たものがあったようにも見えるし、なにより演奏が本当に本当に素晴らしかった。
もうありがとうございました。と心から言いたいし、また、一段と目が離せなくなってしまったなと思っています。
そして、冒頭になぜコンクールについて書いたのかといえば、私にはそういった大舞台というか結果がついてしまうものに相対した時、どうやっても空回ってしまってうまくいかないことがほとんどだったからなんですが、なによりそこまでたどり着く積み重ねを作ることができない臆病者であり、自堕落な人間で、そういったものがコンプレックスでもあるわけです。(我ながら拗れている…)
だからこそ憧れるし、たぶん惹きつけられてしまうんだと思うわけで、より一層惹きつけられて目が離せなくなって…何を言っているんだ私は…
同じ場所へはどうひっくり返っても行けないし、結局のところただのファンでしかないわけだけれど、今後も進み続けるであろう彼を見ていたいというちょっとしたわがままを夢見ているわけです。
可能であれば、彼が音に乗せているであろう気持ちも間違いなく受け取れるファンになれたらいいなぁ。答え合わせをするタイミングなんてないとは思うけれど。
とにもかくにも今後のピアニスト人生が幸せであってほしい。そして思う通りに進んでほしいと思わずにはいられないコンクールでありました。

さて、来月にはまたスーパーヒーロー反田恭平さんとの2台ピアノリサイタルなど目白押しですね!とうとう日本に帰ってくるぞー!(歓喜)
そしてチケットが取れなくなるなぁ……争奪戦の予感ですな。いや頑張るけど。
こんなことに自分がなるとはつい1年くらい前の自分には想像もつかないけれど、出会えて良かったし、好きになれてよかったし、幸せ者ではあるなと思います。
いやー来月からも忙しいな!