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令和6年、「毛糸だま」に思うこと

 編み物を愛している。

私が編み物を始めたのは30年ほど前、時は平成の初めである。


 90年代の当時は多くの編み物雑誌があった。特に「セーターブック」なる編み物ムック出版が盛んな時代で、流行のドラマに出演していた俳優や人気タレントをモデルにした写真集のような贅沢な本もたくさん出版された。

 最近はほとんど見ることもないので、興味がある方はこちらをご覧ください。


 学生時代、私の楽しみはこうした編み物本を買うことだった。

中でも「毛糸だま」は私の編み物バイブルだったとも言える。

その頃は2ヶ月おきの発売だったと記憶している。偶数月の発売日が楽しみだった。
 本当にうっとりするような紙面だった。当時は編み物好きの人を対象とした海外旅行のツアーなんかもあって、与えられたテーマで自作デザインのセーターを編むような強者たちの集う交流ページのようなものもあった。フェアアイルシェットランドレースという言葉を知ったのもこの頃だったと思う。私にとっては今でも憧れの伝統ニットの技法だ。

手元にもう書籍がないので検索エンジンからの画像を引用。「毛糸だま 90年代」で検索した画像


初めて編んだセーターはこれ。19歳の冬に編んだ。
当時は桜色だったのだが、汚れてきたので自分で染め替えた。
初めてにしてはなかなか頑張ったのではないかと思う。最近は自分で編み図を描いたり、手紡ぎしたりしてセーターを編んでいる




 「毛糸だま」はとても可愛いデザインが多いのだが、太めの体型の私にとってはサイズが細く小さ過ぎてなかなか合うサイズのデザインを探すのが困難だった。また、当時(今もだけど)地方都市に住んでいた自分は「指定糸」で編むことなど夢のまた夢で、近所の毛糸屋さんで手に入る糸で工夫して編むしかなかった。
 インターネットの無い当時はろくに情報もなく、夜な夜な編み物本を読み解きゲージを割り出し、メンズ本を参考にしながらサイズを計算した。 
 しかし、実際のところ、サイズが小さすぎるか細すぎるかで、「毛糸だま」に掲載されている作品をほとんど編めたためしはなかった。多くはメンズをサイズダウンしただけ。苦笑

しかし「毛糸だま」は長い間私のそばにいて編み物の楽しさや魅力を教えてくれた。

 でもいつしか買わなくなってしまった。
なぜだろうか。

 一つは自分が中年になって、年齢的に着られるデザインが少なくなったことがある。小さすぎるデザインはますます自分の体に合わないであろうと思うようになった。もう一つはあまり編み応えを感じない作品が多くなったように思ったからだ。(1)


 ここで、私は「昔は良かった」という話をしたいのだろうか?
と自問してみる。

そうではない。
もう一つ大きい理由がある。
誌面を目にすると時々なんとも言えない違和感があるのだ。
直接編み物には関係ないのかもしれない。

一言で言うと人種や多様性についての価値観がアップデートされていない。これがなんとも落ち着かない。モデルの人種が偏り過ぎていている。「多様性」が叫ばれて自分の感覚が変わってしまったせいなのかもしれない。


 確かに30年前も、モデルの多くは華奢で綺麗な外国人女性だった。(でも時々は日本人モデルもいたように思う。)これは昔からの編集方針と変わりのなのだろうけれど現在もこの傾向を踏襲している。ある意味で国際性みたいなものを打ち出したものであったのであろう。
 しかし現在は逆に古さを感じてしまう相変わらずヨーロッパ系のモデルしかいないからだ。
 外国人だからといってアジア系やヒスパニック系やアフリカ系はほとんどいない。イスラム系、インド系は絶対に出てこない。(ヒジャブを被りながら可愛いニットを着ている子だって居てもいいのではないか。)国際性と言うポイントから考えるとこれは時代に逆行していると言わざるを得ない。

 10年ほど前から時々ふくよかなモデルが登場するようにはなった。しかし大抵はヨーロッパ系の女性ばかりだ。やはり若い頃同様、自分が着た時のことを全然想像できない。


 今ではサイズ展開も豊富なラベリーもある。

ラベリーを初めて見た時の感動は大きかった。
いわゆるダイナマイトボディのモデルさんがイキイキとポーズを取り、カラフルなセーターを着こなしている。なんてステキなのだろう。

色々不平を言っているように見えるかもしれないが要するに、わたしは肥えているが、オシャレがしたいし、ステキなモノを編みたいのだ。


 これでは「好きなデザイン」なのに「すぐアクセスできない」と言う理由で編み物に興味を失う人や海外パターンだけで編むようになる人も少なくないと思う。

 普段そこら辺にいるモデルを使う特集ページがあってもいいのではないか。そして、もっと体型サイズのバリエーションがあってもいいのではないか。誌面に載せる余裕がなければ、オンラインでサイズ別の型紙を販売したらどうだろう。

(もう終わっちゃったけど)以前の連載「編み物男子」特集も、前提として「編み物は女性のものだ」と言っているような感じを受けた。
性別を取り上げずにフラットな視点で扱ってもいいのではとも思っていた(2)。




ところで先日こんな本を手に入れた。
1969-1970年の冬号の「別冊ドレスメーキング」(鎌倉書房)である。


 著作権の関係があるので内容の写真は載せないが、「体型に合ったコートの選び方」と言う特集があった。「細くて小柄」「ふくよかで小柄」「細くて大柄」「ふくよかで大柄」の4分類の体型別の着こなしのポイントが書かれてある。昔の本なので、「痒い所に手が届く」ような親切さは無いけれど、必要なところをきちんと突いている良い本だと思った。

 現行の編み物本には、その辺のノウハウがゴッソリ抜けていると感じる。「モデル写真」と「編み図」と「編み方」しか載っていない。ある意味では毛糸メーカーのカタログでしかないのだと思う。

ここには大人の事情を感じてしまうけれど突き詰めて考えれば、本当に知りたいのは「自分に合った着こなし」だし、編むこと自体が面白くてもさっぱり腕が回らないなんてことになっては編む意味がない。手作りファッションの提案というのは、その人の「体」に寄り添うためのものであってほしい。



そうすると補正や調整の仕方を勉強することになるのだが、これも過去に出版された編み物テキストの復刻版か、海外からの翻訳本しかない。

なんということだ。

つまり、もう、50年以上前に書かれた本以上のものが作れないということなのか?(なかには刊行が1960年代のものもある。)

 実際自分は今1960−70年の頃の編み物本を集めているけれど、内容がかなり本質的であることは確かだ。(メーカーのカタログ的な事情に忖度せず、)編み方だけではなく体に合わせること、しっかり補正や調整について多く触れられている。もちろんメインはスラリとしたモデルが多いが、中には“ぽっちゃりした感じのおばさん”とか、“会社員のおじさん” みたいな雰囲気を想定したモデルが結構いる。



 しかし、しかしだよ。
 これから編み物を勉強したい若い人に、もっとできることはないのかと思うのだ。これから本格的に編みたい人は「50年以上前の技法書」を当たれというのか。

若い人にとっては、もはや、本でなくてもいいのかもしれないけども…
いや、待て。
でも、そうじゃない。洋書でもいいかもしれないけれど日本で発展した編み物の良さだってたくさんある。日本独自の編み図は全体を俯瞰できるという意味では唯一無二のものだと思う。これは世界に誇っていい。


 わたし自身は単なる地方在住の編み物好きの中年女性である。大層に編み物を語れるほどの立場には無いが、書籍で学んだ自分としてはちゃんと体系だった日本語の書籍がもっとあってもいいと思う…とちょっと残念な気持ちと共に遠い目をしている。




補足事項

(1)
これは単に時代の好みによるのだと思うけれど昔に比べて凝った作品が少なくなった気はする。本をわざわざ買ってまで編みたいとは思わない。

(2) うまく言えないのだけれど、これは男性が生理用品を作っているような違和感に似ている。ぱっと見おしゃれだけど、ジェンダーや人種に関してはひと昔前の価値観が続いている気がする。
 これに関しては深刻に考えるべきだ。(「白人」という言い方は差別的なので使わない方がいいと思っているが、)外国人をモデルとして起用する意味はこの数十年でだいぶ変わってきたのだと思う。単にヨーロッパ系人種を指して「外国」を表現しているのであれば注意しないといけないと思う。現在、イギリスの伝統を語るときインド系の人たちは無視できないだろう。ジェンダー表現や人種に関する表現は非常にセンシティブなことだ。「伝統的なニット文化へのリスペクト」という由来にこだわるのであればわからないでもないが、単に「外国」を語りたいがための雰囲気を演出したいだけならばもう一段階別の方法があるように感じる。

2024年現在では、人種的なバランスや体型別の提案にはもう少し考慮されたほうがいいのではと個人的には思っている。
 



ほか、参考文献

別途記事にする予定だが、昭和の編み図は本当に素晴らしい。
中でもこちらの本はかなり実用的だ。文字が多いので読み解くには時間がかかるが、原型を作り、自作の編み図に仕立てるまでの方法がかなり細かく書かれている。自分で編み図を書きたいという人は買って損はないと思う。


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