生き方、考え方のもやもや整理 言語化用

今俺は何を考えたい?
・僕は君の熱に投資するという本を読んで、やっぱり情熱的に何かを成し遂げることへの憧れを抱いた。これが「お金よりも重要なことはいくらでもあって、成長成長ってなってハードになり過ぎると幸福度が下がるのではないか」と漠然と考えていたこととの矛盾がある気がする。けど自分の中に何者かになりたいっていう欲はやっぱりあって、それをどのように自分の中で消化するかがわからないから、言語化したい。

何者かって何?
・世の中を本質的な意味で良くした誰か。例えば、野村証券の社長になることにはそんなに興味がない。不動産で大儲けして長者番付けに、とかもその行為自体への憧れは抱かない。豪遊にはちょっと憧れるけど、それを人生の目的にはしたくない。
そうではなくて、VCのようなスタートアップ支援を通じて社会の進歩を促進するとか、NPO法人を立ち上げて虐待された子供の学習をするとかといった社会的リターンを重視した上で「何者か」を定義したい。

何者かになりたいと思うのは、いけない欲?
・まず仏教では、欲望そのものが悪としているわけではない。欲は良い欲と悪い欲に分けられる。欲は行動のエンジンとなるから、良い欲によって行動することはむしろ望ましい。なので、何者かになりたいというのが褒められたいとかの名誉欲である場合は望ましくないが、心からこの問題を解決して笑顔にしてあげたいといったような他者貢献に基づくものなら最高だろう。

社会的リターン、他者貢献とは具体的に誰を対象にしている?
・虐待を受けた子供?リストラにあった人?妊婦さん?自分のような学生?スラム街の子供?老人?外国人?赤ちゃん?病気を患っている人?人ではなく仕組み?例えば政治構造とか?円安解決?ESGの遅れ?etc…
「ターゲットをどこに置くのか」は最重要ファクターの一つ。総合的に考えた上で、社会的リターンの最大化を目指せるのはなんなのか。(現在のところ、恵まれない子どもや障がい者が対象としてまず思い浮かぶ。)
これを明確にするために、多くの思想を学び、自分なりの理想の社会像や思想を持つことが重要。例えば、自己責任論を信条とするなら低賃金かつ劣悪環境の労働者は対象にはならない。(そもそも、より良い社会にするためには自分自身が善い人間でなければならない。自分が他者に与える影響は、当然自分の可能性を出ないのだから。)
また、現代社会に存在する多くの不条理や問題に敏感になってないといけない。課題解決は、どんな課題が存在しているかを知らなければ始まらない。社会的リターンを望むならばその情報収集も欠かせない。

社会的リターンの獲得のためには、ハードワークになるのでは?それは幸福?
・今までは足るを知る=現状に満足することを覚え、穏やかに生活することだと考えていた。でも、人生振り返ってみて楽しかったなあとか幸せやなって思い出す期間は、ロードで日本一を目指した結果とその過程だったり、高校なら仲間と乗り越えた部活だったりする。共通点は、仲間と目標に向かって挑戦していること。家族とのゆっくりした幸せの時間は何よりも大切。でもそれは、挑戦と両立できるものでもある。健康を捧げてまで働くべきか?という問いは、理想を求めて努力し続けるなという意味ではなく、理想を求める努力をし続けながら、「家族や友人との大切な時間」を決して手放すな、両立しながら「挑戦し続けろ」というのが結論だ。
そして、足るを知るは「穏やかに生活する=挑戦にストップをかけるもの」ではなく、「挑戦していれば寝れない日も、食など生活レベルが落ちる日もあるだろうが、足るを知ってさえ富豪の生活レベルよりも幸せになれる、だから落ち込まず頑張れ」というむしろ挑戦にエンジンをかけるものだと解釈できる。

・ダラダラ生活より、何かに挑戦している方が幸せなのはなぜだろう?
そもそもなぜこの疑問が生まれたのか、それは「人生の第一目的は幸せになることであり、ここまで考えてきたどんな挑戦をするか、と自分の幸福の追求を最適なバランスで取りたい」からだと思う。でも社会的リターンの追求はいい人間関係、社会との関係を最も実現できそうだからすごくいい気はしてる。幸福に関する本読みたい。


これからの行動
・生き方に対する自分のスタンスを言語化(挑戦し続ける、人間的成長、社会的リターン、etc…)
・社会的リターンの実現方法の本や、問題の情報収集


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?