リポップ

 リポップという言葉がある。
 これは主にオンライン・ロールプレイングゲーム(RPG)上で使われる用語で、行く手を阻む敵モンスターが死んだ後、一定の時間経過ののち、同じエリアにそのモンスターが再度出現する現象を指す。
 RPG上では、倒れた敵モンスターは時として今後の冒険に役立つ装備やアイテムを落としていく事があるが、リポップしたモンスターは再度そうしたアイテムを落とす事から、彼等は、先に死んだものとは全くの別個体であり、一度死んだ個体が時間を置いて蘇生している訳ではない事が分かる。

 強力な装備やアイテムを落とすモンスターは、プレイヤーキャラクターの格好の餌食となり得る。ゆえに彼等は、殺された後、リポップする瞬間をその場でひたすら待ち伏せられて、リポップした瞬間にまた攻撃される……というのも、ゲーム内ではままある事だ。

 大学一回生の頃、友人に勧められ、オンラインRPGで遊んでいた時期がある。
 その時初めて、私は、ゲームの世界でモンスターがリポップする瞬間を見た。
 フィールド画面の一部が一瞬光に包まれて、次の瞬間、何もいなかったはずのその場所に、新しいモンスターが現れているというものだ。
 
 何もいなかった空間に、突如として新たな生命が出現する――当時こそ、何の違和感なく受け入れていたその瞬間を、それから十年以上が経過した今、改めて思い返す時がある。

 毎朝、仕事初めに店の周りを掃いていると、道の上に、実に多くの生き物の死骸が転がっているのが見て取れる。それはダンゴムシだったり、セミだったり、あるいは名前も知らない、小さな虫のような生き物だったりする。
 掃いても掃いても、翌朝その場所に来てみれば、死骸は必ず、道端の花壇の隅に転がっている。
 特に夏の盛りの暑い時、浮かされながらもぼんやりと、それらの死骸を延々、ちりとりに収めていると、この広い世界の片隅の、こんな狭い駐車場の一角で、日々いったい、どれほどの数の命の始まりと終わりとが繰り返されているのかと、不思議なような、恐ろしいような、奇妙な気持ちにさせられる。

 そういう時、私はふと、ゲームで知ったリポップという言葉を思い浮かべる。
 何もいなかった空間に、突如として新たな生命が出現する――私たちは教育を受ける過程で、それが「あり得ない」事を教わっているが、これが有り得ないという事が証明されたのは、十九世紀のルイ・パスツールの実験によるものであり、人類史に於いてはむしろ、小さな生物は何も無い空間から突如として発生する――こういう考え方が常識だった時代の方が圧倒的に長い。

 私は、日々掃いている虫の死骸達が産まれるところを観測していない。
 ゲームの世界で延々とリポップしているモンスター達と、現実世界で生まれては死んでを繰り返している花壇の虫とでは、そこに一体どういう差異があるのだろうと、私は時折、考えている。

 もし仮に、この星に、私たちよりも圧倒的な知的生命体が居たとして、彼らにとって私たちの生き死にもまた、リポップのように観測され得るのでは無いかとも、私は時折、考えている。

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