NIPPON

椎名林檎のNIPPON

発売されてから何かと話題になっている曲だ。
私はそこそこ老舗の林檎ファンなのだけれども、この曲を聴いての感想は
「応援テーマソングという普遍的でありながらもオリジナリティを求められる問いに対して、「椎名林檎」として出したハイレベルのアンサーである」というもの。

メロディについてコード進行などは詳しくないため何も言えないけれど、歌うには相当難しいだろうぐらいはわかる。
イントロの入り口はわかりやすい(からこそダサイという評もある?)。
そこから畳み掛けるように音数が増え転がっていく曲で、わかりにくいのに耳につく不思議なメロディー。
フォーンの音のせいか、東京事変の曲っぽいとも言われているけれど、私は椎名さんの曲だなあと思う。

ただこの曲は、事変を経たからこそ生まれた音という気はする。      なんだろう。上手く言えないけれどソロの頃より曲が広く深くなった感じ。「事変ぽさ」だけで言えば、カップリングの方がより「ぽい」と思う。メロの感じや鍵盤の音の作り方が伊澤さんを連想させる。

詩に関しては、何かと話題にはなっているが、
私は「日本頑張れ!」という気持ちを「椎名林檎の書き方」で表現した曲が「NIPPON」なのだと思っている。
ただ彼女の曲は昔から何かと深読みされる傾向があるのに加え、
今回はワールドカップという世の多くの人が反応するイベントのための曲だということ。
さらにサッカーという競技は、反日問題やそれに伴うレイシズム問題があり、その印象が一般にも残っているということ。
つまりそれらは俗に言うネトウヨが反応するネタだということ等々が絡み合った結果の流れなのだろう。

私はこの曲が愛国的だとも思わないし、特攻隊を賛美しているとも思わない。
冒頭いきなり「フレー!(cheers!)フレー!(cheers!)」と始まるという、椎名さんらしからぬ直球ワードに最初は引いたけれど、最後まで通して聴いたら「あ、椎名林檎らしい曲だわ」と思った。
そもそも右翼的だなんだのと言われているきっかけは、リリース当初にネットで書かれたどこぞの音楽ライターの評が元ネタだと思われる。曰く「「この地球上で いちばん混じり気の無い気高い青」という部分を「日本人の純血主義」と読めなくはない」等書かれているんだけれど、それはこの人が曲解し過ぎだろうと思う。件の記事は音楽的要素については語られていないので、レビューとしてあまり参考にならない。

また特攻隊云々については、

「噫また不意に接近している淡い死の匂いでこの瞬間がなお一層 鮮明に映えている刻み込んでいる あの世へ持って行くさ 至上の人生至上の絶景」

という箇所がとりわけそう聴こえるのかなとは思う。
全体の中でも所々そのように読めなくはない箇所があるにしろ、一曲を通して聴けばこれが特攻隊の歌ではないとわかる。
「死」というワードは、スポーツという極限まで身体が高まる生の動きと対比して置かれているだけだと私は解釈したのだけれど。

とりわけここ数年の椎名林檎は、生と死は隣り合わせであり、だからこそ今の生を精一杯生きていこうということを繰り返し繰り返し表現してきていると私は思っている。そしてそれは決して刹那的なものではなく、むしろ真逆のしなやかな力強さだ。
でもそれは好きで聴いて見ていないとわかり辛いのかもしれないなとは思う。「歌舞伎町の女王」や「ここでキスして」「本能」のような、エモーショナルなイメージが一般では根強いのだろうなと。
現に私が「椎名林檎が好きなんだ」と言うと「ああ歌舞伎町のひとだよね」といわれることが大半だ。
けれど、彼女は外がどうあろうと椎名林檎という表現アイコンに対し自らとても誠実に客観的に向き合っている。それは雑誌のインタビューや林檎班で読める日々の日記などから覗く言葉の端々で感じられる。
つまり誰よりも厳しく「椎名林檎」を見ているのは彼女であるし、それは恐らくとても孤独な作業に向き合い続けることなのだと思う。

私たちが手にする「椎名林檎」の曲は、色々な色を見せながらいつも心に刺さる。受け手の背筋すら伸びる。その背が伸びる感覚を伝えてくれる人はなかなか居ない。                              あと私だけかもしれないが、椎名さんの場合次に出す曲がどんな雰囲気になるのか全く予想できない。先行タイトルだけ見てもわからない。だから都度都度ワクワクする。                            ライブも同じで、毎回趣向を凝らした異なるステージを見せてくれる。   

いつも新鮮に。椎名林檎としての変化は多様。そんな彼女の作り出す曲や表現はいつも追いかけたくなる。好きになってよかったなあ。

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